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ドアの向こうへ vol.16

~美樹と由美子の出会い~

カランコロン・・・・と喫茶ひまわりのドアチャイムが鳴った。
「いらっしゃい」
綺麗な女性のお客さんが入ってきた。彼女こちらをを見てふわりと微笑んで一つ置いて隣へ座った。
「由美ちゃん、すっかり話し込んでしまったね・・・」とマスターは小さな声で言ってから、その女性の前へグラスとメニューを置いた。
「モカを」
「ハイ、承知しました。あ、美樹ちゃん、紹介するね。こちら浅枝由美子さん、高校時代にここでバイトしてもらっていたんだよ」
とマスターが紹介してくれた。
「初めまして、由美子です。久々に来ちゃいました。喫茶ひまわり!美樹さんは良くいらっしゃるのですか?」
「こんにちは、鳥谷部美樹です・・・・以前はそんなでもなかったけれど、ここ最近」と言ってマスターの方を見て
「良く来てます」と笑って言った。
「美樹さんはね、今プチひきこもりしてるんだよ」とマスターも笑って言う。

「プチひきこもり?」と私は聞き直してしまった。
すると、美樹が
「そうなの、会社を辞めて今、次の事を暗中模索している最中、職探しをしているわけでもなく、家でこもってばかりいるから、プチではなくて完全な引きこもり状態・・・・」と笑っている。
私は上手い受け答えが出来ず
「そうなんですか・・・・」と言うので精いっぱいだった。
ちょっと間をおいてから、
「私は、母が亡くなったので、帰省してきたところでなんです」
「そうだったの・・・」
「ハイ、モカ、お待たせ」とマスターがコーヒーを美樹の前へ置いた。

「由美ちゃんはね、落語家なんだよ、今は咄家?って言うのかな?」
「え?咄家さんなの?」と美樹が驚いている。
「いえいえ、咄家っていってもまだまだです。やっと前座に上がったんですけど頻繁には高座へは上がってないんです」と照れながら言って、噺家の段階も、見習い、前座、二つ目、真打ちの順で上がってゆくことも話した。
初めての高座へ上がる日が、母の倒れた日と重なって、直ぐには帰ってこられず、間に合わなかった事も話した。
「よく言う、芸人は親の死に目には会えないって・・・あれですね」
マスターが私のカップへミルクティを注ぎながら
「由美ちゃん、ここへ来るときバスのの中でお母さんに逢えたんだって」
「そうなの、ほんとにあるんだね、素敵だね」と美樹は感慨深げに言う。
「私も、最初は驚いたけど、あるんですね、そんなこてって」笑って言った。

「ところで最近、女性の咄家の方々も増えてきましたよね」と美樹が言った。
「そうですね、先を歩いて下さる女性師匠がいるから、私も何とか頑張れています」
そして、断られても何度も師匠の所へ通っって玄関先で落語を語ったことや、男社会の中での窮屈さを感じたが、師匠の人柄に惚れてなんとかここまでやってきたことを身振り手振りで話をした。

「あー由美子さん、普通のお話もとても面白いわね・・・・あー笑いすぎて、お腹が痛い・・・」
「そうですか?普通にしゃべてんですけど」
由美子もぺロッて舌を出して笑った。
「芸名っていうの?由美子さんのなんて言うの」
と美樹が聞いてくれた。
「三章亭さくらって言います。桜のころに通っていたので、さくらって名前をいただきました」
と答えると、美樹は
「さくらさんか・・・・・素敵な名前だね」
と言ってくれた。

マスターが
「美樹さん、久しぶりに由美ちゃんに逢ったもんだから、俺の修業時代の話を聞いてもらっていたんだよ」
「あの、多恵さんとの出逢いのお話ですね」と、美樹が言う。
続けて私も、
「そうお二人、素敵な出逢いですよねですよね」と美樹と一緒にうなずく。
「マスター、それから、修業の日々だったんですか?」と続きが気になって思わず聞いていた。

「そうだね、修行の日々って言うと、何だか、重苦しい雰囲気だけど、全然そんな事にはならなくて、ともかく親方は丁寧に一から教えてくれたんだよ・・・・・」
とマスターは話し出した。
 
 吉岡と新山二人が辞めた次の日から修業が始まった。
「いいか、達彦ここへ来て俺のやり方を見ておきな」と、仕込みの時から俺を隣へ呼んで教えてくれた。
「味はこんな感じだぞ」と味見をさせてくれ、
「魚は魚の身に沿って切るんだぞ」
ほら、やってみなと、包丁を握らせてくれて
ちょっと曲がっていても、
「何やってんだよ」などと言う声を荒げ叱ることはせずに
「達彦、個性があっていいけど、ここを、こう、斜めに切るといいぞ」と言って、優しく教えてくれた。
だから、修行という感覚はなかった。
親方の技を見て真似することがとても楽しかった。

「盛り付けが綺麗なのは当たり前だが、盛り付け方の手さばき箸さばきも、綺麗じゃないとだめだぞ」と言って、賄の食事の盛り付けでも、実践してくれたりもした。
「リズムって言うのか?、ダンスも歌もそうだろうけど、このリズムに合わせて体を動かすと上手くいくんだぞ、達彦」
 俺は、親方の、この達彦と名前を呼んでくれることもとても嬉しかった。
「名前を呼ばれるってことは嬉しいもんだ」と、親方が言っていたことを思い出していた。

 あっという間に修行の1年が過ぎ、ここへ来て4年目俺は、22歳になっていた。この1年の間に多恵との距離がとても近くなりお互いに大切な存在になっていた。
親方たちも、そんな俺たちをずっと見守っていてくれていた。
そんなある日、支度をしていた親方が
「なぁ、達彦、娘の多恵と結婚してくれないか?」と、突然言う。
俺は皮をむいていたジャガイモを驚いてシンクへ落っことしてしまった。

「あははは、達彦、相変わらず、分かり易いなぁ・・・多恵からさ、いつも達彦の話を嬉しそうに聞かされてな、それでな、こりゃぁ達彦に惚れたなぁって、うちのやつと言ってたんだよ」
「す、すみません・・・・」
「なんで、あやまってんだよ・・・・うちらは、嬉しいんだぜ、達彦が多恵と所帯を持って後を継いでくれたら、こんなに幸せなことはないってよ」

「ありがとうございます。多恵さんとは真剣に大切にお付き合いしていました、多恵さんとは、卒業したら結婚したいことを親方たちへ伝えようって話をしていたんです」
「そうか、そうか、それなら、決まりだな、いやぁ、ありがてぇな、達彦がうちの後継ぎになってくれるんだ・・・いやぁ、ありがてぇ、ありがてぇ」親方が涙ぐんでいる、俺もつられてしまう。
「達彦、うちのやつに言ってくるから、後はここ、頼むぜ」
そう言って親方は奥へ入っていった。

この日も無事に店が終わり、俺は明日のの下ごしらえをしながら考えていた。 
嘘みたいな話だ・・・・こんなに、すんなりいっていいものだろうか?
夢じゃないのだろうか?・・・・・
久しぶりに母親へ電話をする。
最近はお店の事をほとんど任されていることや良くしてもらっていることを伝えると
「そうか、大事にしてもらってんだね、安心したよ」と言って笑っている。
「私からもお礼しておくから、元気で頑張りなさいよ」と励ましてくれた。
「ありがとう、母さん、それからもう一つ、話さなきゃいけないことがあるんだ」
「あら、どうしたの?」
「うん、俺、結婚したい相手が出来てさ」
「え?結婚?おやまぁ・・・そうかい、親方の娘さんの多恵さんでしょ?」
「え、なんでそれを知っているの?」
「親方の奥さんからちょくちょく連絡もらっていたんだよ、だってさ、お前は全然よこさないからさ」
確かに俺から連絡したのは数えるほどだった。
「奥さんは、とても、お前のことを褒めてくれてさ、何でも一所懸命だし、気が利くし、娘の多恵を大切にして付き合ってくれているって、おっしゃってくれてね」

そうだったんだ・・・全く知らなかった、親ってすごいんもんだと感心してしまった。
「達彦、母さんは良いと思うよ、倉岡さんはとても素敵な家庭だし、お前のことを育ててくれたんだから、お前も存分に仕事をして、幸せにしてあげなさい、親方たちも多恵さんのことも」
「ありがとう・・・・母さん、俺がんばるからさ・・・・ありがとう・・・」後は涙で後の言葉が言えなくなってしまった。
「何?達彦、泣いているの・・・・相変わらず泣き虫だね」と電話の向こうで母が笑っている。
「えへへ・・・倉岡になるけど、母さんの息子だからね」
「何言ってんの、当たり前でしょ、山田と倉岡の息子なんだからね、後でお父さんに手を合わせて報告しておくよ、お前が結婚することをね」
「ありがとう、式の日取りとかはまだ全然決まってないけど、改めて連絡するね、じゃぁ
元気でね」そう言って電話を切った。

喫茶ひまわりへ昼下がりの日差しが入ってきた。
マスターはカウンターから出てきた。
「素敵な親方ご夫婦だったんですね」と私は窓辺へ立ったマスターへ言った。
「そうだね、親方も女将さん、そして多恵も、ほんとに俺にはもったいない人達だったでも・・・・その、大切な多恵が・・・」
マスターはブラインドを降ろす手をとめて、そうつぶやいた。

結婚して20年目の突然の悲しい出来事だった。42歳で向こうへ行ってしまった多恵だった。親方夫婦もその2年前に仲良く向こうの世界へ行ってしまっていたから、3人で仲良くやっていると思うけれど、
一人残された俺は、店を開ける気力が起きずにいた。
多恵が書いた品書き見ては切なくなり、親方の形見の包丁を握ると無性に悲しくなりさばくことが出来なくなり、店の中で灯りも点けずに、ただ座ったまま過ごしたり・・・とにかく、悲しく辛かった・・・・・
そんな繰り返しの日々がとても長く続いた。

いつ来ても店が開いていないから、お客は最初は心配して気にかけてくれていたが、1ヶ月以上ともなると、もう、あの店はだめだという評判が広がり、誰も来ることがなくなってしまった。
「このままじゃだめだって分かっているんだけど、親方、女将さん、すみません。そして多恵、すまない、店をたたむことにするよ」と仏壇の写真へ話しかけ、親方から引き継ぎ、多恵と夫婦で営んで来た【旨味処  倉】は20年目にして店を閉じた。

《続く》

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