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「美しいもの」の役割

昨年の秋ごろから、どうしても日本刺繍がやりたくなったことは、以前に書きました。

体験講座やオンラインなどで少し教えてもらい、

暇を見て自分で進めています。

  

冒頭のお写真は、私が刺したのではありません。何か見本が欲しいと思って古着屋さんで入手したものです。

自分のものは素人作品ですと、公開できる段階までさえ行っていないのです。

 

日本刺繍は、絹糸を使います。

本格的にやる場合は、自分で糸を作るところから始めるので、

とてもとても手間がかかります。

布地に花の図案を描いて、花弁を2,3枚刺してはまた糸作り、

という感じで、実にゆっくり進んでいます。


絹糸に撚りをかけていて、

そういえば4年前くらいにやった麻糸づくりの作業と似ている、と思い出しました。

日本の麻糸は、撚りを強くかけるほど丈夫なものができます。

植物から繊維を取り出して糸にする、と言う過程がとてもエキサイティングに感じられて、

時間さえあれば、ずっとこれをやっていたいと思ったものです。

 

ですが麻糸づくりは私にとって、ひとつ足りないものがありました。

それは、「色彩的な美しさ」です。

 

麻糸も染めることはできるし、美しくもあるのですが、

どちらかというと素朴な味わいで、

あまり装飾的ではない。

日本の麻糸はとても丈夫なので、どちらかというと生活の中で使う実用品です。

 
絹糸は正反対で、たいへんに繊細で装飾的、細かいものに向いています。

絹で織られた布地に、絹糸で刺していく日本刺繍は、

純粋で完成度の高い「飾り」であり、

なくても生きていけるぜいたく品です。

食べていくための収入・生活に追われる身には、必要ないものと映るかもしれません。

  

だからこそ、それを作ることに費やす時間が、

とても貴重のような気がするのです。

  

私のように特に専門家でもなく、美術の勉強をしたことがない素人でも、

日々の生活に追われる中で、

何かしら「見た目の美しいもの」を作ることに時間を割きたいという欲求がある人は、

けっこういると思います。


何のためにかというと、それは自分のため。純粋に美しいものは、心の奥深くに及ぼす何かしらの作用があります。

現実で起こるさまざまなことに葛藤していて行き詰まったとき、すべてのことを心から追い出して、

ただひたすら美しいものに向かってみる、ということをして、

得られるものがあった経験が、私にはあります。

音楽なども、そうですよね。


心の問題は、目に見えないし、言葉で説明できないものが多い。

それを表してくれるのが、「美しいもの」だったりします。

  

ゆっくりのペースではあるけれど、

美しいものを作り出す手作業として、「日本刺繍」を、

自分の生活の中に、組み込んでおこうと思います。

 

図案を探すと、自然の風景や草花、小さな生き物などのが多く出てくるのですが、

私はどちらかというと、家紋や日本の伝統文様のようなものを刺したいです。

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