知り合いが褒章

今朝新聞を読んでいた夫が、「Wさんが新聞に載ってるよ。褒章もらったって。」という。
1997年にWさんがKさんに誘われ、大道芸の勉強をしたそう。初めは「南京玉すだれ」がメインだった。

私が最初に勤めていたクリニックのあるビルには、全国的な一流企業がいくつもあった。Kさんんもある大手企業にお勤めで、趣味で描いた絵をクリニックに飾ってあった。季節ごとに絵を替えに来られるので、手が空いた時に話をさせていただくようになった。
25年ほど前、Kさんに「良かったらうちの母と絵手紙のやり取りをお願いできませんか?」と唐突にお願いしたところ快諾。母と会ったこともないのに、がんを宣告された母の楽しみといえば始めたばかりの絵手紙だったので、無茶ぶりだった。

Kさんは私の父と同い年で、父に甘えられない分甘えさせていただいた。

しばらく絵手紙のやり取りをしていただいていたら、今度は私がお誘いを受けた。「楽しいことやってるから、仕事が終わったらここに来てね。」と。

居酒屋の2階で、おじさん達と女性数名が南京玉すだれの練習。その後食事。まさに異業種交流会。一番年下の私はかわいがっていただいた。

それから月に1回の練習に参加するようになった。

老人施設に慰問にも出かけた。

しばらくして、母の状態が思わしくなくなり、ホスピスに入院した。

入院患者の娘さんの結婚式が行われているのを見た。
看護師さんに、「知り合いに楽しいことをしてくれる人達がいるのだが、部屋に来てもらって良いですか?」と尋ねるとOK。「ただし、うるさいかも。」と言うと、「それならロビーを使ってもらえば。」と話が大きくなる。

調子の良い方はロビーに集合してもらい(ストレッチャーで見に来た人もいた)、南京玉すだれを演じた。入院患者さんに喜ばれた。

その後母が亡くなり、しばらくしてあまり練習に行かなくなった。


それから数年後、夫との披露宴の準備をしていた。親戚しか呼ばないコンパクトな披露宴を予定していたが、夫側の親戚にお謡いと舞踊ができる方がいた。カラオケ大会はしたくないので、おめでたい南京玉すだれをしていただく事にした。
披露宴当時、夫の父と私の母が故人。それぞれ亡くなった親と写った新郎新婦の子供時代の写真、少し成長した写真を使って、パンフレットを作ろうと思い立った。それで印刷会社を経営するWさんのお力添えをいただいた。とてもきれいなパンフレットで、出席者にも喜んでもらえた。
南京玉すだれは、間近で見ることは珍しく、大盛り上がりだった。

その会のメンバーはさりげない気遣いができる方ばかり。
新聞の記事によると、施設だけでなく小学校や、東日本大震災の仮設住宅にも笑いを届けに行っていたらしい。

今もお元気そうなWさんの写真を拝見して嬉しくなって、Kさんに連絡した(Wさんの連絡先がわからなかった)。私が連絡したことをWさんに伝えてくださるそう。祝賀会をする時には、是非声をかけていただくよう頼んだ。

緑綬褒章、おめでとうございます。どうぞこれからもお元気で。





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