自己紹介と言いつつ過去の話

こんにちは!遥稀です。

現在26歳 上司のパワハラ・モラハラをきっかけに適応障害にて休職中です。
note始めてみたんですが仕様がよくわかってないので勉強しながらやってこうと思います!
割とくそ真面目な人間で、自己表現が苦手です。
関西人ですので、関西人丸出しでやっていこうかと思います!
是非読みながら関西弁を思い浮かべてみてくださいね笑

なんでnote始めたんや?

まず初めになんでnoteを始めようかと思ったきっかけなんですが、主には適応障害で休職する事に不安を覚えたことですかね。
もーめっちゃ自分が休職するなんて思いもせんくって、むしろ転職してはい退職しまーす!ってやろうと思ってたんです。でもね、そんな人生うまいこと行かんくっていざ休職するかもってなった時めっちゃ不安で。ネットで調べてもね、まあ綺麗な話しか出てこんくって。(私の調べ不足やわ)
それでね、今休職しようか悩んではる人に少しでもねリアルな話届けれたらええんちゃうかなって思いました。いや、私が少しでも口に出さんとしんどいからですごめんなさい笑
まあ理由なんていくらでもありますわな

遥稀さんの過酷な学生時代について(人それぞれ)

はい、理由はわかったわ、とりあえずどんな人よって感じですよね?
適応障害起こして休職する人ですもん、私も気になりますわ。
学生時代の私のこと詳しくお話しさせていただきます。いじめだったり精神疾患の話もあるので苦手な方はお気をつけください。自分自身の見つめ直しにも書きます。
かなり長くなるので結論からお話ししますね。
学生時代は人間関係がまっったくうまく行かない人間でした。どこ行っても失敗。
その結果医師からの診断、
境界性パーソナリティ障害・解離性同一障害(当時は14人とか)
自覚があるのは躁鬱・拒食・過食障害、自傷自殺行為・平衡感覚の欠乏・腹部の膨満感・逆流性食道

こんなことがあり、自分をうまく出せんくなりました。
長いのでネタっぽく書くのでどうぞお時間のある方はお付き合いお願いします。

家族編成

父 母 姉 私
四人家族です。
姉は7歳年上で割と現実主義なタイプです。喧嘩強いし負けず嫌い。
私もその遺伝子引き継いでよく幼少期は姉と取っ組み合いの喧嘩してました。
よく足技かけられて倒されて悔しくて何回も向き合って足技食らってました笑
父は無口でしたが父母ともに親バカで過保護でした。いえ、今も過保護です。
無口な癖に甘える時は遥稀ちゃ〜ん💓って感じで父親大好きだった私もどこかで冷めた記憶があります。そこからかな無口なったん笑
母はよく喋るせっかち人目めちゃ気にしぃでした。みんな性格ちゃうな。
娘をいじって愛でるタイプの両親でそれはまあ嫌いでしたね。

小学生時代

幼少期・小学生時代とよく覚えていないんですが、割と大人びた性格やったと思います。姉の影響ですかね、色々大人びますよね。いや、自我が強かったんやろうと思います。曲がった事大嫌い、自己中問題児。
小学生にしては冷静な方で、外で遊ぶのが大好きな子です。近所の男の子たちと外暗くなって19:30までとか永遠に遊びまくってた小学生時代。常におかんに怒られてました。でもそれとは裏腹にびっくりするくら人見知りやったんですよね。

小学四年生くらいから私は周りの男の子より体格も大きくて目立ってたんでしょうか。その時から一人の男の子から嫌がらせを受けるようになりました。
あまり他人に興味ないからかあまり喋らない小学生時代を過ごしていたように思います。男の子からは「おい!根暗!お前全然喋らんやんか!暗子や!お前はくら子や!」と言われたのを覚えています。
そして言われたことに私は「は?黙れ」って言ってました。
強、え、強ない?怖すぎました笑
それがおもんなかったんでしょうね、いじめはさらにヒートアップ。
私の嫌いなアサリが給食で出た時には給食当番の男の子が
「お前、アサリ嫌いなんやろ?好き嫌いあかんからな。これ全部食べ終わるまで昼休み外でんなよ」と言われ、アサリの味噌汁を懐かしい銀の器に30個ほど入れられてました。
なんでか数えたんですよね
「1、2、3・・うわ30個も入れてるやん。あいつクソかよ」って思いながら私も律儀なんで頑張って食べてたんです。確か13:30までお昼休みで13:20まではねばってました。負けん気が強いですね。
でも途中でなんであいつに従わなあかんってなって始めて給食を残しました。

そんな小学生時代ですね、自我強すぎますね笑
今思うととんでもないことされてたって思いますし、男の子は実は私のこと好きやってちょっかい出してたんかな笑
意外とやられたほうって覚えてますよね。気をつけよ。

中学生時代 

ここから笑えんかもですね

中学一年生で友達に乗り気じゃない吹奏楽部の体験入学をみに行きました。たった10人くらいしかいない先輩達の演奏と本気で好きでやってるってのが音から伝わってくる事に鳥肌がやばくって即入部しました。
そこからは穏やかに?過ごして…いや、そんなことなかった。
真面目やからこそ掃除せんクラスの男子とかにはちゃんと掃除せえよ!って言ってました。いえ、照れ隠しやったんかな。その男子のこと好きでした。伝え方男子かよ笑
その好きな男子には「お前ってほんま冷徹よな」
それを機に冷徹って言葉覚えました。ただの自己中だったんですね〜
まあそんなことがあり、中二になった瞬間に事件が。

後輩が入ってきたことにより、人見知りな私でも先輩、同期や後輩は平気で。むしろ交流が意外と好きになってきてて色んな後輩に声かけまくる陽キャ先輩でした笑中学生にもなると女子ってグループ作るじゃないですか、陽キャと陰キャグループみたいな。あそこに属してないとやばい。みたいな。
元々私のいたグループもグループよりかは好きな子と一緒にいてたらいつの間にかグループになってたんですよね。仲間意識クソ高くって
一緒に帰ってたら前に後輩がいて、後輩に声掛けに行ったんです。陽キャ先輩だったんで笑
ちょっと話したいって思って直線距離を一緒に帰ってただけでその後合流した気がします。
それをきっかけに次の日からグループから外されたんですよね、
帰ろーって言ったらそこのボス2名からフルシカトを受けまして。
「みんなかえんでー」とその他の子達を呼んで帰られました。
他の子らはボスの言うこと聞くしかなかったんでしょうね。
まあ、私はメンタル強だったんで機嫌悪いだけ?まあいっかくらいで。前々から一緒に帰る意味ってないやん?って思ってたから特に気にしてなかったんですよね、皆帰る道ほぼ一緒やし。普通に帰って、次の日はまあ機嫌直ってるやろって思ったら次の日もあかんくってそこから色々ないじめが始まりました。

ここで助かったことは吹奏楽部内だけでいじめが起きてたことが救いでした。
でもクラスの子達も薄々気づき始めるわな笑

授業終わって音楽室行こうと思ってドア開けようとしたららいじめグループの手下二人が教室から出られへんようにドア押さえ付けてたんです。こん時教室では一人。
外からは聞き覚えのある子達の笑い声。開けろや!ってドア蹴った記憶もあります。うわー!怒りよったコワ!キャハハ
2回目蹴ったら笑いながら走って逃げていきました。
まあ大ごとにする気もなくって二人じゃないとできひんよーなことすんなよとか思いながら過ごしてました。やっぱメンタル強

そこまでは普通に部活は過ごしてたんです、なんでかって?
先輩がいたからです。先輩にいじめバレたら怖いよなーそりゃ。
先輩が卒業間近、ボスが部長・ボス2が副部長に選ばれました。そんな悪事をやってるとは知らずに。ここでボスに言われたことを今でも鮮明に覚えています。
「今は先輩がおるけど卒業したら覚えとけよ」

まーなんて怖い怖い。そんな人を部長にしてしまうんですよね、
うちの部員は少なく30人くらいでした。
少人数ながらも上手い吹奏楽部でした。
何かあればすぐ集合つけて部長が全体話し合いをするという古臭いやり方です。
当時はいい方向にやってました。そんな意識の高い吹部が、先生が、先輩たちが大好きでした。

そんな伝統引き継ぐに決まってるじゃないですか。

さてこちらも伝統。全員集合した時に部活をずる休みしたり、校則違反したりと問題を起こした子は全員の前に立って自らの行いを謝罪させられるんです。先生ではなく、学生が。そしてこんなことをやった人に対してどう思いますか?今後どうしたらよくなりますか?と意見を述べさせられる地獄な時間もあります。

さて、先輩も卒業したことやし、始まりますいざ、

公開処刑🌟

30人の同期と後輩の前で私のしたことを謝罪させる場が開かれました。
これは私の問題も多少あったとは思いますが、ほぼいじめの吊し上げです。
もちろん、後輩はそんないじめのことなど知るわけもないので何を先輩に言えばいいのかわからなくて困ってる子もいました。いじめてる本人達は気持ちよく私のことをとてつも悪く言ってました。ほんっとうあの時間は地獄でした。
何より関係ない子達を巻き込んで自分が気持ちいいことをしたことに誇りを持ってる部長が全体をまとめていること。
流石にこれを機にメンタルをぶっ壊しました。
でも部活に行かなくなる=全てを認めて負け
だと思ってた私は何食わぬ顔で部活行ってました笑
流石に来ないと思ってたんでしょうね、行った時にみんなびっくりした顔してましたよ笑

でも反動は意外にも大きく、ご飯が食べれなくなりお弁当も食べず寝てたり、怖くてトイレの中で小さいおにぎりも食べたことがありました。
体重も5kg落ちました。階段登ってもふらふら。そんな中楽器吹いてました。
かなり家族にも迷惑かけたと思います。
ですがここで更なる問題が。

家族にも

味方がいなかった

こと。

うちの家族は割と頭ごなしに否定する家族ばかりです。
口癖のように〜ことがあってん。と話すと

それはお前が悪いわ。

そんな家族です。笑
今思うと社会の厳しさを教え込まれてたと思いますけど、流石に当時14歳の私には重い言葉でしたね。姉も22歳でしたし、多少は社会の厳しさを経験してたでしょう。両親も高齢出産でしたので強くなってほしいと言う気持ちが先行してたんでしょうね。
味方してくれてたのは唯一おばあちゃんのみでした。
私の話に、それは向こうがおかしいわ、そんな相手しやんとき。と。
言葉って難しいですよね。一番初めに言われたことが染み付くんです。後でフォローしようとも。
これ、大人になっても職場でも使える技ですからねメモしてください笑

指摘する時は褒めたり肯定してから指摘すること!


家にも学校にも居場所がない。かなり辛かったです。
次は誰に否定されるんだろう、自分の存在を。生きてる意味あるのかな。

家族に否定されたらもう、何も残りませんよね。友達も勘づき始めてよそよそしくなるし、それもわかるから関わらんくなるんですよね。もーずっと一人ぼっち。
そこから拒食が始まりました。
当時ネットでブログ書いてたんです。その時にブロ友22歳くらだった気がします。年上とは仲良くなれるタチなんですよね昔から。姉とは仲良くなかったですが笑
そんなブロ友が同じように悩んでて自傷行為をして写真を載せていたこと。
これだ!って思ったんでしょうね、これをすれば楽になるかも。そしてこれを見て家族は辛いこと言ったことに後悔するだろうと思ったんでしょう。
ここから始まりました自傷行為、リスカ・アムカ切れるところは割としました。
14歳、傷跡を隠すのも下手で押し入れから引っ張り出してきた包帯巻いて隠してました。
学校は白靴下が規則でしたのでその包帯が透けて見えてたのでしょう。
当時、新人担任だった先生に親にバラされてしまいました。
まあその先生も正義感が強いもんですぐ言ったんでしょうね、様子がおかしいこと。そのせいで更なる地獄の始まりです。

家での尋問が始まりました。
まあ、開口一番にお前が悪いわ。
と言う家族ですから、母からはなんでこんなことするんよ!やめなさい!と取り上げられました。
心配されるどころか怒られた。
ここでまた傷ついてしまいました。本当に居場所がない。自傷行為は止まるどころか加速する一方。
流石に酷くなり学校の友達もドン引きで腫れ物扱いですわ。
学校の先生も保健室呼んでくれてそこでおり。とか話聞くで。とか
私も学生時代そうやってん。って教えてくれた先生もおりました。
この時には誰も信じれんくなってたから誰の話も嫌でしたね、偽善者が。って思ってました。
腕が全て包帯だらけでした。今思うと辛い思いしてんねん私ー!!って主張してたんかな。ケロイド気質のある私は今も傷跡残ってます。
多分この頃秋やった気がします。運動会してたのは覚えてるけどどうやって参加してたんやろ笑 でも一人っきりやなかったんですよね、誰が居たか覚えてないけど。隣にいた友達に感謝です。

これがきっかけで心身の病状は悪化しました。
心療内科に通う意味もわからなくって拒否してました。一回行って終わった気がします。傷の痛みも感じないのでやりたい放題でODも始めました。
鼻炎薬だったからか何も意識飛ぶ事もなかったんですよねー。死なれへんやんって思ったことあります。
多重人格も酷く、親の前でも一度だけやらかしたことあります。
親も真面目でね、一度知ったことは全て明かしていかないと気が済まない性分で
私がガラケーに撮りためて鍵かけた自傷行為の写真とか全部ロック解除して
何これ!?と私に見せる人間です。プライバシーのかけらもない笑笑
まず自分がやってる事も怖いわ笑

母が私の部屋に来て、寝たふりしてる時に私のケロイドになって治らなくなった傷跡を触りにきた事も覚えてます。辛かっただろうな。

そんな壮絶な時期を乗り越えて

部活引退と共に原因からしっかり離れたので回復していきました。そこから過食が始まりましたね。
あれ、意外とそこから過酷やったかも?
多分激痩せしてから6、7kg太りました笑
食べても食べても止まらなくて、食べてないと落ち着かなかった。
覚えてるのは夕食前に母が買ってきたポッキーのファミリーパックを全部食べた後にポテチ一袋、一口チョコレートあのドレミのやつ?全部食べる
そんなことやってました。うっすら覚えてるのはテーブルの上に自分が開けたと思えない袋のゴミでした。そのせいで腹部の空気の膨満感、いつも空気くってたんでしょうね、ゲップも止まらんし逆流食道もあってかなり辛かったです。

このあたりからは流石に母も放置でした。むしろ見守ってくれてたんかな。
これも辛かったろうに。見てて。
そのまま症状も少しずつ落ち着いてきて中学を卒業しました。
この間一回も病院行ってないです笑
皆嫌いやったし、なんせ居心地悪かったから誰もいない学校に進学しました。
連絡先もガラケー変えるタイミングで全部消しました。Iphone5でしたね。あれ?もう14まで出てんで。
でも蓋開けたら一人知り合いおってんけど笑
まあそれは次回。

今回のまとめ

今思い出せることはこんなものでしょうか。
いやー書き出すとえげついですな
こうやって自己肯定感が落ちてったんでしょうね。
もう3時間くらい書き続けてるんでそろそろ終わります、
次は高校生編です!

ゆっくり更新していこうと思います。


遥稀



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?