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その服、バブル期に付き。

今日の断捨離。
華やかなブルーのコート。
金ボタンがすごくゴージャスで、手触りもソフト。
素敵なのだが、バブル期に付き肩幅がえらいことになっている。
断捨離しよう。

思えば、皆なんであんな恰好で平気だったんだろう。
「男女7人夏物語」の大竹しのぶなんか、フットボール選手みたいなジャケット着てルンルンでデートに来るよね。
迎えるさんまも「おいおい、どないしたんや」とツッコミも入れない。
なぜなら、自分たちも半端ない肩パット入ってるから(笑)。

近来、これほど価値観の変化を見せつけられた事例を私は他に知らない。
しかも体感だから。自分の感覚が変わったから。

当時は70年代のミニマムスタイルがものすごくダサく見えた。
あんなのカッコ悪くて着られない、なんて思ってたのに。

「昔の服だからサイズが小さ目。もうゼッタイ着られないよ」

と口に出して言ったことさえある。
タイトであるという理由で、昔の服を処分していた。
今や、

「バブル期の服だから肩幅が異常。もうゼッタイ着られないよ」

と私だけじゃなく誰もが思っている。
そんで「肩幅」で服の年代がハッキリわかる。

タイト(~70年代)→超人ハルク(80年代中期~90年代初頭)→タイト(~現在)

こうなっている。
自分の価値観がこんなに変わったことがまず信じられない。
あの頃「だいぶ控えめだな」と思ってた肩幅の服ですら、今はデカすぎて着られないからね。

あの肩幅が街角から消えてからというもの、反動なのか世の中はめっきり地味になった。
ゴテゴテした大振りデザインが売りだったシャネルでさえ、火が消えたようにおとなしくなった。
アクセの色はゴールドからシルバーに変わり、大きさは半分ぐらいになり、そして、私の愛したゴージャスなシャネルは失われた。

肩幅のおかげで私はだいぶ洋服を処分することになった。
いや、ソレがなきゃ処分できなかったと考えると良かったのかもしれない。
ただ、一番お金を使ったのがそれらの服だったので辛かった。
刺繍やラメの美しいスーツを何着もゴミにした。
現在進行形でゴミにしつつある。このコートもね。
でもしかたがない。銀座でバブル時代を再現したバーでもオープンさせて自分がママにでもならない限り、二度と着ることはないとわかっている。
十年後ぐらいに再ブームが来ても、私にはもうあんなスーツは似合わない。そもそもギラギラした服を着たいと思わなくなった。
今は、上質なコットンやリネンで、キレイなピンタックや優しいギャザーの入った、着心地の良い服を少しだけ持っていたい。

そう言えば昨年あたりからまたオーバーサイズが流行っているそうだが、全然感じないな。信じられないな。どこで流行ってるの?
ま、ヒルナンデスの三色ショッピングでしつこく言ってただけだから、信憑性に欠けるわね。

さて、このコートには素材表示がない。
昔は表示が大雑把だったが、丸っきりないのも珍しい。
古いコートにしては柔らかいから、アンゴラかカシミア入ってそう。
でももう絶対に着ないと断言できる。着たい人もいないだろう。
メルカリに出したとして、夏の真っ盛りだから売れるまで時間かかるし、手元に500円残ればいいところだ。
そんなはした金(下品)のために説明文を工夫して、場所を探して撮影して・・・馬鹿げている。
よく見たら肩のあたりが少し黄色っぽくなってる。肩幅デカいから、ハンガーに掛けてる時にスレたか。
決めた。ボタン外して解体します。

ポケットがカッコいいから、切り取ってバッグ作る時にでも使うわ。
だからあ、それがあかんのよね。断捨離の大敵なんよね(ごめんワタシ関西人じゃありません)。
わかってる。わかってるの。
でもホラ、「やっぱ捨てる」って思えたら捨てればいいじゃん。
軽はずみにゴミ袋に入れて、ゴミ捨て場に持ってった夜にどうしても諦めきれなくて、夜中の3時ぐらいに起き出して、ゴミ袋広げて探す羽目になるとか泣くでしょ。←諦めろよ

とりあえず今、メタル製の(近年はプラ製が多い)金ボタンを外しているところです。
ボタン数個を手のひらに載せるとずっしりしてて、このコートはけっこう重かっただろうことを思う。
私も含め、みんながんばってたんだな。

その服、バブル期に付き。

つらい毎日の記録