ミッドナイトインパリ

『ミッドナイト・イン・パリ』 ウディ・アレンはいつから癒し系に?

by キミシマフミタカ

 ウディ・アレンの映画といえば、美しいけれど俗物の女性と、俗物は嫌いだけれどその女性の美しさに惚れている理屈っぽい男性が出てくる、と相場が決まっている。この映画も、その構図をきちんと踏襲している。舞台はパリ。冒頭、パリの美しい風景が絵葉書のように延々と映し出され、いったい何の映画なのか? と不安になる。

 主人公は、小説家になりたいハリウッドの脚本家で、美しい婚約者とその両親とパリに観光に訪れている。彼は1920年代のパリに憧れていて、ある夜、パリの街角を歩いていると、いつのまにか1920年代のパリにタイムスリップ、心酔しているヘミングウェイやフィッツジェラルド、ピカソやコール・ポーターなどに出会う。そしてピカソの愛人であるミューズ(女神)のような女性に恋をする。じつにウディ・アレン的な展開だ。

 ほのぼのとした展開に、なかばまどろみながら、それにしてもいったい何の映画なのだろう? という疑問が頭から離れない。往年のアーティストたちに会えて良かったね、という映画なのだろうか? 自分の小説の草稿を、あのガートルード・スタイン(キャシー・ベイツが演じているが、イメージにぴったりだ)に読んでもらい、アドバイスを貰うというのは、確かに素敵なことだと思えるが……だから?

 この映画の教訓(ウディ・アレンの映画はすべからく教訓的なのだ)があるとしたら、以下の2点にちがいない。その1、いくら綺麗でも、相性が良くない女性と結婚してはいけない。その2、いつだって他の時代の方が良く見えるものだ。
 あまりにわかりやすく、この2つの教訓が提示されるので、おなかがいっぱいだ。甘酸っぱいハッピーエンドも、最近の映画(2011年の作品だけれど)には珍しい。そのせいで、逆にとんでもなく前衛的な映画にも感じられる。

 で、自分だったらどの時代にタイムスリップしたいか、について考えてみた(そのくらいしか、この映画を見て考えることがない……)。たとえば、太宰治とか坂口安吾? 彼らと酒を飲み交わしたいかと聞かれると、遠慮したい。そこで思考停止してしまった。

 ちなみにウディ・アレンは、アイデアを出すために、暖かいシャワーを浴びる習慣があるという。わざと寒い格好をして体を冷やしたあと、シャワーを浴びるらしい。そんなエピソードもほのぼのとしている。ウディ・アレンはいつから癒し系になったのだろう。

 

 


 

 

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