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「THE SINNER〜記憶を埋める女〜」シーズン1 この世の中に、失われた記憶ほど、恐ろしいものはあるだろうか?

by キミシマフミタカ

 ある平凡な若い主婦が、ある週末、静かな湖畔に家族で出かける。湖の深い水の中で彼女は泳ぎ、岸に戻る。幼い息子と夫がいる。ビーチマットで果物を切る彼女、目の前には幸福そうな若いカップルがいる。そのとき、カップルがある曲をかける。その曲を耳にした彼女は、突然立ち上がり、近づいて行って、果物ナイフで男性を刺殺してしまう。

 血まみれになって茫然としている彼女を、夫が取り押さえる。湖畔はパニックになる。現行犯で逮捕された彼女には、動機がまったくない。殺したのは見知らぬ男だ。彼女自身にも動機がわからないが、自分は有罪であると認め、弁護士もいらないという。理由を聞かれると、「音楽がうるさかったから」だと言う。まるで、“太陽がまぶしかったから”殺人を犯した、「異邦人」のムルソーのようである。

 このシリーズの主人公は、この捜査を担当する刑事、地元警察のアンブローズ警部補だ。彼はなぜ彼女が見知らぬ男を殺したのか、動機があったはずだと考え、捜査を始める。そしてある目撃者の証言から、彼女と殺された男は“知り合い”だったのではないかという疑念を抱く。物語はそこから、謎に満ちた彼女の失われた記憶の迷宮に入ってゆく…。

 主演は、ジャスティン・ティンバーレイクの妻でもある女優のジェシカ・ビール。アンブローズ警部補を演じるのは、「インデペンデンス・デイ」の大統領役というよりも、デヴィット・リンチの「ロスト・ハイウェイ」の印象が強いビル・プルマンだ。ジェシカ・ビールの迫真の演技もさることながら、過剰になり過ぎず、かといってクール過ぎないビル・ブルマンの、怪しげで老練な演技が、このドラマの上質なトーンをつくっている。

 サスペンスの掟は、最初に謎を提出することにあるという。その定石通り、視聴者は警部補の行動に付き合い、謎が解明されるまで、物語から離れられなくなる。この物語は、最初にクライマックスがあり、そこをゴールとして、現在と過去が交互に描かれてゆく。 このドラマのスリリングな点は、真実を解明するため、時間が逆行し、記憶が検証されることにある。この世の中に、失われた記憶ほど、恐ろしいものはあるだろうか?

 考えてみれば、事件の捜査とは、常にそのようなものだ。最初に事件があり、捜査官は動機と背景を調べて行く。関係者の誰もが無意識に望んでいるのは、その背景に十分な“重力”があることだ。ショッキングな事件であればあるほど“観客”は深い動機を求める。この物語に充足感があるのは、“観客”の欲望に必要十分な果実を与えてくれるからであり、不確かで曖昧に見えた彼女自身が、実は十分な“重力”を持っていたからなのだ。

 Netflixでは既にシーズン2(別の事件)も公開になっている。シーズン1よりも面白いという評判もあるので期待したい。シーズン3も制作が決定しているという。

 

 

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