ストロベリーショートケイクス

「ストロベリーショートケイクス」池脇千鶴というせつない惑星について、および自転する女たちの物語

by キミシマフミタカ

 この映画が公開されたのは2006年。なぜ“ちょっと前の過去”はこんなにも古くさいのだろう? という内容の文章を書き始めたが、つまらないのでゴミ箱に捨てた。かわりに、登場人物の一人である池脇千鶴の魅力について書いてみたいと思う。

 映画のストーリーを追っても退屈なので、これも省略しよう。原作は魚喃キリコのコミックだ。都会に生きる女性4人の群像劇で、それぞれの職業は、フリーター、イラストレーター、OL、デリヘル嬢。イラストレーター役として出ているのが、原作者である魚喃キリコだったと後で知って、ちょっと驚いた。だって、上半身裸になっていたから。

 池脇千鶴の役柄は、男にみじめに捨てられ、デリヘル店の電話番として働いているフリーターだ。どう見ても中学生にしかみえないが、デリヘル店の電話番としては、けっこうリアリティがある。昔、クラブでバイトをしていたとき、そんな感じの女の子がいた。遊びまくっている派手な男女が多い職場の中で、素朴な感じが逆に新鮮だった。きらびやかな“あっち側”は嫌いじゃないけど、とくに参加しようとは思っていない女の子だ。

 そんな女の子たちは、全国のいろんなところにいる。記憶の中を探ると、下北半島の山奥にある恐山の土産物屋に、そんな女の子がいた。なぜそんな地の果てのようなところで、可愛い若い女の子が働いているのか? 賽の河原に風車が回っている辺境だ。その子は、昼間から幽霊が見えると言っていた。いつも視界の端に立っているのだという。彼女もまた“あっち側”に惹かれるが、そちらに行ってみようとは思っていないタイプだった。

 さて映画では、4人の女性たちは、それぞれに悩みを抱えている。イラストレーターは創作に悩んで過食と嘔吐を繰り返している。OLは世話好き過ぎて、好きな男に逃げられる。デリヘル嬢は見知らぬ男たちに金で抱かれながら、本当に好きな同級生には恋心を打ち明けられない。だが、そんな凡庸な悩みよりも、池脇千鶴の悩みの方が深刻である。彼女の悩みとは、切実に恋をしたいのに、恋人がなかなか現れないことなのだ。

 彼女がデリヘル嬢を誘い、スクーターに2人乗りになって、自分の母親を訪ねる場面がある。そのとき「(いまから訪ねるのは)おばあちゃんではなくて私のお母さん。私はお母さんが50歳のときの子どもなの」と言うシーンがあった。物語の本筋とは関係ないが、この映画で一番印象に残る台詞だった。そんなことを、あんなふうに屈託なく言える女の子は、それだけで宝物のような存在だと思う。

 他の3人の女優たちが、どことなくカッコつけて演技している中で、池脇千鶴だけが自然体だった。彼女の代表作には、田辺聖子原作の「ジョゼと虎と魚たち」がある。足の悪い女の子役だった。それがたとえお姫様の役柄であっても、池脇千鶴は、圧倒的にせつない。せつないけれど、母性のようなオーラを放つ。だから「ストロベリーショートケイクス」は、そんな池脇千鶴という惑星を中心に、ぐるぐる自転する女たちの物語なのだ。

 
 

 
 

 
 

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