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海外での友人との出会いと別れ

大人になってから海外に住むようになったとき、友人知人がいないうえ、言葉もまた覚束ない状態だった。
最初に出来た友人は、語学学校で知り合ったクラスメイトや、他のクラスの日本人だった。
殆ど話せない同士ではあっても、他愛ない話をしたり、家族の話をしたりしていた。初めて家に招待されたときは、本当に嬉しかった。
大学受験のための語学学校だったので、多くの生徒はその後いろいろな地方の大学に行ってしまい、今は誰がどこにいるのか、残念ながら把握していない。

だんだん言葉が話せるようになってきて、行動範囲も広がってくると、趣味繋がりで出来た友人が増えてきた。
その中には、日本人の方々もいて、本人または家族の駐在のための滞在というケースがある。彼らは数年後には、まだ日本に戻っていくことがほぼ確約されている人たちだ。知り合った時点で、駐在員(帯同)とわかると、恐らく無意識のうちに、近い将来また別れが来るということを、私の頭の中に覚えさせている気がする。そのときに、辛くならないように。

恐らく「ずっと」ここにいるだろう、と思っていた人との別れもあった。
私の現地のお母さんのような存在で、お父さんのような存在のご主人と共に、不思議なご縁を感じていたご夫妻だった。
突然ご主人が亡くなった後、数ヶ月のうちに日本に戻ってしまった。
暫くは自分でも気付かなかったけれど、あるときに、ぽっかり穴が空いたような喪失感を身に染みて感じた。
しょっちゅう会っていた訳ではないけれど、何かあれば頼りに出来る存在が身近にいるのといないという差の大きさに、打ちのめされた。こんなに、私は彼女のことを家族のように感じていたんだと気付かされ、胸が締め付けられるような痛みとともに、今までの存在のありがたさに感謝した。

去年、一時帰国した際にも、どうにか彼女に会うことが出来た。
住んでいる地の距離は離れてしまっても、私たちの間にある見えない糸が手繰り寄せられるように実際に会えば、距離も時間も瞬時に埋まってしまう。
その暖かさを感じられるから、関係が繋がっていることを信じることが出来る。

後、数ヶ月で、また新たな別れがあることを、既に知っている。
長い間、短い間お世話になった人、濃い時間を過ごした人、一緒に何かを成し遂げた人。いろいろな思い出が思い起こされる。

別れは寂しくて、辛いけれど、それぞれの選択を尊重したいので、今後の彼らの幸せを願いたい。

出会えたことに、感謝。
私の人生の中に、暖かさを、優しさを、ありがとう。
これからのあなたの人生が、幸せに彩られますように。

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