夫と私と梅酒と。

すぐにカッとなって怒る。
まるで瞬間湯沸かし器なのが私であり、そのおかげで火傷をするという、自業自得もおまけで付いてきちゃうのが私である。

怒ったらどうなるか。
怒っていませんよという顔は作るけれど、言葉が棘むくじゃらになって、相手をチクチク攻撃してしまっているんじゃないだろうか。
おやめなさい、と誰か諌めてくれないだろうか。

怒りの原因は、何か。
思う様にならなかった、とか、相手の発言を悪く受け取っていたり、時間に追われていたり、ぶつかられたり、など様々ある。

中でも思う様にならないことに対しての、沸点の低さは天下一品で、恥ずかしながら誰にも負けないかもしれない。競うことではないんだけれど。

ただ、ある日を境に、怒りそうになった時や我を忘れそうな時、もしかしてそうじゃなかったら?と自分に問いかけるようになった。

そうじゃない世界を創造していくことで、怒りの気持ちが徐々に薄まっていくのを感じ、怒りが赤色だとしたら、どんどん落ち着いた色へと変わり最後に白になっていくグラデーションのような気持ちの移り変わりを感じられたのだ。

そのある日とは、結婚して一年経ってからである。

一人暮らしのち二人暮らしになり、洗濯一つとっても、綺麗に分類し隙間をきちんとあけて干す夫に対し、とにかく詰め詰めでコンパクトに干す妻。夫の方がよく乾く条件ではあるけれど場所が必要で、妻は外に干したい派で、狭いバルコニーに出来る限り干したい。例えしっかり乾かなくとも全て外の風やお日様に当てたいと考えている。

そうこうしていると対立し、やがて各々が好きな様にやりはじめ、終いにはやり直したりする者が出る。効率もなにもあったものではない。

そうした違いから始まり、生活の中でささいな事が発端で、怒る場面も多かったように思う。

このままでは良くなることはないし、お互いにどう思って行動しているか話を聞くこともなく、こっちの方が効率が良い等の我を通しているのではないか。それならばまずは夫の話に耳を傾けるよう意識して行動するように、自分を変える努力をしてみよう。

するときちんと先のことや周りのことを考えて行動していたことがわかったのだ。世紀の大発見である。
と同時に、元々寡黙な夫の話を私がただ聞こうとしなかったのだと、思い知ることとなった。

それからは話をすることも大切だけれど、彼が考えそうなことも創造するように心掛けた。
なるほど、うまくいく。
足りないものを補い合う、夫婦とはそういうものなのか。私はまだ補ってはあげられないけど、そうなれるよう日々努力する。

毎日隣にいる夫に感謝しつつ、これからもよろしく、と幸せ太りした丸っこい手を夫の肩にかける。手作りの梅酒も美味しい。幸せだ。

あぁそうか、幸せって自分の気持ち次第なんだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?