「応援する」とは

ふとYouTubeを見ていると面白いテーマを扱っているものがあった。

個人的にはすごく面白いテーマだと思う。Jリーグ、海外サッカーに限らず、国民性、文化、もっと大きい「何か」を対象にして議論していた。ぜひ時間があったら試聴してほしい。

5:20あたりから、「応援するとはどういうことなのか?」について議論する場面が始まる。この時に私も「応援する」とは何なのか考えてみた。

私は常日頃から好きなものは何でも「応援する」と決めている。決めているからしているというより、応援することが楽しいのでしている。
以前のnoteで、櫻坂46みんなを応援しようと記したことがある。これに関しては以下の記事を見て頂きたい。

では、応援とは何なのか。全てを受け入れた上で、個人、グループ全てを肯定することなのか。それとも、時には非難をすることも応援なのか。

YouTube内では、6つ挙がっている。
誰かを応援するということは…

  • 片思い

  • 心より「幸せ」を願うこと

  • 無償の愛

  • 自分事とする(悪い、辛い時ほど)寄り添う

  • 思いやり

  • 幸福と苛立ちの連続である

とある。
全ての回答に対してなるほどと私は思った。あくまでも応援するってみんな形が違くてだからこそ全て正しいのだろう。

特に海外サッカーは日本より激しいなと感じる応援が多い。負けていると試合終了を見届けず帰るのである。当然お金を払って観戦しにきている。まして自分の愛しているチーム、幼少期から見ているチームにも関わらず、帰るのだ。日本人ではあまりないような感覚に感じる。しかし、それが応援の形なのである。国民性によって変わるものである。当然だが国民性に限らず、個人によっても大きく変わる。

では、それを全て肯定し、仲良くやっていこう。とできるかと言えばそんなことはない。時に違いを認められず、対立構造を生む事も多々ある。

特に、SNSの発展したいま、同じものを好きなのに対立構造が多くの場所で起こっている。同じグループ、アイドルのような同じ枠、同じ音楽、エンタメを好きなもの同士でだ。

これに関していかがなものかと思う。「応援する」とは思いやりであり、応援してる対象のみに注がれるべきものなのか。これに関して私たちは真正面から向き合う必要がある。

私は、推しメンが教えてくれた
身近な人にも、推しメン以外にもたくさんの愛を持って優しくしてね(意訳)」
というこの言葉を大切にしていきたいと思ってる。

それでは「応援する」とはいったい何なのかについて話を戻そう。
私個人の見解として応援するということは、
究極の片思い
だと思う。
片思いとは、心より相手の幸せを思うし、相手が幸せだと何故か自分も嬉しくなるものだ。相手が悲しんでる時は、話を聞いてあげたいと思うし、それが片思いだと思う。両思いでも一緒じゃないか、と思うかもしれないが、両思いは相手だけでなく自分の意志も強く出てくると考えていて、片思いとは少し違う。また片思いって1番楽しくなかったですか?(イケボ)(は?)

いや冗談じゃなく、冗談で。
でも片思いの相手に、他の人が現れると憎悪の気持ちが生まれる。これもまた応援するということで、この憎悪の気持ちが対立を生むのだと思う。先ほど対立についてあーだこーだ書いたが、それなら仕方ない気もしてきた。

「究極の片思い」だからこそ本当に難しい。
だけどめちゃくちゃ楽しいのである。
特にアイドルを応援していると感じる個人の成長、グループの発展。これが本当に嬉しい。そして、とても元気を貰える。また、アイドルも私たちのことを応援してくれてるのだと、そう思うことにしている。いや絶対そうだ。(言い聞かせ)

まあ色々脱線して、結局なにを書きたかったのか忘れてしまった気もするけど、アイドル応援するのまじ楽しいですよね!!!!!!!!!!!!!(なにこの締め方……)



追記
YouTubeのコメント欄で応援するとは…
自分の人生に彩りを加えてくれるもの」とあった。
これだ……これが真理かも……(急にどうした)
サッカー興味ない人も前半部分だけでも見てほしいなあほんと面白いから。

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