映画Arrival(日本語タイトル メッセージ)とVRを使った記憶の共有
まず、この映画を観たレビューは割愛する。レビュー目当ての方は戻るボタンをどうぞ。
自分語りから入るが、僕は15歳で日本を出て、ニュージーランドで英語と中国で中国語を学んできた。
どちらも学んでいた頃には、夢で見るぐらいには没入して学習した。
この映画のテーマであるが、両方ぎりぎりで言語が持つ思考の仕方の影響を受ける程度には、片麟に触れたと言えると思う。
今のAIが可能にした低コストな自然言語の翻訳が、人類に何をもたらしているかという事に、僕は基本的に否定的な見解を抱いている。
これは、自分が苦労した事を簡単にAIが置換してしまう事を憂いて言っているのではない。そもそも僕が英語や中国語を話せる事自体が、得をもたらした事など数えるほどしかなく、AIに置換されるまでもなく、スキルとしては労苦に見合わないものだったからだ。
あくまでスキルとしては…であり、学ぶ過程で、僕は英語や中国語を母国語とする人々の間で、受け入れられ、友人や家族として扱われ、多くの体験を共有し、彼らをミクロレベルで知る事が出来た。僕にとっては、それが一番重要であった。
正直に言えば、全ての人が他国語に没入する時期があるべきだと考えている。傲慢でもなんでもなく、大半の国では、母国語以外の言語を義務教育で選択可能科目として一つを必修としているのは、その為だと思う。
それぐらい島国の日本は意識が低いし、ユーラシア大陸ですし詰めになっている民族にとっては、あたり前の事である。
主に経済的な目的で発足した、今も義務教育で必修となっている日本の英語教育とは性質がいまだに異なるものであると思う。
そんな日本国内の矮小な問題は置いていて本題に入る。
さて、僕は、VRを使った完全に新しい非対面型のコミュニケーションを可能にできないかとここ数年考えていた。
極端で分かりやすいイメージとしては、映画やアニメの記憶共有等に見られる、その人の脳内に直接ダイブして、記憶を急速に共有する感じだ。
勿論、僕らはそんな事を一瞬で行う事はできないし、読み取り専用ならまだしも脳に直接イメージを刺激するダイブ式VRなど相当先の話しである。
仮にそれらの技術が開発されたとして、強制力のある方法で人の記憶を脳に書き込まれたいと思う人はあまりいないだろうから、最終的に自己解釈が挟まる古典的な方法で人は結局のところ脳みその中身を共有していくしかないだろう。
その中でのベストの方法が、現在の視覚と聴覚と触覚(一部)をハックするだけのVRで実現できる方法を僕は模索している。
それは、非常に整理された個人HPに近いものがあるかもしれないし、ポートフォーリオーに近いものとも言える。それらはあくまで平面のモニターや紙に印刷される事を前提としたフォーマットである。
個人の情報でほしいものが定量的に評価できる事であれば、別に上記のフォーマットでも問題ないだろう。が、興味がその人が「本質的にどういう人間であるか」に向いていれば向いているほど、定量的に評価できる事はどうでもよくなっていく。
情報公開している側が、自身の人間性を全面的に押し出した作品を作っていたりするのなら、一部の人には容易に伝わる事もあるだろう。
が、今の時代、商業的であるなら、自分の人間性と作品性は切り離されている事が多いし、一般職であったとしても仕事の内容は、自分の内面の実情から異なる事をしているケースも多い。
そもそも作品を通じて、自己の内面の表現ができる人間などほんの一握りしかいない。
大半の人にとって、自身の内面とは、文字にしてしまえば陳腐で人に見せられないものであったり、ステレオタイプにはめてタグ付けされる程に強力な属性ではなかったりもする。
本当は、それを数値化してくれるのが、性格診断だったりするわけだが、そもそも包括的ではないし、診断が自己認識力に依存していたり、一定の常識を要求していたりと、妄信して良いものがいまだに無い。
狂人でなければ、ほとんどの人間としての属性がグラディエーション的にバランスが取れており、発信する側もあいまいに発信して、受け取る側もあいまいに受け取るぐらいが本当は適切なはずなのだ。
そんな自分の内面を、noteにずらずらと言語化しても、誰も見てくれないが、なんかそのすごいVRアプリで表現したら、楽に共有できちゃうんじゃないかみたいな夢の話を僕はしている。
仮に無理やり一つ例をあげてみよう…
情報発信側がVRバンジージャンプをした時の脈拍データや音声を、心臓音として聞きながら情報受信側も同じVRバンジージャンプをする…みたいな体験を再生できるとする。
この体験の再生によって、得られる発信側への理解は、直観的なモノになるだろう。
が、僕らが友達や恋人に求めているのは、そういったロマンに近い部分であって、人格判断で何型であるかはどうでも良いのではないだろうか。
そんな近未来のイメージを今作「Arrival」は僕に広げてくれた。
良かったら是非観てみてほしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?