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UK HipHopの歴史① | UK HipHopの誕生

こんにちは

数回に渡り、UK HipHopから現在のUK Rapに至るまでの歴史を書いていきたいと思います。訂正等ありましたら、ご指摘ください。

UK HipHopを語る上でUS HipHopは必要不可欠な存在です。当然、発祥地であるアメリカ(US)のHipHopの記事は膨大に出てきます。
私は主にhiphop evolution(Netflix)でHipHopの歴史を学びました。"歴史"というとすごく昔のことのように思いますがHipHopが誕生したのは1973年です。まだ50年も経っていません。なので、HipHopの始まりとされるDJ Kool Hercも健在です。同じ時間を生きているってなんだか不思議ですよね。

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(DJ Kool Herc)

US HipHopのように気軽にUK HipHop/UK Rapに触れられるツールを作れたらなと思います。それでは、UK HipHopの歴史を軸に様々なジャンルやアーティストを絡めて書いていきます。

USでHipHopが誕生してから6年、初めてイギリスのシングルチャートにHipHopがランクインしました。
The Sugarhill Gang 「Rapper's Delight」(1979年)

アメリカ ニュージャージー州出身のグループです。イギリスの人々が初めてHipHopを聴く機会となりました。

その後The Clashの「The Magnificent Seven」(1980年)やAdam&The Antsの「Ant Rap」(1981年)などrapを用いた楽曲が発表されます。
HipHopというよりはRapを用いた曲って感じです。個人的にclashの曲は好きでした。

そして、最初のUK HipHopと言われているのが
Dizzy Heights 「Chirstmas Rappin'」(1982年)

王道クリスマスソング「Jingle Bells」がサンプリングされています。
この曲、1979年にリリースされたKurtis Blowの「Christmas Rappin'」と同じ曲名ですよね。何かしら影響を受けているのだと思います!

また翌年にはNewtrament 「London Bridge Is Falling Down」(1983年) もリリースされています。

この曲は童謡「London Bridge Is Falling Down」が使われていて選挙政治は偽物だという政治的なリリックになっています。YouTubeには他のバージョンもいくつかありました。

また、NewtramentはNYブロンクス出身のAfrika Bambaataaからインスピレーションを得たそうです。Afrika Bambaataaとは、簡単に説明するとHipHopの名付け親です。この時期にはThe Soulsonic Forceと共に「Planet Rock」(1982年)をリリースしています。

同じくAfrika Bambaataaに強く影響を受けた人物がいます。Malcolm McLarenです。

Malcolm McLaren 「Buffalo Gals」(1982年)

これはNYのThe World's Famous Supreme Teamというラジオやレコーディングをするクルーと共にNYで撮影されたものです。ビデオにはブレイクダンス、グラフィティなどHipHopの要素が詰め込まれています。これがイギリスで画期的なヒットとなりHipHopの文化が波及しはじめました。

Eminem「Without Me」(2002年)

Two trailer park girls go round the outside
Round the outside, round the outside

実は、聴き馴染みがあるこのリリック(0:14〜)Buffalo Gals(0:58〜)をサンプリングしています。とてもわかりやすいので聴いてみてください。

(余談ですが...Malcolm McLarenについて少し。
彼、凄いんです。渡米した際にパンクロックバンド New York Dollsのマネージャーを務め、帰英後にはSex Pistolsをデビューさせています。皆さん!あのピストルズですよ!すげー!)

このようにUS HipHopの文化を輸入する形でUK HipHopが誕生しました。ですが、ここまでのUK HipHopはあくまで 借りた文化でしかありません。この後、多民族が共存するイギリスの国民性が反映し独自のシーンを生み出していきます。

次回は、80s後半〜90年代のUK HipHopについて書いていきます。


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