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UK HipHopの歴史① | UK HipHopの誕生

こんにちは

パンデミックが始まり約1ヶ月
毎日家で一人呑んだくれていたらダメだと思い
新しいことを始めてみます。

最近はUKドリルにハマっているので(Pa Salieuおすすめです)
イギリスのRap文化について調べて私なりにまとめてみたいと思います。
まずはHipHopから。

UK HipHopを語る上でアメリカのHipHopは必要不可欠な存在です。当然、発祥地であるアメリカの記事は膨大に出てきます。私は主にhiphop evolution(Netflix)でHipHopの歴史を学びました。"歴史"というとすごく昔のことのように思いますがHipHopが誕生したのは1973年です。まだ50年も経っていません。なので、HipHopの始まりとされるDJ Kool Hercも健在です。同じ時間を生きているってなんだか不思議ですよね。

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(DJ Kool Herc)

US HipHopのように気軽にUK HipHop/UK Rapについて触れられるものにできたら理想です。インターネットの海から情報を集めるので、事実と違う部分があれば申し訳ないです。訂正等ご指摘もウェルカムです。

それでは、UK HipHopの歴史を軸に様々なジャンルやアーティストを絡めて書いていきます。

USでHipHopが誕生してから6年、初めてイギリスのシングルチャートにHipHopがランクインしました。
The Sugarhill Gang 「Rapper's Delight」(1979年)

アメリカ ニュージャージー州出身のグループです。イギリスの人々が初めてHipHopを聴く機会となりました。

その後Ian Duryの「Reasons To Be Cheerful」(1979年)The Clashの「The Magnificent Seven」(1980年)やAdam&The Antsの「Ant Rap」(1981年)などバンドがRapを用いた楽曲が発表されます。
Rapって面白いじゃんというノリが波及してきた頃だと思います。
clashの曲良かったです。

HipHopのアーティストとしてリリースした最初の曲は、Newtrament「London Bridge Is Falling Down 7" edit」かもしれません。
(調べた中では一番古かったです。)

この曲は童謡「London Bridge Is Falling Down」が使われていて選挙政治は偽物だという政治的なリリックになっています。YouTubeには他のバージョンもいくつかありました。

また、NewtramentはNYブロンクス出身のAfrika Bambaataaからインスピレーションを得たそうです。Afrika Bambaataaとは、HipHopの名付け親です。この時期にはThe Soulsonic Forceと共に「Planet Rock」(1982年)をリリースしています。

同じく、Afrika Bambaataaに強く影響を受けたMalcolm McLarenはこの時代の重要人物です。

Malcolm McLaren 「Buffalo Gals」(1982年)

これはNYのThe World's Famous Supreme Teamというラジオやレコーディングをするクルーと共にNYで撮影されたものです。ビデオにはブレイクダンス、グラフィティなどHipHopの要素が詰め込まれています。これがイギリスで画期的なヒットとなりHipHopの文化が波及しはじめました。

Eminem「Without Me」(2002年)

Two trailer park girls go round the outside
Round the outside, round the outside

実は、聴き馴染みがあるこのリリック(0:14〜)Buffalo Gals(0:58〜)をサンプリングしています。とてもわかりやすいので聴いてみてください。

(Malcolm McLarenといえば、 New York Dollsのマネージャー、Sex Pistolsデビューの立役者!凄すぎる!)

このようにUS HipHopの文化を輸入する形でUK HipHopが誕生しました。ですが、ここまでのUK HipHopはあくまで 借りた文化でしかありません。この後、多民族が共存するイギリスの国民性が反映し独自のシーンを生み出してゆきます。

次回は、80s後半〜90年代のUK HipHopについて↓


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