若い頃は
若い頃は所謂冒険家では無かった。
例えば怪しい人と付き合ってみるとか、
その当時大人が眉をひそめそうな服装をして歩くとか、
ミュージシャンを目指すとか。
両親の言う「妥当」な人生を普通に歩んできたつもり。
親が結婚とか初孫とかは自分に対しては関心が無かった。
だから結婚も初孫も事実ない。両親の「妥当」に自分の結婚は無い。
自分は反対されてもするなどは無い。
「はい。その様にします」
なのでお一人様だ。特にそれに対して思う事は無い。
自分も特にそこに思う事は無かった。
そうは言っても
自分なりの価値観というか正義というか単なる拘りはあって、
それを疑うことなく正しいと思えた時代は普通にあった。
まあ、今からみれば青臭い若さ。
それは絶対一番なんだと思う事。
こうして折り返し地点をくるりと回って、元に戻っていくんだけど
途中で「ちょっとこんな事をしてみよう」と今更ながらにあれこれと
手を出している。
親がいたら普通に反対する事をあれこれチャレンジとかね。
ただね、
同じ事をしているけど
若さが無い分だけ、
無条件にそれは絶対一番なんだとは思えない。
例えば人生初めてパンを一つ食べるにしたって
周りから「パンよりおにぎり」とか言われるだろう。
聞いた自分はそれもそうだとなる。
「でも私はパンが好き。パンが一番なんだ」と思う事がない。
若い時
今、「それが絶対一番なんだ」と無意識に思う。
絶対変わる。どうだろう変わるかもなんて思う事はほぼ無い。
そしてこれは永遠に続く。
長い年月を経て
若い人が
年寄りは説教臭いとか
古臭いとか
凝り固まった考えだとか
思う。
そしてそれはそうなんだろう。
今、老人の中のその時の若さを若者はみている。
そして「説教臭い」「古臭い」「凝り固まった考え」と名付けている。
その老人が若く溌溂だったころ「それは絶対一番なんだ」と思ったものを。
老人は何故か
歳をどれだけとっても
「それは絶対一番なんだ」
これは動かない。
動かしようもない。どうしようもない。
こうして
今自分が若い人と同じ事をしても
「それは絶対一番なんだ」は
永遠に来ない。
そういう事なんだ。
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