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マジョリティの死

スパムが挟んであるおにぎらずを買うかどうか悩む。食欲が落ちると一番食べにくいものが肉類だし。具のメインとして鎮座するスパムが自分には厚いけどこれ位が美味しいのかなぁと疑問も感じたり。一人なので食事に情熱がない。

障害者やジェンダーの差別を禁止しますとか、国籍や人種による差別はやめましょうという言葉を普通に街中やネットで見かけるし、定番のショッキングな見出しのニュースはこの界隈の話題が多い。

これらの話を見聞きする都度、事ある時々の気持ちを思い出す。

結婚した友人から程なくして子育ての愚痴が水を張った後の田んぼのカエルのように一斉に出てくると、自分をとっ捕まえては「独身で気楽でいいわよね〜」の合唱が始まる。食事をした・洋服を買った・旅行に出かけた。どこで仕入れてくるのか自分の情報を出してきて言い出すのだ。服に関して言えば新しい服を着ていたら言われるが。そしてこれに準ずる事を男性にも言われる。「女性は責任は無くて自由でいいよな」。選んだ職業が悪かったのだろう、責任の所在が自分に来る仕事に就いている。昔はこの仕事でぶち当たる「女性が担当って嫌だな」とか「お使いをよこされても困る」は普通だった。まあ今は違うけどね。

子供部屋のおじさんと同義語の「パラサイト」が出てくると該当するので新しいあだ名を頂く。親と同居していたが「パラサイト」とは程遠く住宅ローンの支払いも自分だった事や食事も洗濯も自分の分は自分でしていたし、父が大病を患うと制限付き食事は自分が毎朝作って出掛けていた。そして今、一人暮らしの自分を同性の友人からは優雅だと言われる。この点では男性からは行き遅れの哀れなババアと言われるが。

駅で障害者の方が一般人にキレていた事を目の当たりにした事がある。逆もある。ジェンダーの件でもネットに出てくる事は「自認と身体が違う辛さをわかってもらえない」「マイノリティの辛さをわかってもらえない」「世間から虐げられている」「社会のお荷物だと思われている」こんなところだろうか。

障害者の方に「あんたは恵まれている」と言われた事がある。それは「その障害」に関して言えばの話だ。DVの夫から逃れてきたお客様が言う「あなたは自由で恵まれている」それは「家族関係」において言えばの話だ。大きな問題ではあるが全てじゃない。でもその問題をかかえている人には全てなのだ。他の不幸や困りごとは一切ない。

そのようにとても恵まれている自分だが、その恵まれた世界では「障害の無い人間でもないんだから甘ったれるな」「ウザい」「子供も産んでない独身ババアは早く逝け」「バブル世代はクソ」「ブスは公害」「貧乏人は消えろ」「バカはひっこめ」もうじき定年だから「老害は山で野垂れ死ね」幾らでも罵詈雑言は出てくる。

全方位でマジョリティの自分は本来特に問題も無いのだ。勤労・納税・微々たる社会貢献をしているごくありきたりの人間だ。しかし、そのマジョリティ界では”理想から外れたありきたり”はマイノリティなのだ。社会のお荷物なのだ。

「子供を産み、幸せな家庭生活をする」「その子供はできがよい子」「見た目は美しく若々しい」「何かセンス(才能)がある」「名実ともに優秀」「何か大きな社会的地位を得ている」「人格者」「所謂お金持ち」これらの皆が理想とする条件どれか無ければこの世界ではマイノリティで、社会からつまはじきなのだ。


この文章を読んで、殆ど一般人がこのマイノリティじゃないのか?と思うであろう。じゃあマジョリティじゃないか!と言いたいだろうが、実際はこれらのどれかを持ち得る人々からつまはじきにあうのが、先ほどのマイノリティの人が言うところの「マジョリティの世界」なのだ。


幸か不幸かどれも持ち合わせが無い自分は完全なる死んでいるマジョリティなのだ。どこへもたどり着けずひたすらぼんやりとした日常をこなして意識が消えるまで続く。

幸い自分は平均余命はあと30年位。あっという間だろうし、多分30年の内の10年は殆どボケてしまい何もわからないであろう。

あと少しの辛抱だ。






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