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ブタゴリラと呼ばれて怒らない彼

キテレツ大百科というアニメをご存じだろうか?
そこに主人公とよくつるむ男の子がいる。

ブタゴリラだ。

ブタゴリラなんてひどいあだ名なのに怒らない理由がある。本名が薫だからそれが恥ずかしいからという事らしい。でもブタゴリラじゃん。しかも小学生なら尚更だと思う。幾ら自虐的と言えども本来なら嫌なはずだ。(豚とゴリラが大好きだからという特殊な性癖は除く)

ブタゴリラと呼ぶのも実はかなり勇気が要るはずなのに平気で言うのも相当キテレツだと思うけど、皆何食わぬ顔で呼ぶ。自分は呼ぶ勇気なんてない。
仮に皆が普通に呼んでいても。

自分に変なあだ名、例えば【ウンコメス豚】と付けたとされて、嫌だと思うし、今だって嫌。呼ばれたら嫌だと言うだろう。しかし相手は何食わぬ顔で

「ウンコメス豚!今日の宿題一緒にやろう!」

って言われたらやっぱり傷つくだろう。例え本名が【白雪姫】という名前だったとしても(多分、ね)しかも彼なら断れた筈だ。だってジャイアンと同じ立ち位置にいて、周りを子分扱いできるのだから。

現実世界では少々複雑で、例えば意地悪な子が「ウンコメス豚」と呼んだとして自分が止めてと言うと、意地悪な子は「だってわざとじゃないもん!
ただのあだ名だもん。嫌ってないし、本当にそんな事を思ってもいないもん!」
って自分にも先生にも両方の親にも言うだろう。

そうなるとこちらが仲良し仲間を逆に【ささいな事で】嫌っている扱いになる。そしてご丁寧に大人は言うだろう

「いちいち気にしてどうするの?大人になればもっと嫌な事は起こる」

仲良くする事が前提で話をすると、相手が如何に意地悪な理由でも仲良くしない方が悪いになる教え方を日本ってしません?自分は少なくともそんな印象しかない。嫌な思いをしても、そんなのを気にせず仲良くしなさいと言う。

意地悪な子はますます意地悪のままで良いし、意地悪される側はますます大人の対応をする必要があり、これは同等の立場に決してなっていない。気分が悪いあだ名を頂いて、大人の対応しろと同い年の子供に言う方がおかしいと、どうして教師は気が付かないのだろう?

子どもの頃転校する都度、変なクラスに入ると変わった苗字をなじって
酷いあだ名をつけられてしまうが、その時だって教師自体が「変な苗字だな」という。「珍しいね!一生に一度も会わない苗字かも」なんて決して言わない。

そんな自分は一足先に大人になってしまい、「どうせまた移動するし、はいはい、変な苗字ですよ。」と、冷めた子になっていく。そこには仲良くどころか「幼稚な相手を上手くあしらえ」という勉強をする事だけになってしまう。実際そうなってしまい、いじめられても親にも言わないし、子供だった自分は相当相手に馬鹿にした表情を向けていただろう。

もう大人の教えたい仲良くなんてどうでもいいんだ。


さて、ブタゴリラはそう呼ばれても気にも止まらない。言う方も、馬鹿にするつもりなんて無い。そこには大人も舌を巻く、全幅の信頼があるという事なんだよね。アニメではそんな事はみじんも出してない。それくらい当たり前の信頼関係なのだ。

だからあのアニメは完全な夢物語以外の何物でもないんだ。特に嫌なあだ名を言われる側にとっては。それ位今は残酷なアニメとしか自分は捉える事が
できない。

もうじきまた学年が上がったりして新しい人間関係に飛び込む時期が来る。
自分が傷つく相手と仲良しになれず、思い煩う日々が誰にも来ないで欲しいと祈らずにはいられない。




あのアニメを見ている誰かが気が付いて欲しい。

自分が密かに期待するのは、仲良くなるという事は相手に「嫌だ」を言う事も、言われる事も両方できる関係だと、誰かが何処かで教えていてくれるだろうという事。


誰か気付け。



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