得意なことってなに? を考えてみた

得意なこと何?と聞かれると迷ってしまう。

私はなぜ、「得意なこと」をはっきりと答えられないのか…

それは、やれば何でも”できる”から。私は、自分に「できない」という答えはない。だから、「できる?」「できない?」で”得意なこと”を考えると迷ってしまう。

だから最近、私は私なりに、自分の”得意なこと”を定義した。それは、「こだわりを持ってDoしたとき、特にうまくいったこと」。自分で導き出した解は、気持ちがいい、すがすがしい。

しかし、この解は詰めが甘かった。今日の学内プレゼン大会で気付いた。少なくとも表彰された先輩たちは、もうそのレベルを自然と越えているだろう。(うまくいくなんて当たり前で、こだわりなんかない、本人たちはきっと無心でやってる。だけど第三者から見ると比べ物にならないくらいすごい。みたいな感じ)

恐らく、本当に「得意なこと」とは、不調な時でもこだわりを持ってやり遂げられることではないか。

そう考えると、自分は、まだまだだと思う。不完全で自信さえなくなる。だけど、そこから生まれる「悔しい」という気持ちが、膨大なエネルギーになり、また走り出すことができる。だが、それは 長くは続かないことも自覚している。

私、やはり成果や賞賛がないと走り続けることはできないらしい。この自然な感情と、他人と比べることで生まれる「悔しさ」が葛藤し、ときに投げ出したくなるときもある。

「得意なこと」なんて未だない、キリがない、突き詰めるほど奥が深い、完璧などない、果てのないゴールにもがきながらも進む私たちは強い。

もう、できるとかできないとかというレベルはとっくに超えている。そう思えることは少なからず良い方向に進んでいると思う。

もがきながらも進み続けよう。