大切なことはすべて小学校が教えてくれた
私は、どんなに朝寝坊しても、必ず朝ごはんを食べるようにしている。
ご飯またはパンと、おかずと、余裕があればスープとかお味噌汁とか。
食べるものには別にこだわりはない。
朝ごはんっぽいものを口にすればクリアということにしている。
どうにも時間がない時はゆで卵一個でもいいから口に突っ込んで家を出る。
マジのマジで遅刻しそうになった時は、とりあえず家は出るけど、必ずコンビニで何か買って食べる。
お腹が空いていなくても、強制的に何か食べる。
二日酔いでも、胃が痛くても。
買い物する時間がなくて家に食材がなくなった時(滅多にないけど、ついこの前やらかした)も、コンビニで何か買って食べる。
なんで自分はこんなに朝ご飯に執着しているんだ?
今日、予定よりも起きる時間が遅くて急ぎたいはずなのに、なぜか卵焼きを作り始めながら私は考えた。
親に厳しく言われたわけでもないし、「朝食を抜くとひどい目にあう」みたいなトラウマ的体験もない。
気づいたら「朝ごはんを食べないと1日が始まらない」体になっていたのだ。
朝ごはんを食べないと、頭がはたらかないし、何より気持ちが「よーし今日もがんばるぞ」とならないように、気がついたときにはなっていた。
会社に行く電車で引き続き「そういえば、自分はどうして朝ごはんを抜けないんだっけ」と考えていた。
いろいろ考えて、結論「小学校の時の体験が今も強く心に残っているから」じゃないかと思った。
私の小学校では、保健室の先生の存在感が割と強めで、全校集会など生徒が集まる場でよく健康についてのお話をする文化があった。
夏休みに入る前や、急に寒くなる冬の時期など、何かと体調を崩しがちな時期に現れて、健康について説き、数日後にその内容を手作りの記事「ほけんだより」にまとめて、全校生徒に配る。
今思えば一体どれだけのサービス残業をしてそれをやっていたのかとギョッとするくらい、私の小学校では保健室の先生たちが精力的に活動していたのだ。
私は今よりうんと真面目な、クソ真面目な小学生で、先生の言うことを全部鵜呑みにするタイプだったので、「ほけんだより」に書いてある「生活リズムを整えていないと困ったことが起こるぞ!」的な内容を毎回しっかり読んで、しっかり怯えていた。
その中でも先生が繰り返し言っていたのが、「朝ごはんを食べないと1日が始まらない」だったのだ。
赤の食べ物、黄色の食べ物、緑の食べ物をきちんと朝食べて、エネルギーいっぱいにしてから学校に来るようにしましょう。
先生はいつもそんなようなことを言っていた。
小学生だった私は、学校の校訓「何事も力一杯やりぬこう」をこれまた鵜呑みにしていて、力一杯であること、つまり元気であることを良しとする価値観をバッチリ身につけていた。
そこへ「ほけんだより」の「朝ごはんを食べないと1日が始まらない」が加わり、「朝ごはんを食べないと元気が出ないのでダメだ」という価値観になったのではないかと思う。
大人になるにつれ、朝起きるのが苦手になり、私は何度も学校や会社に遅刻しかけた(本当にダサい)。
ときには、遅く起きたくせに朝ごはんを食べようとして遅刻寸前になることもあって、朝ごはんなんて諦めればよかったと後悔しながら駅を猛ダッシュしたりもした。
でも、子どもの頃に朝ごはんの大切さを叩き込んでくれた「ほけんだより」には感謝している。
あの「ほけんだより」がなければ、朝ごはんを抜きまくって、今ごろ頭ふらふらの状態で仕事をするダメ人間になっていたかもしれない…と思う。
他にも「ほけんだより」は、私に色々な、大切な価値観をくれた。
・どんな時も元気な挨拶をしましょう
・歯磨きは毎日しましょう
・疲れて元気が出なくてもお風呂には入りましょう
・アイスは一日一個までにしましょう
・夜はしっかり寝ましょう
どれも、大切だということは誰にでもわかるけど、案外できている人は少ないことじゃないかと思う。
私も全部はできていない。
夜寝るのが遅くなりがちだし、ヤケになってアイスを1日3個くらい一気に食べてしまうこともある。
だけど、ベースとなる価値観があった上でそれを守らないのと、最初から生活リズムをきちんとしようと言う気持ちゼロで守らないのとでは大違いだと思う。
…とか書いてるうちに遅い時間になってしまったので今日は寝ようと思う。
明日も朝起きるのが大変そうだけど、私は朝ごはんを食べてから会社に行くだろう。
(なんか今日のは一段とおもしろくない気がする)
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