すみません、お水をください

・差し入れでアイスをいただいた。\ワーイ/

・かつてアイスを買おうとしたけどショーケースの開け方がわからなくてすごすごと引き返したお菓子屋さんのアイスだ!!!!!

・仕事以外のちょっと困った時に人に尋ねるという行為が、もう良い大人なのに全然できない。なんというか、私のために余分に時間を使わせること全般に強い忌避感がある。

・良い大人がアイスのケースの開け方なんか尋ねるなよ、という見方もある。

・そもそも人に認識されることが苦手だからなのか、存在感がない。「あ、いたの!?」なんて、しょっちゅう言われる。
学生の頃は、ティッシュ配りの人に私だけスルーされたり、自動ドアが開かなくて悲しい顔をしたり、飲食店で私の前にだけお水が置かれなかったり、人に声をかけても気付いてもらえなかったり、そういう小さな小さな不運が積み重なって、仲の良い友人からは「"絶"(HUNTER×HUNTERにおける、オーラを消す技能)がうますぎる人」という扱いを受けていた。

・けれど、老若男女人種問わず道とか電車の乗り換えはよく訊かれる。よくぞ私を見つけたな、ってRPGの仙人みたいなことを思う。

・困っている人にだけ見える存在ってこと…!?


・幼少期から精神肉体ともに発育が遅く、幼稚園3年間は友達という概念が自分の中で発現しないまま、動物のように生きていた。先生の言う「おともだち」という呼称は「同じ空間にいる人」くらいの意味合いでしかなかった。
卒園アルバムには、一人で(一人で!?)元気いっぱいに遊ぶ私の姿がある。哺乳類の幼体としてあるまじき姿だ。
人間との関わりはほぼ生まれなかったが、当時は代わりに犬や猫がよく寄ってきた。人間以外の生き物は虫でも植物でも、けっこう愛でていたように思う。

・おともだちが1人もいないことを心配した先生に、お絵かきして遊んでいるグループに加わるように言われたりもしたが、そのやり方も、加わって時を共有することの意味も知らなかったので、傍らで立ち尽くして"おともだち"をぼーっと眺めていた。

・多分、今のご時世に生まれていたらこういう子どもは何らかの検査にかけられたり、場合によっては何らかの診断が下りたりする。

・小学校に上がると突然、男女問わず声をかけられまくるようになった。(当時はまだ勉強と運動ができたので、興味を持たれることが多かった)
問答無用で周りの子とコミュニケーションを取らざるを得ない状況になったため、「これが"おともだち"ってやつか…」という実感とともに最低限の社会性を獲得し、ひとまずは事なきを得た。

・ドッジボールや鬼ごっこ等の非言語的コミュニケーションが多かったのが自分にとっては幸いだったのだと思う。誘ってもらったのがおままごととかだったら絶対におともだちになれなかった。
ポケモンごっこはしたけど、なんかテキトーに鳴いてれば成立したから楽勝だった。

・このころは本当に運が良く、周りの子供たちに恵まれていた。育った家庭は問題ばかりだったけれど、学校はそれなりに楽しかったのでなんとか生き延びることができた。
小学校の同級生たちには感謝している。今となっては誰とも会うことはないけれど。

・これでもし私の預かり知らないところで同窓会とかが行われてたら、その時は指差して笑ってください。

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