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慎ましいという美徳

日本語学習者上級者用の本に、Php研究所の幸福論に山田洋二監督が寄せた文章があった。

彼らは、貧しさに不満を言うことなく、慎ましく暮らしていた。過分な欲望を持つことなく、身の丈に合った暮らしをしていた。今ある生活の中に、自分なりの幸せを見つけ出そうとしていたのです。そこに現代人が忘れかけている、あるいは無くしかけている大切なものがあるような気がするのです。

というもの。

アルフィーの高見沢氏、忌野清志郎、内田裕也、Ricako、ピーター、島田順子、黒柳徹子…
ロック歌手に多いが、年齢に関係なく独自のスタイルをブレずに貫いている人は、唯一無二の個性で、そのスタイル=その人で、素敵。
歳を取ってから世間や流行に媚びたり、身の丈と生活様式に合ったスタイルをしていないと、痛い人になると思う。
日本も高校生がブランドバッグを持ったり、賃貸アパートに住む人が高級外車に乗ったりという独自の身の丈に合わないどころか理解不能の文化がある。
わたしが今住んでいる国は、お金持ち風、セクシー風に見せる、いわゆる盛るのが大好きな国民性。そして年齢や体型に関わらず、ファッションの多様性に乏しい。
夢や目的を達成するのも、誰かに依存して、そのツテをつかって叶えるという習慣がある。貧富の差が激しく、持っている人が持っていない人に与えるのが当たり前という土壌だからなのか。
そんな文化だからこそ、身の丈にあった暮らしをしている人は、素晴らしい。コロナ禍による生活様式の変化で、社交の場に出ることがなくなり、2年経ってほぼ通常の生活に戻った今、また元のように人によく見られたいということだけをメインに暮らしている人って、まだいるのだろうか。
私は2年間コロナ疎開をして、都心から離れて暮らしていたので、一切合切の断捨離をし、交友関係は自然淘汰されて、身軽。そしてそんなふうになった人たちとの最近の新しい出会いが、とても楽しい。たぶん慎ましく、身の丈にあった暮らしができている人たちだから。そして、暮らしのスピードはゆっくりで、大変簡素化された。