J.S.ミル presents お笑いオールスター感謝祭①

M-1が終わってもう10日以上が経ち、気づけばもう誰もM-1の話をしてなくて悲しくなった。

8月1日の私の誕生日にM-1グランプリ2021が開幕してから本当に幸せな5ヶ月間を過ごさせてもらっている。

異常なほどお笑いに熱くなっている私を見て誰かが笑っていたら嬉しいし、さらにお笑いに興味を持ってくれれば、こんなに嬉しいことはない。
私がうるさくツイートをしているせいで普段の生活では聞くことのなかったコンビ名がみんなの頭に残れば、まさに思う壺だ。最高だぜ。

波乱のM-1グランプリ2021は、マイプリティーフレンド・スイミーの家で見させていただくことになった。というのも、私の家にはテレビがないため、こうした昭和30年代さながらの視聴方法を選択せざるを得なかった。
ピザも注文したし、飲み物もお菓子も全部揃ってる。
さすがに食事まで昭和30年代にするわけにはいかない。
ウキウキで注文したピザの到着を待つ私に彼女が言った。

「私、M-1見たことないんだよね」

なんだって?

そんな人間がいるとは思わなかった。
でも考えてみれば、一ヶ月前から当日にバイトを入れないように注意したり、公式があげるネタ動画を何十回も見たりする人間の方が頭がおかしい。
どうして私はこんな人間になってしまったのか。
スイミーの何気ない一言のせいで、私はまだ短い人生を振り返る羽目になった。

私の家族は他の家庭に比べてお笑い好きであると思う。
家族全員でケータイ大喜利の回答を考える週末が何より楽しかった。
母は毎週欠かさずココリコミラクルタイプを見ていたし、家にはDVDがあった。
姉はワンナイのゴリエが大好きで、母にCDを買ってもらっていた。
毎年那覇ハーリーでは沖縄版M-1、O-1グランプリのファイナリストを呼んで漫才をさせるイベントを開催しているのだが、父はハーリー会場に行くと必ずそれを観覧しようとしていた。
ちなみに、まだ海にダイブする動画を撮り始める前のせやろがいおじさんが当時出演していた。コンビ名は確かリップサービスだったと思う。

私自身が「お笑いっていいな」って初めて思った瞬間は
忘れもしない、
M-1グランプリ2008のファイナルラウンドである。
残った3組は、
NON STYLE
オードリー
ナイツ

面白い。面白すぎる。

当時の私は幼稚園生だったが、死ぬほど笑った記憶だけが今もなお残っている。

結果はご存知の通り、NON STYLEが優勝した。
そして、彼らは我が家の"推し芸人"になった。
毎月単独ライブのDVDを借りてきて、家族みんなで見た。
奇妙なことに、小さい頃の家族団らんの思い出にはいつもNON STYLEがいる。

私が小学校4年くらいになると、家族にはそれぞれ好きな芸人ができた。
テレビでネタ番組が流れているとき、テンダラーの出番になると台所から走ってくる母。
YouTubeでチーモンチョーチュウのネタばかり見る姉。

そして当時の私のヒーローは
ロザンとキングオブコメディだった。

特にロザンにはとにかく惚れ込んで、
普段のクイズ番組で見る姿とネタの面白さとのギャップに感動した。
あまりにも好きすぎたので、小4のお楽しみ会での出し物で友達を誘ってロザンのコントをやった。
担任には「面白かったよ」と言われたが、
当時の私は小学生のくせに
「面白いのはロザンだけどなあ」
と心の中でボヤいていた。
生意気にも「人のネタでウケてもなあ」と思っていたのである。

しかし高校生になって気づいたのだが、若手芸人の芸人を目指したきっかけが
「文化祭でサンドウィッチマンさんのネタをやってウケたのが気持ちよかった」
というのはかなりあるあるである。
高校の文化祭で先輩が四千頭身のネタでめちゃくちゃウケていた時はすごく輝いていたし、羨ましかった。
が、あれは四千頭身という当時人気急上昇中だったトリオのネタを、
しかも人気者の先輩たちがやることによってウケていたのだ。
誰も知らないお笑い好きの女生徒が誰も知らない漫才師のネタをやり出したら、
完全な”終わり”である。

話が逸れた。

話題を戻して、
中学1年生になった私のヒーローは
インパルス
だった。

板倉が創り出すダークな設定や奇天烈なキャラクターは
当時の私の心を鷲掴みにした。
板倉が生み出す創作物の全てが好きで、
彼が書いた小説『蟻地獄』をお小遣いを何ヶ月も貯めて買ったほどだった。

初めて生で見ることができた”推し芸人”もインパルスだった。
中1のゴールデンウィークに東京を訪れ、親に頼みこんでルミネに連れてってもらった。
そのときのライブにはインパルスの他に、とろサーモンやキングコングが出演していた。
あの頃はまだ西野もプペってなかったと思う。


そうして時は流れて中2になると、私のお笑い愛の主柱となる男と出会う。
爆笑問題、太田光。

ある日、彼がゲストで出演しているトーク番組を見た。
それはもう、とんでもない回だった。
叫びながら他の芸人や観覧の客に絡み、
言ってはいけないことをバンバン言う。
ひな壇に座っている芸人は頭を抱え、
MCは「もう帰れ!」と怒鳴っていた。

最高だ。

今まで見たバラエティ番組で一番だ。

本当にそう思った。


彼がテレビの中で好き放題やっている様を見ると、
例外なく笑ってしまうし、心がときめく。
笑わせてくれる芸人はたくさんいるが、
ときめかせてくれる芸人はそうそういない。

太田光は私の人生のスーパースターなのだ。


爆笑問題にハマった人間は、ラジオを聞き出す。

これは万有引力と同じく避けられない物理法則である。

爆笑問題にラジオの世界に誘われたおかげで、
塾の自習室で爆笑カーボーイ、おぎやはぎのメガネびいき、ハライチのターンを聞いてニヤニヤしている、激キモ中学生が誕生した。

以上が私の幼稚園〜中学校までのお笑い好き史である。

もうこの辺りから私の好みが確立され始め、
母との決裂が始まるのである。

母は太田光が嫌いだった。

つづく

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