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積読というプレッシャーからの解放を

いつも読んで頂きありがとうございます。
Amuletの迫頭です。

今年のGWは長い方で9連休でしたね。
大型連休はどこに行っても人がいっぱいだから、自宅でのんびり本でも・・・って方も多かったんじゃないでしょうか。
とはいえ、GWが始まる前はあれこれやろうと思っていたものの、実際はあっという間に時が過ぎ・・・なーんてことも、あるあるかなとw

そんな流れで本日は積読(ツンドク)について。

きっとこのGW、机の上に積んだままになっている書籍を「積読解消」と考えていたものの、
結局ちょっとだけ読んでGW終了って方もいらっしゃったのではと思います。

かく言う私にも積読がたくさんあります。
私の場合はちょっとだけつまみ食いして興味が持てないと放置するタイプ。
その結果どんどん本が積み上がっていくわけです。タイトルに騙されてるんですかねw

しかし、量が増えてくると存在感も出てくるわけで。夜な夜な積んでる本から「お前いつ読むんだよ?」って迫られてる気さえする時があるんです。

私ですらそう感じるんですから、もっと存在感が半端ない大学の研究室とかはプレッシャーがすごそうです。
ただ、実際のところ全部読んでいるわけではなく、必要なタイミングで文献として引っ張ってくるために置いてるわけです。

これを参考に考えると、積んでいる本はまさに今、自分に必要なものを反映しているのかもしれませんね。
もし仮にそうだとしたら、かなり昔に読んだ本を本棚から取り出した時に当時のことを思い出したり、
当時、自分の興味がそこにあったと確認できるって、なんか素敵なことだなって勝手ながらそう思えます。

このnoteを書くにあたって、積読を調べたところ面白い見解に出会ったのでそれを最後に紹介します。

そもそも「積読」は読書の一種という広義な捉え方で、読了してもほとんど内容を忘れてしまっているんだし、
それなら読んでなくても一緒じゃないかという暴論めいた話でしたが、妙に納得してしまいました。

ちなみに積読って、江戸時代にはすでに存在していたらしいです。

読まなくっていいじゃない、だって昔から、人ってそうなんだもの。
時代がこれだけ変わっても、人間の行動は大して変化していないんです。
これだけで積読本のプレッシャーから少し解放されませんか?!

積読を肯定したいがための苦しい言い訳というような、芯を食うツッコミは受け付けませんw
と、まだまだ隣にある積読本からのプレッシャーに負けず、これを書きました。

次の大型連休はお盆休み。
次の連休こそはと考えている方にとって、少しでも肩の力が抜ける内容となっていますように。

また来週お目にかかりたく思います。

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