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カテゴライズ

最近、めっぽう元気がない。気力が湧かなくて、集中力も続かなくて、ずっと漠然とした悲しさがある。でもこんなのは今に始まったことではなくて、大体5〜6年前、自分が高校三年生の時から、自分の体はそれらに支配されていた。

そのときは精神的な症状よりも身体的な、例えば倦怠感とかそういった症状が主で、当時は原因もわからず、スマホで自分の症状を検索したり、いろんな診療科を尋ねたりしていた。血液検査をしても心電図をとっても、特に異常は見当たらなくて、原因不明の体調不良に不安を感じる日々を送っていた記憶がある。

いつだったか忘れたが、その日も自分の症状をひたすらスマホで検索していた。うつ病、双極性障害、統合失調症、自律神経失調症などたくさんの病気の名前がヒットした。その中で今まで聞いたこともなかった、ある病気の名前を見つけた。具体的な病名は残念ながら(?)忘れてしまったが、長ったらしい名前で、要約すると「原因はわからないけどなんか体調が悪くなる」病だった。自分はこれだ、と思った。そう思うと同時に、なぜかとても安堵した。

キッチンで夕飯の支度をしている母に急いで伝えた。「なんでもいいから病名が欲しい人の病気じゃん」。

当時はそんなことを言う母に苛立ちを覚えたが、今なら母の言ったことが理解できる。結局私は、なんらかの病名が欲しかった。病名をつけてもらうことで、その病気という枠組みの中にカテゴライズされたかっただけなのだ。

主語がデカくなってしまうが、人はやはりなんらかのカテゴリーに属したい生き物なのかな、と思う。その最たる例がいわゆる「LGBTQ」で、自分がマイノリティだと思う人たちが各々名前をつけてカテゴライズしている。私が当時、あの長ったらしい名前の病気のことを知って安堵したように、自分の「異常性」に名前が付いたらきっと安心できるのではないだろうか。今や性的マイノリティの種類は数え切れないほどあって、それは人間のそうした性質の現れなのかもしれない。


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