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高校4年間という選択肢-2つの高校に進学した在校生と卒業生が感じたこと-

こんにちは。津和野高校1年の川瀬ありさです。

小学校6年間、中学校3年間、高校や大学に進学すれば更に3年間と4年間。私もこの道を辿るのだろうと思っていました。でも今、高校1年生2回目の生活を送っています。
同じく津和野高校に過年度生として入学し、高校4年間を過ごした卒業生の先輩方2人と座談会を行いました。
地域みらい留学をするか考えている方にも、そうでない方にも、読んでいって頂けると嬉しいです。

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ZOOM座談会の様子

自己紹介

ー初めに簡単な自己紹介をお願いします。

鈴木さん 2018年度津和野高校卒業生の鈴木元太です。現在は東京大学工学部都市工学科3年です。横浜国立大学教育学部附属横浜中学校を卒業後、横浜サイエンスフロンティア高等学校を自主退学し、津和野高校に進学しました。北海道出身です。(上写真右上)

堀田さん 2020年度津和野高校卒業生の堀田結子です。現在は国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科1年です。守谷市立けやき台中学校を卒業後、十文字高等学校を自主退学し、津和野高校に進学しました。神奈川県出身です。(上写真下)

川瀬 津和野高校1年の川瀬ありさです。鷗友学園女子中学校を卒業後、鷗友学園女子高等学校を自主退学し、津和野高校に進学しました。東京都出身です。(上写真左上)

「学校なんてたくさんある。
その中のたった一つが合わなかっただけ。」

ーどのような経緯で津和野高校に再入学したのですか?

鈴木さん 僕は横浜の高校に入ってから少し高校受験に燃え尽きてしまい、学外の活動に参加するようになりました。もともと地方に関心があったので東北の震災ボランティアに参加し、復興の現状や震災の規模に衝撃を受けました。特に印象的だったのは、同世代の高校生たちが街の大人たちを巻き込みながら行動する姿でした。彼らと話す中で高校生でも地域や社会で活動できるという事を知りました。そうして学校を休んで被災地を訪れる生活をしているうちに、通っていた横浜の高校での留年が決定しました。もう一度1年からやり直すという選択肢もありましたが、大学受験のための高校生活にしたくない、もっと地域や社会にリアルに関わるような学びがしたいと思い、進学を決めました。

堀田さん 茨城の中学に通っていましたが、中3の時不登校になりました。誰も知らない場所に行きたいという思いから、東京の高校に進学しました。しかし、通学時間が長く勉強と部活の両立が大変になってしまい、高1で再度不登校になりました。東京の高校での留年が決定し、母から山村留学を勧められました。ちょうど高校を探していた事や親元離れた場所で自分を変えたいと強く思った事から、進学を決めました。


川瀬 東京の中高一貫校に通っていました。中学卒業後そのまま高校に進学しましたが、コロナの影響を受け高1の最初がリモート授業になりました。私には合っておらず、それをきっかけとしてその時期から後期の途中まで、学校に行く気が段々と薄れながら学校生活を送っていました。しかし11月下旬頃、急に学校に行く気が無くなってしまいました。毎日勉強ばかりの生活でその先の将来の事を考えたときに、それは私に合っているのだろうか、社会に出たときに学びをどう活かせば良いのか知りたい、などと考えているうちに勉強以外の学びもしてみたいと思うようになりました。また、親元を離れて自立した生活を送ってみたいという思いもあり進学を決めました。

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合格通知書を持つ川瀬

ー過年度生として入学すること、留学することについて、両親の反応は?

鈴木さん 最初は心配されましたが、僕の意思を尊重し応援してくれました。親が止めて失敗させないよりも、失敗してもやらせたほうがいい、と考えてくれていたみたいです。

堀田さん 中学時代、両親は学校に行くことが当たり前だと思っていた分、不登校に対して良いイメージを持っておらず喧嘩しました。過年度入学する前は2度目の不登校だったため、逆に「行ってらっしゃい」と応援してくれました。母から「学校なんてたくさんある。その中のたった一つが合わなかっただけ。」と言われ、その言葉に救われました。

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高校時代の堀田さん

川瀬 中高一貫校に通っていたため、両親も私も最初は6年間通うのが当たり前だと思っていました。なぜ留学したいのか、しっかり考えてから留学を決めたのか、などと両親には色々と心配され喧嘩しましたが、説得をし続け留学を許可してもらいました。今では応援して見守ってくれていてありがたいです。


留学を決めたきっかけはそれぞれでしたが、3人共通していたのは学校に行けなくなった事でした。
私は学校に行けなくなってしまった時、友達は頑張っているのに、自分だけ学校に行かないなんて不真面目だ、怠けてしまっていると感じ、自分を責めていました。
今では、自分を責めるのは辛かったしやめれば良かった...と思います。
でもその期間があったからこそ今津和野に来て再度高校生活を送れています。そう考えれば、その辛い経験も悪くはなかったのかな?とも思います。
その時は辛くても、いつかはその経験が自分を助けてくれると信じて生きていけたらいいなと思います。

津和野高校に入学して

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入学式当日の川瀬(写真右)

ー入学当初、生活面で心配していたことを教えて下さい。

鈴木さん 入学する前から、初めての寮生活、集団生活についていけるか心配でした。

堀田さん もう一度不登校になってしまうのではないかと悩み、苦しい時期が続きました。

川瀬 今まで母に頼ってしまっていた家事を、自分でしっかり出来るのか心配でした。


ーどのようにして乗り越えましたか?

鈴木さん 寮に入って友達ができたため、想像していたよりも大変ではなかったです。最初は、ずっと人といるという状況に慣れず、なかなかペースが掴めませんでした。そんな時は、一人で散歩に行ったり、高校以外の居場所を作って気分転換をしていました。

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竹自撮り棒を使う鈴木さん

堀田さん 大きな転換期があった訳では無いのですが、クラスメイトの人柄に救われたと思います。少人数だった分、男女共に仲が良く、勇気づけられました。とても悩んだ時期は先生方やカウンセラーに相談に乗ってもらい、そのおかげで気持ちが和らぎました。

川瀬 最初の方は家事の一つ一つに時間をかけてしまっていましたが、最近早く出来るようになりました。忘れないようにやる事をリストアップして工夫しています。(たまに失敗しますが...笑)


ーその他に、入学当初考えていたことはありますか?

鈴木さん 通っていた横浜の高校の友人と比べて学習のスピードが遅くなってしまった事への不安や焦りがありました。でも次第に勉強以外の学びができていることを実感するようになりました。勉強のペースや学習の捉え方は忘れないようにしつつ、留学したからこそ出来る体験をしようと思っていました。

堀田さん 入学したての時は経歴や成績で人を評価しがちで、そんな評価で優越感を感じていました。でも、入学してから弱さを知っている人達や、私以上に大変な経験をした人など、たくさんの人に出会いました。また、それを互いに認め合っている環境が津和野にはあると思いました。地域での課外活動をする中で、勉強や部活のようなものばかりが大切ではないことに気付いていきました。

川瀬 私は入学して間もないため今考えている事ですが、正直勉強に対しては焦りがあります。新しい出来事の連続で毎日充実していますが、以前と比べて勉強時間が少なくなってしまっているなと感じています。勉強をするために津和野に来たわけではないと頭では理解しつつ、不安を感じてしまっている自分がいます。勉強もそれ以外もこなせる、要領の良い人になりたいです...。

人と関わり、たくさんの考えに触れる

ー津和野高校生活3年間の中で生まれた葛藤はありましたか?

鈴木さん 津和野は色々な体験ができる恵まれた環境ですが、自分達の将来の事を話したり、お互い刺激しあえる仲間がいなかった事は大きな悩みでした。

堀田さん 周りの友人にアクティブな人が多く、入学後すぐに津和野内外で活動を始めている人がいたことや、私は運動部に所属していたため、地域の人と関わる機会が少なかったこともあり、地域留学してきたのに何も出来ていない自分の無力感に悩んだ時期がありました。

ー変化するきっかけは何でしたか?

鈴木さん 自分の居場所が高校以外にも出来たという事です。そのおかげで、高校生活だけでは出会えない人にたくさん出会うことが出来ました。例えば、地域おこし協力隊の方たちは、比較的若い方が多く、都会から津和野に来たという共通点があったため話しやすかったですし、近くで見ていて「こういう風に行動すれば良いのか」と気付く事もありました。自分の境遇を理解し、相談相手になってくれることもありました。また、地域の方々はよく町の事を教えてくれました。自分の境遇とは関係なく優しく接してくれて嬉しかったです。

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竹の説明をする鈴木さん

地域以外では、イベントで会う同世代の高校生や大学生達から刺激を受けていました。また、そのような機会が増えれば良いなとも思っていました。

川瀬 私は津和野に来て間もないですが、鈴木さんを始めとする大学生の方々に出会って、たくさんの経験をさせて頂いて、今までにはなかった事を考えたり学べたり出来ていると思います。本当に感謝しています。)

堀田さん 高校2年の総合的な探求の時間という授業で、マイプロジェクトを始めた事が大きなきっかけだったと思います。地域の方々とプロジェクトを通して繋がることができ、自分を表現する機会も多くなっていったこともあり、自信に繋がりました。確かに葛藤は感じていましたが、逆にそれに後押しされたところもあったと思います。

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マイプロ活動中の堀田さん(源氏巻マップ制作)

津和野は都会の学校よりも地域色が強く、先輩方が様々なプロジェクトをしている事がよく取り上げられていますが、今思えばそれに対して焦る必要はないと思います。
私は周りに流されて、何かしなきゃとイベントに参加していた時期もありましたが、自分が津和野で様々なことを経験して持った問いや興味を大切にして、その中で見つけたやりたい事を大事にしていけば良いと思います。
出会いの一つ一つを大切にすれば、自分を見てくれている人達がまた他の人に繋いでくれる環境が津和野にはあると思います。


人と関わりたくさんの考えに触れることが、自分の価値観や考え方に大きく影響するという事がお二人のお話からよく分かりました。津和野には色々な方向で活動している方がいて、その方達と関われる機会が多くあると思います。そのおかげか、実際に見たり詳しく聞いたりする事で、留学前にはそれほど興味が無かった事にも関心を持つ機会が増えたと思います。

十人十色

皆さんは「再入学」、「不登校」という言葉にどんな印象を受けますか?世間ではマイナスイメージを持たれる事が多いと思います。正直私も偏見を持ってしまっていました。しかし今考えれば、その人にとっての一つの選択肢であり、一つの成長するきっかけだと思います。
この2つの言葉以外にも、マイナスイメージがある言葉はたくさんありますが、自分の偏見に気付き、考え方を変える事でその言葉の捉え方も変わっていくんじゃないかな、と思います。
そう考えられるようになったのは、津和野に来てからな気がします。

私も先輩方も、津和野に留学に来て、自分が過年度生だという事を周りに打ち明けた時、疎外感を感じませんでした。むしろ歓迎して興味を持ってくれる同級生や先輩、大人が多くいる事に驚きました。
留学をする前に居た場所では過年度入学という存在自体が珍しかったため、周りの家族や先生、友人は応援してくれましたが、都会全体の雰囲気の中では自分の立場が受け入れられていないような気がしていました。
津和野は比較的、過去の経歴問わず1対1で接する雰囲気があり、多様性を受け入れる体制が整っていると思います。その居心地の良い雰囲気が保たれていけばいいなと思います。

最後に

今回この記事を書くにあたって、今までして来た事、今感じている事、これからの事を深く考える事が出来ました。津和野に来て3ヶ月経った今、考えを整理出来る機会があって本当に良かったと思います。
記事制作に協力してくださった二人の先輩方には、本当に感謝しています。
ありがとうございました!

この記事を読んで、こんな選択肢もあるんだ、こんな考え方もあるんだ、と少しでも思って頂けていたら嬉しいです。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。