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第四の壁

「世界とは個人の作り出した虚構である」という考えは、心の仕組みが解き明かされつつあり、他者の存在を未だに確立できない現代に於いて、かなりの程度リアリティを持っている。
その視点へ立つと「第四の壁」を破ることは、観客へ能動的鑑賞を促し、批判的視点を持たせることをもはや意味しない。
むしろ、演劇の「観客が自らの記憶を投影し初めて完成する」と云う機能へ向き合う為、作り手が必然的に破ってしまうものなのだ。
そして観客個人個人の記憶を投影された作品は、共感を生み出す事はない。それは観客を誰とも共有できない孤独へ向かわせ、個人の境界線を強く認識させるだろう。
共感はある初期段階の承認を我々に与えてくれる。が、多様性の共存は、共感のみで育む事はできない。共感は、それを抱かぬものを排除してしまえるからだ。
SNSの発達は個人が多種多様なコミュニティへ同時に存在し、同時に多方向へ回遊している事実を可視化した。
現在、人々は巨大なテーマのもとに一つのコミュニティへ結束する必要がない。人々は複数のコミュニティを股にかけ、たくさんの共感と、それに比例した深度の孤独をも楽しみ始めるだろう。

孤独による思考を人生の灯火としてきた僕は、ずっとそこにいる観客個人の記憶によって完成する表現を作りたいと考えてきた。それが叶うmelomysという場所にいられて、とても楽しい。そして、僕の演劇観を育んでくれた非売れにも同時に存在できて嬉しい。

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