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【J-HOPEセンイル】 仮面を外せる場所

最初にことわっておくと、私は彼らのことが大好きで心から尊敬しているけれど、彼らの内面に想いを馳せすぎるとしんどくなる非常に厄介な人間だ。
だから、彼自身の見えない内面にまつわる魅力について深く考察するような文章は書けないし、書くつもりがない。
これはあくまで「私と、私の見える範囲」の話である。

ほび、생일 축하해요!
J-HOPEであり、ほびであり、정호석である彼が私も大好きだ。

弾ける笑顔とキレキレダンスで世界を救うみんなの希望。「名は体を表す」をここまで体現する人を私は見たことがない。
どうしても一人、誰ペンか選ばなければならなくなったら私は少し迷ってほびペンだと答えるだろうし、それは彼らの沼への転落事故当時からずっと変わらない。

ただ正確に言うと、彼の好感度が最初からMAXだったわけではない。
Butter MVの彼のビジュアルは正直私の好みではないし、最後にパンケーキを食べる彼を見て「で、出た〜〜〜!いるよねこういうあざとい担当〜〜!私はこのあざとさには引っかからんぞ」と思っていた。

あざと担当やと思うやんこんなん

(蛇足①: 今思うと、このパートを彼がやっていた事実に震える。あざと界の精鋭を押しのけて彼があのオイシイ役割を担ったなんて、リアルタイムで知ったら発狂していただろう。したかった……)

そして次に観たDynamite MVでは、ほぼすべてのシーンでユンギと彼を反対に認識していた。
そのうえで、「3:24のユンギ」に心を奪われた。

ユンギちゃうんかい(ちがうよ)

この「Dynamite3:24ショック」を契機に彼の好感度は上がり続け、その数日後に友人から共有された"Carpool Karaoke"がダメ押しとなり、私は無事自他ともに認めるほびペンになった。おめでとうございます。

このサムネも大好き

(蛇足②: ただ、昨年六月に彼らが日本の地上波に出演したとき、当時彼らのことを何も知らなかった母が顔だけ見て「あんたの好きな子、この子やろ」と一瞬で当ててきたので、まあそういうことなのだろう。)

さて、ここからが本題だが、私は彼のことを勝手に「プロ」と呼んでいる。
メンバー全員プロオブプロであることは大前提としても、特に彼は「プロのJ-HOPE」の持続時間が長い気がする。

"I'm your hope, you're my hope, I'm J-HOPE."
彼らを知ったころ、これが彼の自己紹介だと友人に教えてもらった。
「わーアイドルっぽい!やっぱそういうのみんなあるんやな」と思っていたら、そんな口上があるのは彼だけだった。
そして、彼が作ったキャラクターの名前はMANG(望)。
彼のInstagramのアカウント名は"uarmyhope"。
彼が企画したグッズは"H♡PE"のピックが刺さった植木鉢。
「ARMYの希望」、そのどこまでも一貫したJ-HOPismで、彼はいつも私たちに相対する。

その精神を特に痛感するのが、彼のInstagramだ。
私たちの名前が入ったアカウント名、三列を意識した美しい投稿、ストーリーハイライトに残る雑誌の個人スナップ、すべてにおいて「お洒落な芸能人のInstagram」として完璧すぎる。
時にこちらの拗らせを悪化させるような際どい写真も、彼の場合ぜんぶ分かってやっているんだろうなと思う。

そう、彼はいつだって自分の魅せ方を分かっている完璧な芸能人だ。
ARMY萬屋の「J-HOPEとは?」の質問に対する彼自身の回答通り、彼は「かっこいい芸能人」なのだ。

加えて、彼は非常にキッチリした人間であるらしい。
時間を守ること、整理整頓すること、私が苦手なそういう日常の「当たり前」を、彼は大切に守る。
さらに小耳に挟む過去のエピソードや、目にする公式の場での映像からは、気配り上手でストイックな彼の人柄がにじみ出る。

あまりにも隙の無い、完璧なプロフェッショナルとして生きる彼を私は心から尊敬する一方で、自分より歳下の人間の大きすぎるプロ魂に時々ちょっと苦しくなる。
いつも私たちの想像すら超えるほど明るく輝く希望で居てくれる彼に、大きすぎるものを背負わせすぎていないかと余計な心配をしてしまう。
彼のキャラクターであるMANGちゃんは馬のような仮面をかぶっており、仮面の下を見た者は誰もいないという。
どうしてMANGちゃんはそんな設定になったのだろうと私の心は時々勝手にざわつく。

彼はいつでも私たちの前で「J-HOPE」でいる。
少しは「정호석」が垣間見えるかと思ったInstagramでさえ、その一番上にはやっぱりJ-HOPEの仮面が優しく被せられ、どうしたって彼は「かっこいい芸能人」だ。

けれども、そんな彼が、정호석まではいかなくとも、「ほび」になる瞬間がある。

私がほびペンをハッキリと自覚したのは、上述した通り"Carpool Karaoke"の映像がきっかけだ。
真ん中の席で狭そうに長い脚を折りたたみ、それでも身体をいっぱいに使いながら、表情をくるくると変えながら、それはそれは楽しそうに歌う彼はあまりにも無邪気で愛らしい。
私は今でもたまに"Carpool Karaoke"の彼を摂取するのだが、そこに居る彼を、私はJ-HOPEよりもほびと呼びたい。

ほびは大口を開けて笑い、心の底からビビり、ぴょこぴょこ踊り、大きなリアクションで驚き、たまに意気消沈し、いつもメンバーを褒めまくる。
それはかっこいい芸能人というよりは、お茶目でキュートな優しい男の子だ。

彼がほびになる瞬間。
それは、メンバーと一緒に居るときだ。

私はほびが好きだ。
つまり、メンバーと一緒に居るときの彼が好きだ。
そのキャラクターも単純に大好きだけれど、それ以上に、彼がちゃんとほびで居られる場所があることに、おせっかいな私は勝手に安心してしまう。

だから、いろんなほびに一番出会えた大好きなRun! BTSが休止してしまい、その姿を見られる頻度が下がってしまったことを当時私は少し淋しく感じていた。
でも、Instagramにもちゃんとほびは居る。
もちろん私たちに向けた彼自身の投稿はいつだってJ-HOPEだけれど、メンバーの投稿にいち早く♡を押し、絵文字たっぷりのコメントをする彼は、やっぱりキュートなほびだ。

別に、媒体なんて関係無かった。
メンバーと一緒ならば、彼はいつでもほびになれる。
メンバーを通して、私たちはいつでもほびに会える。

そして、たとえその姿が見えなくとも、彼の素敵な言動や音楽から、私たちはJ-HOPEやほびと地続きの정호석を感じ取る。

ほび、생일 축하해요
J-HOPEであり、ほびであり、정호석である彼が私も大好きだ。

でも、私たちはそのすべてを見ることはできない。
これからも私たちの前では、彼はいつでもJ-HOPEであり続けるだろうし、정호석にはならない。
なぜなら、彼はプロのJ-HOPEだから。

けれど、メンバーというフィルターを通して、私たちは感情豊かな可愛いほびに会える。
たとえその仮面の下を誰も見たことがなくても、J-HOPEとほびの姿から、私たちは優しさと愛に満ち溢れた정호석を感じ取れる。

それで良い。
私の見えない範囲は見えないままで良い。
私の知らないところで、プロフェッショナルな彼がその仮面をきちんと外せていれば、それで良いのだ。
彼が彼で居られる場所や人々が、これからも変わらず彼のそばにあり続けることを、私は心から願っている。

彼のInstagramは、今日もやっぱりお洒落でかっこいい。

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