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エッセイ:あさりの命が奪われる様子を笑顔で眺める独身男性

安く売ってたので、あさりを買ってきた。あさりを買うのは人生で初めてだ。スーパーのビニール袋から貝がたくさん出てくるのがどこか新鮮。
振ると独特のガサガサともジャラジャラとも言えない音が鳴り、手の中に貝たちが沢山いるのだなぁ、と、冷蔵庫の前でつぶやいた。

しかし帰ってから気づいたのだけれど、実はあさり、全然日持ちしてくれない食材だった。

このニチレイのページだと冷蔵で一日から二日保つと書いてあるが、砂抜き済みのあさりだったからか印字された賞味期限は今日までだった。ということで、急いで料理に取りかかることに。

アサリの食べ方に全く心当たりがないものの、酒蒸しと味噌汁とよく分からんパスタぐらいは知ってる(ボンゴレビアンコと言うらしい)。
この中で一番簡単そうなのは酒蒸しなので、適当にググったレシピで作ることに。

酒蒸しなので当然あさりに酒をかけて蒸すのだが。蓋から覗くとボコボコと酒が沸いてきて、アサリが順調に蒸されていく。そうすると、ゆっくりとあさり達の殻が開いていく。ゆっくりゆっくり、ぱっかぁと殻が開いていく。単にそれだけのことなのだが、どうにもその様子から目が離せない。
自分の調理の結果、物理的にこんなにアクションが起きるのは初めてだから、これが見てるだけでなかなか面白い。やったことはないが、ポップコーンを作った時にも似たような楽しさを感じるのかもしれない。

だがこんな時に急に変な考えが。
これ、冷静に考えると、あさりが死んでいく様子なのだよなぁ。死にゆくあさり達をみて面白がっているのって、じつはなかなかサイコなことなのでは?と思う。

幼少期の頃にありがちな、生物を殺すことから楽しさを見出していた、ろくでもない頃を思い出した。ありの巣に水入れてみよう、なんて思想にためらいなくたどり着いていたあの頃。
何でそんなものを楽しいと思っていたのか。人間として小さきもの達を支配することに喜びを感じてたのか、はたまたもっと単純に命を奪うことに楽しみを覚えていたのか。今となっては動機を全く思い出せないし、そもそもそんな気持ちにならないと思う。いや、思っていた。

が、現にあさりが死にゆく様子を楽しく見てしまったわけで。あんまりそう言うものを楽しむものではないかもな、と反省した今日の夕方だった。

ちなみにその後に食べた酒蒸しは、ちょっとしょっぱかった。って言って終わったら如何にもエッセイな文章なのだろうけれど、残念ながらこれは本当にしょっぱかった。理由は単に最後に垂らす醤油の計量を面倒くさがったら鍋に醤油をぶちまけたからだ。なのでおもむきも味わいもない。次はちゃんと計量して食べよう。その時はあんまりあさりの様子を見ないようにしたい。けど、さすがにそうはできるよな。できる大人だと信じたい。

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