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ソナチネチクルス06

2014年3月23日(日)

竹風堂善光寺大門店3F 

竹風堂大門ホール
ピアノ:深沢雅美

本日はようこそおいで下さいました。
1999年以来今までずーっとピアノチクルスを開催してまいりました。今まではずっとショパンならショパン、シューマンならシューマン,ブラームスならブラームスとゆー格好でひとりの作曲家に絞ってその生涯を追いながらピアノ独奏用の作品を聴いていただくとゆースタイルでしたが、今年度はがらっと趣きを変えてテーマをソナチネにといいますか。ソナチネアルバムとその周辺というような感じで1年間やってきました。今回はついに最終回です。

大トリは深沢雅美先生につとめていただきます。
今回のチクルスはよくご存知のブルグミュラーの25の練習曲の全25曲をだいたい順番にすべて聞いて頂きました。今回はソナチネのチクルスでありながら同時にちょっとしたブルグミュラーチクルスのような感じにもなってます。
ソナチネアルバムもそうですが、ブルグミュラーも教室の定番ですね!ほんとにいい曲が多いです

今回のチクルス毎回アンコールにベートーヴェンの「エリーゼのために」を聴いていただいてます。ピアノやり始めたお子さんのあこがれの曲ですよね。コンサートはエリーゼのためにが出たらおしまいです。

今日はブルグミュラーの21番から25番ですね、いよいよ最後です。25番の「貴婦人の乗馬」は発表会でも上手な子が弾くイメージがあります。バレエの一場面に出てきそうな曲ですよね。実際バレエの練習でも使われているようですよ。ブルグミュラーはバレエ音楽「ラ・ペリ」を書いていますし、アダンの「ジゼル」にも音楽を提供しています(有名なペザントの部分)。バレエと縁の深い作曲家なんです。


早速聴いていただきましょう。

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さて、今年のテーマの「ソナチネアルバム」ですが日本のピアノ教室の教材としては必須のものです。これはケーラー(Christian Louis Heinrich Köhler 1820-1886)ルートハルト(Adolf Ruthardt1849– 1934)が編集してドイツの出版社ペータースが19世紀後半くらいに出版したもので二冊で構成されてます。この「19世紀」とゆーのが今回の重要なキーワードです。19世紀はイギリスで産業革命が起こって工業製品の大量生産ができるようになった時代です。つまりピアノの大量生産が可能になったとゆーことなんです。だから19世紀というワードがとても大事です。ピアノは楽器である以前に、もう圧倒的に工業製品です。ピアノの中には鋼鉄製のフレームが入っています。鋼鉄のフレームが入っているので「ピアノ」なんです。鋼鉄のフレームのない鍵盤楽器はピアノとは言えません。中にたくさん張ってあるピアノ線がありますね。これもまた工業製品です。だからピアノは「マシン」に近いのです。だから産業革命が大事です。小さな工房でささやかにやってるような古風な形態ではピアノを作る事はできません。「工場」で大量生産しないと価格も下がらないです。廉価なピアノの大量生産が可能になることで一気に音楽の世界が変わります。19世紀になると工場で市民が働いて、そこそこお金をもった労働者階級の市民社会とゆーのが成立するようにな理ました。ふつうの市民がそこそこお金を持って、余暇もできて、子どもの教育にお金を回せるようになった。そこでようやくちょっと無理して廉価なピアノを買って子どもにピアノでも習わせようか、ということが可能になったわけです。19世紀以前はそんな余裕のある社会ではありませんでした。まずロンドンやパリといった大都市でピアノが普及しました。パリはロンドンに次ぐピアノ社会でした。だからブルグミュラーもショパンもリストもパリにやってきてパリで生活したんです。市場がそこにあるからです。演奏の機会も多いし生徒の数も多い。ピアノ人口が多ければそれだけ楽譜も曲も先生も調律師も演奏家も必要になります。ピアノが普及してないとこうなりません。例えばクレメンティもイタリアからロンドンに出てきて成功しましたが、クレメンティもロンドンがピアノの普及率がヨーロッパで一番だったからイタリアからロンドンにやってきたんです。
今日は編集者のひとりケーラーが作曲したソナチネをちょっとだけ聴いてみましょうか。こんなにソナチネソナチネと言ってチクルスをやってきたのにその編集者本人の作品をまったく聴かないというのもどうかと思いますので、ちょびっとだけ聴いてみましょう。


では、後半はソナチネチクルスの締めくくりに、フランスものを聴いてみましょう。サティの「官僚的なソナチネ」とラヴェルのソナチネです。ラヴェルのソナチネは1903年から1905年の作品です。サティは1917年。つまりどちらも20世紀の作品です。20世紀になりますと、子供用のソナチネではなく大人向けのソナチネもたくさん書かれるようになります。これは「簡素で簡潔なソナタ」というような意味合いで、子ども向け教育作品ではない大人向けの曲も書かれるようになるんです。このラヴェルのソナチネは中でも有名なもののひとつですが、ほかにもオネゲルミヨーデュティユーブーレーズといった作曲家もソナチネというタイトルの作品を書いています。それは19世紀後半から音楽はどんどん大規模なものになっていったことに理由のひとつがあるのですね。例えばワーグナーの楽劇なんかは超特大編成のオーケストラを使って5時間もかかるような巨大なものですし、ブルックナーやマーラーといった作曲家の交響曲も大きな編成のオーケストラが必要で、演奏時間が90分かかるようなものが多いですし、音楽はあらゆる面でどんどん大掛かりで巨大なものになっていきました。その反動として、編成も曲のサイズも切り詰めて小型しようという動きがでてくるのは当然のことです。ソナチネという小規模なソナタのスタイルは、教育的に、弾きやすいように・理解しやすいようにそうなってきたのですが、20世紀の作曲家たちはその簡素で切り詰められたスタイルを利用して、大人向けの作品を書くように成ったわけです。まあ、大ロマン、大長編小説に食傷気味になってしまって、短編小説や童話や俳句や短歌を作るような感じでしょうか。サイズダウンの流れです。ラヴェルもサティもどちらかというと簡素で切り詰められた音楽を志向していました。ラヴェルは大編成のオーケストラの曲も書きましたが、無駄なく簡潔に作曲することも理想としていました。ドビュッシーも大編成のオーケストラ作品を書きましたが簡素で古典的な作品の創作にも力を入れていました。サティは大きいものは書きませんでした。これは古典へ帰ろうという新古典主義運動の中のひとつの表れでもあります。近現代の作品にソナチネというタイトルが多いのはそういうことなんです。小交響曲とか、室内交響曲、シンフォニエッタなんてのも同様です。

■サティ・官僚的なソナチネ
サティの官僚的なソナチネは、そのものずばりソナチネアルバムの有名なクレメンティのソナチネop36-1をパロディにした非常におもしろい作品です。サティはこーゆーおもしろい曲が多いですね。例えば「犬のためのぶよぶよした前奏曲」というタイトルの曲とか「ひからびた胎児」とか奇妙なタイトルの風変わりな曲をいろいろ書いてます。



サティのこの作品は3楽章から成っていて楽譜にはとてもおもしろい詩が書きこまれています。ひとりの役人、つまり官僚ですね。その官僚が朝役所へ出勤し、夕方役所を後にするまでの一日の出来事が皮肉まじりに物語のように綴られています。

1楽章


そいつが出掛けている。
そいつは楽しそうに職場に向かっている。
朝飯をかきこみながら。
満足したそいつはうなずく。
そいつはある綺麗で品のいい女性を愛している。
それと、自分のペンの軸も愛している。
それから、自分の緑の木綿製の袖、それに自分のメイド・イン・チャイナの帽子も愛している。
そいつは大股で歩み行く。
そのまま階段から落っこちる。
要するに逆方向に登る。
なんと言う風の吹き回しだ!
そいつは肘掛け付きの椅子に座り、幸せな気になる。
そして周囲にそれを見せつけてやる。

2楽章

そいつは昇進について妄想する。
もし昇進しないとしても給料はあがるはずだ。
そいつは次の家賃までに引っ越しをするつもりだ。
そいつはあるアパートにめをつけている。
昇進、もしくは給料が上がりますように!!
また、昇進のことを妄想する。

3楽章

そいつはペルーの古くさい歌を歌う。
そいつはそれをブルターニュのある耳の聴こえない方に教わったのだ。
役所の隣の家のピアノがクレメンティのソナチネをちょっと弾かされている。
なんと悲しい音色なんだ。
思いきって踊ってみる!(そいつが、だ。ピアノが踊るわけ無いだろ?)
みんなチゴイネルワイゼンのように悲しそうだ。
またピアノが始まる。
我らが友はできる限り好意的に自問している。
ペルーの歌が頭から離れない。
ピアノはまだ続いている。
あぁ、そいつは職場から帰らねばならない。この素晴らしい役所から。
「ふふっ、帰ることにこんなに勇気がいるなんてな」とそいつは言った。



まあ、こんなような調子で書いてあります。特に描写音楽というわけでもないので、詩の内容を参照しながら聴く必要もないと思いますので、まあ、以上のような官僚の生活を皮肉った文章が楽譜に書き込まれているってことを知って聴いていただくだけで十分だと思いますね。

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