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若きベートーヴェンチクルス02

2024/03/02竹風堂大門ホール

ピアノ:神林杏子チェロ : 小島遼子




若きベートーヴェンの第二回です
ベートーヴェンは20代半ば。
彼はピアノの名手としてウィーンで有名になっていました。そしていよいよ作曲家として本格的にデビューした頃。
今日はそんな頃のお話です。
彼は1792年に給費留学とゆー格好でウィーンに来ていたのですが、フランス革命の影響でこれが大きく変わってしまいました。
革命を恐れたボンの選帝侯マクシミリアン・フランツが中立の立場を守るためにボンから逃げてしまったからです。
優しく温厚な性格で戦争が嫌いな選帝侯マクシミリアン・フランツ(マリア・テレジアの五男=マリー・アントワネットの弟)は、革命の騒動に巻き込まれることを恐れ、「中立」の立場を取っていた。
第一次対仏大同盟がスタートして、フランスはほぼ全ヨーロッパを敵に回すことになる。1792年にフランスはオーストリアに宣戦布告した。
フランス議会は「祖国は危機にあり」という非常事態宣言を出し、パリでは全国から自発的に自由平等博愛の三色旗のもとに義勇兵が集まってきた。これが「総力戦=近代の戦争」の始まりになるのだ。
ラ・マルセイエーズが生まれたのはこのときだ。
義勇兵たちはものすごく強かった。彼らは基本的にフツーの市民だから軍事訓練の経験もなく、先頭経験も皆無、装備もヨレヨレ。

義勇兵(サンキュロット)

でも、彼らはなぜかめっちゃ強かった。国を思う熱い心と「自由平等博愛」の精神と祖国を守ろうとゆー命懸けの意気込みが凄かったのだ(ナショナリズム)。ナポレオンはこーゆー貧弱な装備の寄せ集め部隊を率いて戦い、マジで無敵だった。

そう、ベートーヴェンはまさにそーゆー時代の音楽を書いたのだ。市民の熱い思い….


「できうるかぎりの善行
なにものにも優って自由を愛し
たとえ王座のかたわらにあっても
決して真理を裏切るな」
(1793年5月22日/ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)

ボンの選帝侯マクシミリアン・フランツはマリア・テレジアの末っ子で、皇帝ヨゼフ2世の弟なのだから、ハプスブルク家の一員。立場としては絶対に反革命・反フランスでなければいけないのだが、彼は「中立政策」をとって反フランス干渉戦争に参加することを拒否した。これはなかなか勇気が必要な決断だ(それは一族からの孤立を意味するのだから)。なんとなく弱虫のように感じられるマックスだが、よくよく考えてみると彼は単なる弱虫ではなく、けっこう骨のある男のように思える。
マックスは中立の立場を鮮明にするために、ボンを離れてミュンスターに移るが、その後はもうボンに戻ることはできなかった(1793年に姉のマリー・アントワネットが処刑されたときは、マジでビビったに違いない)。1794年、マックスは国民劇場を閉鎖し。宮廷楽団も解散してしまう。
フランス軍はボンの南のマインツを攻撃し、わずか3日で占領してしまった。
ボンはフランス国境に近いから、さぞかし怖かっただろう。
実際1795年にボンはフランス革命軍に占領されてしまう(フランス軍のライン作戦の中で)。

ボンの宮廷はなくなってしまいました。
もう宮廷から給料は出ないし、戻ることもできません。
ベートーヴェンはウィーンで自分の力で生きていくしかなかったのです。

ベートーヴェンの父・ヨハンは1794年に死んでしまう。
その翌年(1795)には気にかけていた弟二人(カールとヨハン)をウィーンに呼びよせた。
ベートーヴェンにはもう
ボンに帰る理由などなくなっていた…。


「25歳、それは男たるすべてが決まる年だ。悔いを残してはならぬ」(1795年12月/ ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)


ベートーヴェンより一つ年上のナポレオンは1795年には若き師団長に昇進していた。
彼はパリで王党派の暴動を見事に鎮圧して政府要人たちに強い印象を与えた。
バスティーユ後のパリは大混乱状態だった。
テロが横行し、ギロチンの嵐が吹き荒れた。
国王ルイ16世やマリー・アントワネットをはじめ反革命勢力の人々が次々とギロチンにかけられてゆく
(恐怖政治・1793-94)。
そして国王をギロチンにかけた張本人のロベスピエールもまた、あまりに先鋭化しすぎた結果ギロチンにかけられ(1794)もはや何が何だかわからん状況😱。
そんな時代だったのです。

断頭台のルイ16世(1793)
断頭台のマリー・アントワネット(1793)

このような混乱の中でナポレオンは頭角を表してきたのだ。
そして間もなく全ヨーロッパが「ナポレオン戦争」に巻き込まれていくことになるだろう….


今日はピアノソナタの2番と3番とチェロの変奏曲を二曲聴いていただきます。
今日のお話の音楽的なポイントは
■動機労作(ソナタ形式)
■スケルツォ
■変奏曲
ということになろうかと思います。

ベートーヴェンはチェロとピアノのために3つの変奏曲と五つのソナタを書いています。チェロを室内楽で独奏楽器として扱うということは当時では異例のことでした。実際、ハイドンもモーツァルトも本格的なチェロソナタを書きませんでした。ハイドンはチェロ協奏曲を書いているが….
バロック期には通奏低音付きのチェロソナタはいろいろ書かれましたが、ピアノとチェロが対等の立場で合奏する本格的なソナタとしてはベートーヴェンが史上初だったとゆーことなんです。
ベートーヴェンは1796年にベルリンでチェロの名手デュポールに出会ったこともあって、ヴァイオリンソナタよりも早い段階からチェロのための大規模な作品を書くようになりました。
デュポールのあたりのお話は非常に重要ですが、
これは4月の番外編でお話しします。
今日は割愛です。

ベートーヴェンと変奏曲

今日はベートーヴェンのチェロとピアノの変奏曲を二曲聴いていただきます。今日はちょっと変奏曲の比重が高いです。チェロソナタは次回から聴きます。
ベートーヴェンの交響曲やソナタ、室内楽曲ではソナタ形式と同じくらい変奏曲形式が重要です(そしてまた対位法も!)。ソナタ形式・変奏曲・対位法がベートーヴェンの3本柱と言っても過言ではありません。思えばベートーヴェンの処女作は変奏曲です。もちろん最初は娯楽作品としての変奏曲を主に書いていたのですが、中期以降になってくるとソナタ形式を使った器楽曲に変奏曲は高度に融合されていくことになります。そこには更にフーガの要素が加わって晩年になるとその音楽は途方もない深み….とゆーか高みに達するのでした。
後期の交響曲や室内楽、ピアノソナタの変奏曲の楽章は作品の核心的な部分になっていました。
彼の最後のピアノソナタOp111は変奏曲で閉じられます。
そして、ピアノソナタOp111の頃には、変奏曲というジャンルの極限とも言うべきディアベリ変奏曲Op120が書かれるのです…

キリがないので交響曲に絞って例をあげておこう。
英雄交響曲のフィナーレ
運命の2楽章
交響曲第7番の2楽章
そして第九交響曲のあまりにも崇高な第3楽章
合唱が入るフィナーレもまた自由な形式のようでいて、実は変奏曲的な手法で書かれている。

ヘンデルの「ユダスマカベウス」の「見よ勇者の帰還を」による12の変奏曲 ト長調WoO45

今日はまず、1796年にベルリンで書かれたヘンデル変奏曲を聴きましょう。
正式なタイトルは(ヘンデルの「ユダスマカベウス」の「見よ勇者の帰還を」による12の変奏曲 ト長調WoO45)と長すぎるので、ヘンデル変奏曲で良いと思います。ベートーヴェンはヘンデルをとても尊敬していました。バッハかヘンデルかとゆーと、ベートーヴェンはだいぶヘンデル寄りだったと言えると思います。
このヘンデルのメロディは誰でも知ってます。
ウィーンに行ってからベートーヴェンは多くの変奏曲を書きましたが、チェロとピアノのための変奏曲はその中でも手が込んでいて、非常に充実しています。
楽譜に「チェロのオブリガートを伴った変奏曲」と書かれている通り、初めのうちチェロの役割はやや控えめで、ピアノ主体でごくノーマルに進んでいいきます。
中盤ト短調の第4変奏あたり(動画の2m40s)から、チェロが前面に出始めてピアノとの有機的な対話と共に音楽が深まっていきます。
あとの詳しいことはnote(これ)に書いてあるので興味ある方はご覧ください。

では、お願いします。

第6変奏の対話はカノン風(動画の4m16sあたりからの)。
第7変奏(動画の4m56s)から突如としてチェロが技巧的に変貌✨。ppで「スケルツォ的」にピアノと渡り合う🥊。
第7変奏で覚醒したチェロは、第8変奏(5m27s)では雄々しく堂々とピアノと対話する。この逞しいやり取りの中にピアノがいきなり静かな4声のコラールを差し込んでくるのが感動的だ。
第9変奏(動画の6m08s)の断片化された主題のやりとりの抽象的な美しさにはハッとさせられる。この変奏の途中で出現するピアノの4声の半音階的コラールもまた非常に効果的だ。
第10変奏(動画の6m49s)は16分音符の奔流の上でチェロが朗々と歌う。この部分はヴィルトゥオーゾな華やかさと力強さに目を奪われがちだが、これもまたチェロとピアノの左手がカノンになっていることに注意を向けたい。
第11変奏のアダージョは豊かな装飾に彩られたロマン的なファンタジア。途中ピアノだけになる部分に漂う透明な寂寥感にはゾクッとさせられる。そして、続くチェロの切々たる哀歌….
最終の第12変奏は一見シンプルなダンスで、変奏も通り一変のものだが、途中さりげなく大胆な調の移動をやってのけていてびっくりさせられる(11m10sあたり)。ここのホ短調→嬰ハ短調というびっくりポンな進行のスリリングさ((;゚Д゚)


ピアノソナタ第2番イ長調Op2-2

ではピアノソナタ第2番ですね。

ベートーヴェンは作品1の3曲のソナタ(1793-5)を4楽章構成で書いています。彼はサロン的で小規模な音楽だったピアノソナタ(だいたい2楽章か3楽章でした)を交響曲みたいな規模に拡大しようとしたんです。
前回聴いた1番のソナタは調の選択をはじめいろいろ斬新なのですが、構造的にはまだ少し古いところがあります。急緩急の3楽章形式の中にメヌエットを入れて4楽章にしてます。メヌエットを入れた4楽章形式はハイドンやモーツァルトが交響曲などが代表的で、ちょっと古風なやり方です。今日聴いて頂く2番と3番のソナタにはメヌエットではなくスケルツォを入れています。これが非常に前衛的なのです。これが本日の大きなポイントになります。
ベートーヴェンは同時期の3つのピアノ三重奏曲集Op1の1番2番でもスケルツォを導入しています。この時期の彼はものすごくスケルツォにこだわっていたんです。特に2番のソナタは曲全体もまたスケルツォ的に聞こえるかもしれません。


スケルツォが彼の交響曲にはっきり導入されるのは、しばらく後の交響曲第2番のスケルツォから。
交響曲第1番の3楽章はメヌエットと題されているが、ほとんどスケルツォだ。)。
そしてベートーヴェンのスケルツォはエロイカ交響曲のスケルツォで圧倒的に確立することになる。
スケルツォの試みは、交響曲よりもずっと早い時期にピアノソナタやピアノ三重奏などのピアノ作品で行われていたのだ。
スケルツォに限らず、ベートーヴェンは総じてピアノを使った作品で音楽的に過激で大胆なチャレンジをしてから、その上で交響曲などにその成果を活かしていったと言える。
つまりピアノの方が様々な点で「早い」のだ。

おれは個人的には交響曲第1番、2番よりもピアノソナタ第2番、3番の方に過激な前衛性を感じる。交響曲1番2番よりもエキサイティングだと思う。それはベートーヴェンがピアノの名人だったゆーことが大きく影響してるだろう。ピアノは「自分の専門」だし、一番大胆に振る舞えるに決まってる。

我々が思い浮かべる劇的で悪魔的で意地悪で気まぐれで諧謔的で…という非常に複雑な性格の「スケルツォ」という音楽のイメージは、ベートーヴェンが決定的に確立したものと言っていいだろう。まずハイドンが室内楽ピアノソナタでスケルツォをいち早く取り入れたのはさすがだが、ベートーヴェンに比べると遠慮がちで、お上品だ。

悪魔は凶悪でダークな存在だが、基本的にご機嫌で、冗談や悪戯が大好き。よく笑う。
上品と下品、善と悪、美と醜、清潔と不潔、洗練と野蛮….
そういった二律背反の混淆とコントラスト。

「きれいは汚い、汚いはきれい」
(シェイクスピア『マクベス』)

ベートーヴェンはこーゆー複雑な感情を本格的に器楽作品に持ち込んだのです。「悪魔的要素」の導入です。これはサロン的だったソナタからの完全な脱却でした。

「ファウスト」のメフィストフェレス的な感覚。それは非常に19世紀的でロマン派的なものです。

そうそう、リストのメフィストワルツも「ワルツ」とか言ってますが実質的には完全にスケルツォだ。


これから聴いていただく2番のソナタは1番に比べると軽く聞こえるでしょう。華やかな装飾も多いし、曲調もご機嫌で明るいです。暗い情熱に満ちた劇的なソナタ1番の方に強いインパクトを感じる方も多いかもしれません。
でも、そのような外見に騙されてはいけません。
全体としては1番の方がいろんな点でまだま古風なんです(バロックや古典の名残りが強い)。
これから聴いて頂く2番と3番の方がはるかに進歩的で過激なのです。
そして音楽の内容も作曲技術も、めっちゃ向上してます。
驚くべき飛躍です。
冒頭のモチーフを使ってソナタを緻密に有機的に構成していくその見事な手腕は、
中期以降のベートーヴェンを思わせます。
特にこれから聴く2番のソナタの第1楽章の構造は交響曲第5番(運命)につながっていくような圧倒的な緻密さです。
第2楽章の深く豊かな歌もまた既に中期以降の感覚で、哲学的な雰囲気すら漂います。そして3楽章のスケルツォは軽やかでかわいくも聴こえますけど、強弱のコントラストがすごいし、表情も気まぐれで、どんどん変化します。かわいいだけじゃないんですよ。移り気で、意地悪なんです。聴いてると振り回される感じになると思います。
小悪魔的?
そーゆー女の子って魅力的ですよね?
そーゆー曲です。

ではソナタ第2番を聴いてみましょう。
お願いします。


外見と中身の乖離

Op2-3も動機労作は行うが、Op2-2みたいに執拗に追い詰めていくようなやり方と違って、もう少しゆとりがある。
Op-2-2のソナタは外見と中身の乖離がすごいのだ。
ロココなかわいい外見の中身は精密機械 みたいな感じ、と言ったらいいかな……..

構造について

0p2-2第1楽章・第1主題

第1楽章の第1主題は3つの素材からできている。素材(3)はもちろん素材(1)のモチーフから派生してきたものだ。第1楽章はこの(1)と(2)の動機(モチーフ)を使って有機的に緻密に構築されている。こーゆーのを主題労作とか動機労作と言って、ソナタや交響曲ではこれが非常に大事になってくる。ベートーヴェンはこれを異常に徹底的にやった人だ。この手法の極地が交響曲第5番Op.67ということになる(例のジャジャジャジャーンのモチーフを使って息苦しくなるような執念深さで緻密に構築してゆく….)この楽章の構造をいちいち細かく説明してもおもしろいのだが、音大の授業みたいになっちゃうけど、1楽章に絞って音大の授業みたいな話を軽くしてみようか(2楽章以降はソナタ形式ではないので、1楽章のような緻密な構造とは性質が違う)。

ジュピターのモチーフ
Op2-2のやり方はちょっとモーツァルトのジュピターに似ている。ジュピターの印象的な冒頭の動機は16分音符・3連符の上行の前打音が付けられている。

ジュピター冒頭のモチーフ

これが第二主題の16分音符の柔らかい下降になって↓

ジュピター第1楽章第2主題の16分音符の下降

すぐに強烈な32分音符の下降になる(アンチテーゼのように….)↓

ジュピター第1楽章の10,11小節

展開部の終盤では冒頭の上行三連符のモチーフと下降の32分音符4音の掛け合いになる。超エキサイティングだ🔥

ジュピター第1楽章展開部の劇的な場面

Op2-2のモチーフ
ベートーヴェンのOp2-2のモチーフの発展はジュピターを逆にした格好になってる。

Op2-2の冒頭のモチーフの32分音符4つの下降。
それが経過部で上行の3連音符になって、

Op2-2の経過部の開始

これが装飾的で急速なパッセージに発展する。

Op2-2の経過部の装飾的パッセージ

展開部は主要モチーフと経過部の材料を使って構成される。展開部の禁欲的なまでの無駄の無さは圧巻!

2楽章について
深く感動的な歌は、既に中期以降のベートーヴェンの雰囲気を先取りしている。
ピアノの左手の印象的なスタカートの音型はまるでチェロのピチカートのようだ(この感覚が深化すると0p59-3の2楽章の感覚になるだろう)。このスタカートの歩みがあるからこの楽章は歌に溺れてしまうことなく気高さを保ち続けられるのだ。この低音の歩みが楽章全体を常に支配する(4m18sあたりのffの部分の数小節間の高潔な厳しさは圧巻だ。




休憩


後半もまた変奏曲からです。「魔笛」のテーマの変奏です。

モーツァルトの「魔笛」の「恋を知る殿方には」による7つの変奏曲WoO46 

魔笛の7つの変奏曲は1801年作曲なので少し後の作品です。
ベートーヴェンはチェロとピアノのための変奏曲を三曲書いています。そのうちふたつが「魔笛」の旋律をテーマにしています。これは第1幕のパパゲーノとパミーナの二重唱の旋律です

ベートーヴェンはとてもマジメな人なので、モーツァルトとダ・ポンテによる「コシファントゥッテ」や「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロの結婚」があまりに不道徳極まりないので(エロ、浮気、恋人交換、誘惑、殺人….)、彼の道徳観とは相容れず、ついていけないものを感じていました(音楽じゃないですよ、その内容についていけなかった)。でも「魔笛」は「自由平等博愛」の精神で作られた非常に道徳的な内容のオペラなので、これは問題なく大好きでした。
だからふたつも変奏曲を作ったんでしょうね。
12の変奏曲Op66(1798)
7つの変奏曲WoO46(1801)。
今日は7つの変奏曲の方を聴いてみましょう。3曲の変奏曲の中では一番コンパクト(演奏時間10分未満)ですが、内容は一層充実していて聞き応えがあります。1801年ですからちょっと後の作曲になります。よく演奏される有名曲です。
では聴いてみましょう。曲の詳しいことはnote(この下)に書いておきましたから、興味ある方はどうぞ。
ではお願いします。

テーマから第3変奏までも素晴らしいが、やはり変ホ短調の第4変奏(↑の動画の3m20sくらい)からが圧巻だ(変ホ短調!)。第4変奏の深い情感とスケルツォ的な第5変奏(4m29sくらいから)の鮮やかな対比の後に続くアダージョの第6変奏〜第7変奏〜コーダ(7m12sから)の展開のかっこいいこと!これぞベートーヴェンって感じだヽ(´▽`)/

それにしても👆のシフとペレーニの演奏が超最高だ。7つの変奏曲のあとに12の変奏曲Op66も続けて演奏してるのでぜひ2曲とも視聴してほしい。

ピアノソナタ第3番ハ長調Op2-3

そして、ソナタ3番ですね。ハ長調です
ベートーヴェンといえばハ短調とか反射的に思ってしまいますが、
ハ長調もまたとてもベートーヴェン的な調です。
ハ長調の持つ圧倒的な輝かしさですよね(ハ短調と裏表です)。例えばヴァルトシュタインソナタラズモフスキーカルテット3番とか、ハ長調ミサ運命交響曲のフィナーレとかもちろんそうですね☀︎

ソナタ3番もまた輝かしく堂々たる作品です。
これぞベートーヴェン!って感じがすると思いますよ。
満足感ハンパないです。

ピアノの書法は華麗で、ほとんどピアノ協奏曲です。1楽章のコーダの直前にはカデンツァまで置かれていたりして、オーケストラのない協奏曲みたいな感覚で書かれています。当時ウィーンを代表する名ピアニストだったベートーヴェンのステージを髣髴とさせるような曲です。まさに王者の風格。

このソナタにはソナタ第1番と同様に3つのピアノ四重奏曲集WoO36(1785)の素材が転用されています。詳しくは⇩。

ピアノ四重奏曲ハ長調WoO36の冒頭のテーマはソナタ3番の第1楽章の21小節めにはっきりと現れる。その後もピアノ四重奏の素材は使われる。

ピアノ四重奏曲WoO36-3冒頭部分
ソナタOp2-3の第1楽章の20小節〜

ソナタ形式で書かれた第2楽章は なんとホ長調(*_*)


この古典派の時期に、ハ長調の楽章の後の楽章をホ長調で書くってことは異例のことです(ハ長調からは遠い調なのだ)。調の選択もロマン派的だが、音楽もめっちゃロマン的で、ホ短調の第2主題なんかは古典の枠を大幅に逸脱している。途中の盛り上がりはめっちゃ劇的だ👊

Op2-3第2楽章の第2主題のスタート部分


この作品もまたスケルツォが入っています。前半の2番のソナタのスケルツォも素晴らしいのですが、3番のソナタのスケルツォはいきなり対位法を使います。中間部とか経過句で味付け的に対位法を使うのではなくて、いきなりAllegroでぶちかましてくるのが凄いのです。

Op2-3スケルツォ冒頭

3拍めに置かれたスフォルツァンド(sf)が強烈だ((;゚Д゚)
まさに悪魔的🦹
このスケルツォの爆進してゆく感じはそのままエロイカのスケルツォに直結するものだ。

Op2-3スケルツォの3拍めのsf

4楽章は3度のスタカートの上行でスケルツォ的に始まる。
続く16分音符の急速なパッセージ以降の展開はちょっとシューベルトの即興曲なんかを思わせる。
悪魔的スケルツァンドの感覚とロマン派的優美とベートーヴェン的な劇性が高度に融合された独特な音楽。ものすごく気まぐれで即興的に聴こえるが、もちろんその構造はめっちゃ緻密に構築されている。即興性と構築性の両立(゚ω゚)
うう〜ん、凄い!

ではお願いします。

アンコール
メヌエット ト長調


メヌエット ト長調WoO10-2
才能教育の教本などでもお馴染みの名曲。一般的にも超有名な作品だ。「6つのメヌエットWoO10」の2つめのメヌエットがこれ。オーケストラ用だったらしいが、ピアノ編曲譜しか残っていない。独奏楽器とピアノ伴奏の二重奏かピアノ独奏で演奏されることが多い。エルマンなんかの録音はホントに広く親しまれてきた。エルマンみたいにめちゃロマンティックに崩し気味に演奏してもいい感じだし、ごく普通に古典的に小気味よく演奏してももちろん素敵だ。この曲の中にはやっぱりロマン性を誘発する何かが備わっているんだろうなと思う。
1番のメヌエットもヴァイオリンの教本に入ってたりするので、弦楽業界ではまあまあ知名度あるかも。


余談:「ユダス・マカベウス」「ヨシュア」


ヘンデル変奏曲の主題はヘンデルの祝典的なオラトリオ「ユダス・マカベウス」HWV63(1743)の中のあまりにも有名すぎる「見よ、勇者の帰還を」の旋律が使われている
この旋律は元々は旧作のオラトリオ「ヨシュアHWV64(1748)
の中の曲で、それを「ユダス・マカベウス」の再演時(1750)に転用したのだ。
ユダ・マカバイ(ユダス・マカベウス)は偶像崇拝を強要する異教徒の圧制からイスラエルを解放したユダヤの民族的英雄。「見よ、勇者の帰還を」ではユダヤ人の勝利の喜びが高らかに歌われる。
これらのオラトリオが作曲された頃、イギリスは「ジャコバイトの反乱」で外敵の脅威に晒され国家的な危機に直面していた。街では愛国心の高揚が叫ばれていた。
ヘンデルはこういった世相に反応してユダヤの英雄の物語に託して愛国的かつ軍国的なオラトリオを書いたのだ。まあ、時流に乗った作品ということになるだろう。
「ユダス・マカベウス」はヘンデルのオラトリオの中でも「メサイア」や「サムソン」と並んでポピュラーな作品になっている。力強く壮麗。素晴らしい作品だ。
ヘンデルは興行の世界に生きた人だから、ヒットさせるためには愛国も軍国も利用した。
よくあること。
生活かかってるし(・_・;」
このジャコバイトの反乱は今のイギリスにも強く尾をひいている。
スコットランドやアイルランドの問題、
国教会(プロテスタント)vsカトリックの問題…
そんなことも考えつつ聴くとちょっと複雑な気分になったりする。でも、そんな風にモヤモヤすることも大事なことだ。

余談:ハイドンのロシア四重奏曲集
スケルツォの器楽作品への導入はハイドンが6曲からなるロシア四重奏曲Op.33で既にチャレンジしていた。
ハイドンはこの曲集について「全く新しい特別な方法で作曲された」と述べている。フーガを導入したり、メヌエット楽章の代わりにスケルツォ楽章を置くなど、非常に斬新だ。ハイドンは気軽なディヴェルティメント的性格だった従来の弦楽四重奏に新たな要素を加えようとしたのだ。ハイドンのスケルツォは当時としてはかなり斬新なものだ。まだメヌエット的な感覚を強く残しているけれど。
モーツァルトはこの挑戦的なロシア四重奏曲に感銘を受けて6曲の弦楽四重奏曲「ハイドンセット」を作曲して、弦楽四重奏の世界を一気に変えた。そしてベートーヴェンはそれを更に進化させ、「スケルツォ」もまた確立させたのだ。

余談:リヒノウスキー邸の金曜コンサート


ウィーンで暮らし始めたベートーヴェンにとって貴族たちのサロンは大切な場所だった。演奏の場として、作品発表の場として、出会いの場として…
ベートーヴェンの3つのピアノ三重奏曲集Op.1と3つのピアノソナタ集Op2はこの金曜コンサートで初演された。
金曜コンサートでのピアノソナタOp2の初演にはハイドンも招かれた。
貴族たちのサロンは人脈の宝庫だった。
彼はこうした場で音楽活動をスタートさせ、まずはウィーンの貴族社会で有名になっていったのだ。
特にリヒノウスキー侯爵邸の「金曜コンサート」は重要だった、リヒノウスキー侯夫妻はモーツァルトのパトロンでピアノの弟子でもあった。筋金入りの音楽愛好貴族だったのだ。

リヒノウスキー侯爵

ここでベートーヴェンはシュパンツィヒ弦楽四重奏団(シュパンツィヒ、ジーナ、ヴァイス、クラフト)、作曲家のフェルスター、といった若い音楽家たちと交流した。シュパンツィヒ弦楽四重奏団はリヒノウスキー家のレジデントカルテットだった(彼らは後にラズモフスキー家のレジデントになる。彼らは史上初のプロのカルテットだった)。このカルテットとの出会いがあったからこそ、ベートーヴェンはあんなにもの凄い弦楽四重奏曲をいくつも書けたのだ。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の多くはシュパンツィヒカルテットが初演した。

イグナツ・シュパンツィヒ

ベートーヴェンとシュパンツィヒは無二の悪友であり親友だった。二人の関係はモーツァルトと名ホルン奏者・ロイドゲープの関係によく似ている。シュパンツィヒは超肥満だったので、ベートーヴェンは親しみを込めて「ファルスタッフ」と呼んでいた(デブ!と言ってるようなものだ・笑)。ベートーヴェンは1801年に、シュパンツィヒのために自分で歌詞を書いて
「デブ礼賛(Lob auf den Dicken,)」WoO100
を作った(笑)
本当に仲良しだったんだね(^_-)

リヒノウスキー邸ではラズモフスキー伯爵、ヴァン・スヴィーテン男爵、ロプコヴィツ侯爵といったウィーンの有力な貴族たちと知り合うことになる。貴族たちはベートーヴェンの才能に驚愕する。彼らはみんなベートーヴェンの大ファンになり支援するようになった

1795年3月、ベートーヴェンはブルク劇場の演奏会で自作のピアノ協奏曲で公開デビューする。貴族のサロンの寵児だった天才が、ついに大衆の前に姿を現したのだ。この日にピアノ協奏曲の第2番ピアノ協奏曲第1番のどちらを弾いたのかとゆーことがずっと議論になってきた。今は協奏曲第1番だったとゆーことで、一応決着してるようだ。そこらへんの事情は複雑なので今回は割愛。
このブルク劇場の公演は3日間で、初日が協奏曲・二日目が即興演奏、三日目がモーツァルトのピアノ協奏曲の独奏だった(曲は彼が大好きだったニ短調協奏曲KV466 )。

ピアノ協奏曲第2番op19についてはこちら

ピアノ協奏曲第1番op15についてはこちら

こうしてベートーヴェンの名前は貴族のサロンだけでなく広くウィーン全体に知れ渡ってゆくことになったのだ。

19世紀のブルク劇場
19世紀のブルク劇場
現在のブルク劇場は1955年に建て替えられた建物


ピアノ三重奏曲集Op1の楽譜は1795年のブルク劇場のデビュー公演の後に新聞広告が出た。この楽譜はウィーンやボヘミアの貴族たちに多く買われた。123人が241部を予約した。これはベートーヴェンにかなりの収入をもたらした(デビューしたばかりの作曲家の楽譜が!これはすごいことだ)。これは大きな自信になっただろう。
こうした経済的基盤があったから彼は弟たちをウィーンに呼び寄せることができたのだ。


1796年、ベートーヴェンはリヒノウスキー侯に連れられて長期の旅行に出る。この年、ナポレオンはイタリア遠征に向かった。
お後は次回の番外編で。

トーク動画の合言葉

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