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ドヴォルジャーク:スラヴ舞曲集

2016年の「連弾チクルス」のドヴォルジャークのスラブ舞曲の解説の部分だけ抜き出して加筆修正してみました。

ドヴォルジャークのスラヴ舞曲は、ブラームスのハンガリー舞曲集があまりに大ヒットだったので、それで大儲けした出版社ジムロックが、ドヴォルジャークに「ハンガリー舞曲みたいなの書いてくださいよー💦」と頼んできて、それに応えて作曲した作品です(裏ではブラームスの推薦もあったようです)。まあ、出版社は二匹目のドジョウを狙ったんです。映画やドラマなんかだと二匹目のドジョウはいまいちうまくいかない場合が多いです。もちろんうまくいくケースもあるんですが(エイリアンターミネーターなどなど)、その影には忘れられた二匹目のドジョウがどれだけ数多く眠っていることか…。
ドヴォルジャークのスラヴ舞曲も幸い大ヒットしました。1870年代から80年代のことです。ジムロックはもちろん大喜びでした。ドヴォルジャーク、よかったですねえ。こうした期待にちゃんと応えて結果を出したドヴォルジャークはほんとにすごい。男の中の男。二匹目のドジョウを捕まえるのは、一匹目よりずっと難しいですから....。

アントニン・ドヴォルジャークは音楽史的にはいわゆる「国民楽派」に属する作曲家です。その音楽は「民族問題」「民族運動」と切り離すことはできません。チェコはご存知の通り大変な国です。ずーっとオーストリアやらポーランド、ドイツなど他国の支配下にありました。ソ連軍がいきなり侵攻してきてチェコを占領したプラハの春の事件なんて1968年のことですから、つい最近です。ほんとにもうチェコは大変でした。


他国に支配されると、まずその国の独自の言語を奪われ独自の文化や習慣を奪われてしまいます。同化政策ってやつですよね。

ドヴォルジャークはチェコ独自の音楽文化を取り戻そうとして、ものすごくがんばった人です。それはもう、とんでもないがんばりでした。ドヴォルジャークはずっと「民族の闘争の中で音楽の役割とは何か」ということを常に自分に問い続け、悩み抜いてきた人です。祖国の舞曲や民謡を作品に取り込んで発表して、チェコ語(めっちゃ少数言語です)のオペラや歌曲を作ってその音楽や言語の素晴らしさをワールドワイドに発信しました。そして、チェコの人々に祖国の文化に対する誇りを持ってアイデンティティの拠り所にしてもらいたいという強い願いがそこには込められていたわけです。

スメタナ

ただし、「モルダウ」で有名なスメタナがチェコ一国に特にこだわってやや原理主義的に活動したのに対して、ドヴォルジャークの関心はチェコだけでなくチェコ周辺の国々にも幅広く向けられていました。ウクライナやスロバキア、ポーランド、ブルガリア、ロシアもそうですが、言語学的な分類のスラブ語系の民族全体に広がっていたのです。だから「チェコ」舞曲ではなくて「スラブ」舞曲なんですね(でも、ドゥムカは入れてます。すごいこだわり!)。第1集Op46(1878)はチェコの舞曲が中心でスメタナ寄りですが、特に第2集Op72(1886)こそ「スラブ舞曲集」と呼ばれるべきドヴォルジャークらしい内容になっています。第1集と2集の間には8年もの隔たりがあり、ドヴォルジャークの意識も大きな変化があったのでしょう。第2集にはチェコだけではなくいろんな国の音楽が取り入れられているんです。ポーランドのポロネーズやマズルカ、ウクライナのドゥムカ。ユーゴスラヴィアのコロなど、ほんとに様々です。

チェコを含む東欧の国々は小国が多いので大国に占領されて支配されたり、強い影響下に置かれざるをえない場合も多かったわけです。ウクライナは今もなおその渦中でものすごく悲劇的な状況にありますが、チベット、クルドなどなど世界中あちこちで火種が燻り続けているのはご存じの通りです。台湾ももちろん同様でしょう。
そんなわけで19世紀には東欧にも今のヨーロッパのEUみたいな構想が持ち上がったりしてました。スラブ語系の東欧の小国が連合して、各国の自治を確実に保障した大きな連合を作ればそれなりの面積になるし経済の規模だって集まればそれなりの規模になるじゃんってことなんです(理想を具現化したはずのEUが今もなおもがき苦しんでいるのはご存じの通りですが….)。そうすればロシア、ドイツといった圧倒的な強国に挟まれていても、なんとか飲み込まれずにやっていけるじゃないかとゆー構想が既にいくつかあったわけです。19世紀には東欧でもうEUの先駆けのような動きがあったのですね。ドヴォルジャークとゆー人はどちらかというと、そっちの方の感覚が強い人だったと言えます。なので、このスラヴ舞曲集にはチェコだけではなくいろんな国の音楽が取り入れられているわけです。スロヴァキアのオドゼメック(→Op72-1)、ポーランドのポロネーズ(→Op72-6)やマズルカ、ウクライナのドゥムカ。ユーゴスラヴィアのコロ(→Op72-7)とかほんとに様々です。スメタナ寄りのやや原理主義的な考え方の人たちは、そういったドヴォルジャークの態度を「甘い」と言って批判したりするみたいなこともあったようですね。ドヴォルジャークという人は民族ということについて、少し幅広くゆったり考えているところがあって、そこがチェコという国への強い愛情にひたすら熱狂的に突き動かされていた原理主義的な人には気に入らないわけです(そのくらい熱く強烈じゃないと革命や独立などできない、とゆーのもまた事実でもあるのですが…)。スメタナやドヴォルジャークの時代ってのはチェコは熱狂的な民族的文化的な復興期でしたから、ものすごく熱心に生真面目に突き詰めて、熱心になりすぎちゃって結果として寛容さに欠けてちょっと排他的になってしまう人も中にはいるわけです。みんなそれぞれ祖国のことを思ってただ一生懸命なだけなんです。スメタナはそーゆー人たちに妙に祭り上げられちゃったり、ドヴォルジャークは批判の的になっちゃうこともあったわけなんです。

スラブ舞曲集のゆったりしたものの中でも飛び抜けて有名なのはOp46の2番とOp72の2番です。誰もが知ってます。この2曲はウクライナのドゥムカです。スラヴ的哀愁の極地です。そしてOp72の4番もドゥムカで書かれています。

Op72-2はマズルカと言われることもあります。
Op.72-4もソウセツカーだと言われたりもします。
結局こういった舞曲もドゥムカの哀切な感情と深い部分で繋がっているということじゃないでしょうか。ドヴォルザークのドゥムカの中でもっとも痛切なドゥムカ(ピアノ五重奏曲の第2楽章)が書かれるのはop72のドゥムカの翌年1887年のことです。そして1890年からはドゥムカで全6楽章が構成されるピアノ三重奏曲「ドゥムキー」を書き始めるのです。

ちなみにOp72-4はドゥムカの活発な部分がポルカ的になったりするするのが特徴的です。3拍子の中に2拍子混在する感覚は、ショパンのマズルカが3拍子なのか2拍子なのか判然としないような書き方がされているのに感覚的に近いと思います。
チェコのフリアント(スラブ舞曲の46-1、46-8などが代表的)も2拍子と3拍子の混在が激しいダイナミズムを生んでいます。こういった拍節感の揺れが東欧の音楽の特徴でもあるんですよね。



ご存知の通りマズルカはポーランドの民族舞曲です。ショパンがいっぱい書きましたね(ショパンは実際にドゥムカも書きました。ドゥムカはスラブ的哀愁の極地ですから、憂いを帯びたマズルカになると自ずとスラブの血の深い部分で繋がってくるところはあるでしょう)。 チェコの独立を命がけでやってる人たちは、ドヴォルジャークはチェコ人のくせに、なぜポーランドとかウクライナの音楽なんかやるのか。こともあろうにアメリカの音楽まで取り入れたりする。なぜこの民族の闘争の大切な時期に、スメタナのように民族の音楽に徹底してこだわり抜かないのかとゆーことです(この人たちは"進歩派"と言われてます)。チェコは皆さんもご存知のようにスロヴァキアと一緒に合体してチェコ=スロヴァキアという複合国家として独立してた時期もありましたけど、結局うまくいきませんでした。最終的にはチェコ単体で独立してます。二つの国が誓い合って合体してもいろいろ細かく問題があってうまくいかなかった(夫婦関係みたいなものでしょうか)。だから、つまりチェコだけにこだわり抜いたから...、今でもチェコではスメタナは圧倒的な民族の英雄としてチェコ国内ではドヴォルジャークよりもやや格上の扱いを受けてるわけです。チェコでは「新世界交響曲」や「アメリカ」「スラブ舞曲」よりもやっぱり、ひたすら純粋にチェコに特化して謳いあげた「わが祖国」が国民的な音楽になるんですね。

スメタナも舞曲集を書いてます。ピアノソロのための2集から成る「チェコ舞曲集」です。もちろん「スラヴ」ではないんですよね。絶対に「チェコ」でなければならなかった。だからスメタナのチェコ舞曲集には外来の音楽は入ってきません。

舞曲の内容はポルカ、フリアント、ほとんど名前も聞いたことのないようなチェコの舞曲の数々[スレピチカ、オヴェス、メドヴィエト、ツィブリチカ、ドゥパーク、フラーン、オプクロチャーク、スコチナー]がズラッと並びます。

と言いながら原理主義的なスメタナもドゥムカ的な音楽を書いたりしてます。我が祖国の「ボヘミアと森と草原から」の中に、ドゥムカのような部分があります(=動画の1m40sくらいから=この哀愁の底から讃歌が高らかに立ち上がり、それでも足りないかのように野生的なポルカが讃歌を食い破るように爆発的に姿を現すその瞬間の衝撃と感動!=7m40sあたり=)。スメタナは意識してドゥムカを書いたわけじゃないでしょう。自然に出てきたんでしょうね。何しろドゥムカはスラブ的哀愁の極地だから…その大切な哀愁の感覚のベーシックを共有している民族同士が殺し合っているこの状況。本当に辛く悲しい。なぜ?一体どうして?いきなり侵攻して何かいいことがあるの?ないでしょ。あるはずがない。


余談ですが、ここでちょっと注目しておきたいのはポルカの捉え方です。ウィーンの陽気なポルカとは全然違うんですよね。スメタナは売られた花嫁のポルカみたいなポルカも書きましたが、スメタナが書くポルカの雰囲気ってのは驚くほど様々です(そう、ショパンのマズルカのように….)。チェコ舞曲集の1曲めのポルカやOp8のポルカなんかを聴くと、いかに世の中のポルカのイメージが画一的か思い知らされますね。おれはスメタナのモルダウのポルカの部分でいつも泣きそうになる。モルダウの流れの中に溶けていって水の妖精たちが現われる箇所は奇跡だと思ってます。そういえばドヴォルジャークのポルカもウィーンの舞踏会のポルカからは大きくかけ離れていたりする(スラブ舞曲のポルカもどこか哀愁を帯びていますよね)。
ウィーンの優雅で上品なポルカを一発で蹴散らすように爆発する売られた花嫁のポルカや「ボヘミアの森と草原から」のポルカの部分なんかホントに胸アツです。ポルカはその性格の幅がとにかくめっちゃ広いのです。ポルカはやっぱりチェコの魂なんですね。抵抗や闘争のシンボルでもあるし、民族の歓喜であり同時に哀愁の根源でもあるという….



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