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風変わりな店

レスピーギの音楽


「上機嫌な婦人たち」の成功の後、
ディアギレフは再びイタリア風の喜劇バレエを計画する。
「風変わりな店」の初演は大成功だった。
観客はこのコメディを大いに楽しんだ。
ロッシーニの当時未出版だった「老いのあやまち(約180曲)」の中から音楽を選び、
レスピーギがオーケストラ編曲を担当した。
ここら辺の経緯はディアギレフが楽譜を見つけてきたと書いてあったり、レスピーギが楽譜を持ってきてディアギレフに見せたとか書いてあったりもする。
どうなのよ。
おれにはここんところがどうなのか
ちょっと正確にわからないのだが… 
まあ、レスピーギとディアギレフは図書館の楽譜あさりが趣味のいわば同好の士だから、
どっちが楽譜を持ってきたにしてもこの二人の話(打ち合わせ)は、図書館の古い楽譜の情報交換もしたりして、なかなか楽しかったんじゃないかなとか想像しちゃうけどな….。

まあ、とにかくこれが「風変わりな店」(1919)になる。


レスピーギのオーケストレーションは
それはそれは見事なもので、まさにfantastique!
隅々までリムスキー譲りの技が冴え渡ってる。
そのキラキラ感!

2.タランテラのオリジナルはもちろんウルトラポピュラーな歌曲ダンツァ(La danza" Tarantelle napolitaine) 
レスピーギのアレンジは打楽器もたくさん使ってめっちゃエキサイティングで興奮させられる。オリジナルよりもナポリ感が更に増している。眩しいナポリの陽光。
4カンカンのオリジナルはオッフェンバッハのスタイルによる小奇想曲(Petite Caprice - Style Offenbach) レスピーギのアレンジは途中からスローになるのが特徴。狂騒感はさすがにオッフェンバッハのオリジナルを超えることはできないが(オッフェンバッハが異常すぎるのだ)、ゴージャス感はレスピーギも負けてない。さすが!
5.ゆっくりなワルツのオリジナルは アーモンド(真夜中の鐘ー奥様こんばんは)(Les amandes, "Minuit sonne – bonsoir madame") レスピーギはもちろん冒頭でちゃんと鐘を鳴らす。そしてオリジナルを遥かに超えるとろけるような陶酔感と夢見るような甘いサウンド!
ロッシーニの老いの過ちはもちろんイタリア的なものもあるが、どりらかというとフランス的洗練が前面に出てるから、ベルカントで朗々と熱く歌い上げるなんてこともそんなにないんだけど、レスピーギは若いし、違うんだよね。マズルカでトランペットの輝かしいカンタービレはまさにベルカント!

実はレスピーギはロシアでリムスキー=コルサコフに学んでいる(だから彼のオーケストレーションの技術は凄いのだ)。つまり彼はディアギレフやストラヴィンスキー、プロコフィエフと同門ということになる。
レスピーギは
リムスキーと「新古典主義」
の二点でバレエ・リュスと深く繋がっているのだ。

1919・初演

初演は1919年ロンドン。大成功で熱狂を呼び起こし、ロンドンの観客たちのお気に入りの作品になった。
出演はリディア・ロポコワ マシーン、チェケッティ….

マシーンの振付はコメディのセンスに溢れたとても楽しいものだった。
(プードルの場面はマシーンがイタリアの海岸で見たじゃれ合うプードルからヒントを得たという。)

リディア・ロポコワ

特にロポコワと白塗りメイクのマシーンが踊る「カンカン」は大人気で客席を大いに湧かせた。
(👆の動画の4m〜がカンカンの場面)。

マシーンとロポコワ
バレエ・リュス「風変わりな店」(1919)
「風変わりな店」のロポコワ(1919)

リディア・ロポコワは「上機嫌な婦人たち」と「風変わりな店」の大成功以降、ロンドンの観客の特別なお気に入りになった。彼女は「生まれついてのコメディエンヌ」だった。魅力的な子だった。バレエリュスのマシーンの時代は、コメディの資質があったマシーンとロポコワが立役者だったと言えるだろう。「風変わりな店」の前に発表された「上機嫌な婦人たち」の女中マリウッチャも彼女の十八番で人気があった。

ピカソ:リディア・ロポコワ(1919)

「……ロポコワは誰に対しても優しく、嫉妬せず、決してほかのダンサーの役を欲しがったりしませんでした。でもいつでもどこかへさっと姿を消してしまうようなところがありました(ソコローヴァ)」
「彼女はお高くとまるようなことは微塵もなく、舞台が終わるとすぐにメイクを落とし、シンプルなショートスカートをはき、ウールのジャンパーを羽織ってタモシャンタをかぶって学校帰りの少女のようにスキップしながら宿に帰っていく(ボーモント)」

そんな子だったのだ。かわいいなあ。

しかし、彼女はちょっとムラのある気性の持ち主で(変わった子だった)、ある日短い手紙を残していきなり消えてしまう(駆け落ちだった)。
彼女はバレエのキャリアよりも恋愛が優先なのだった….


「風変わりな店」のマシーンとダニロワ

ものがたり

ナポリ湾を見下ろす場所にあるおもちゃ屋を訪れたアメリカ人の家族とロシア人の家族に、店主は音楽に合わせて踊る人形を見せる。カップルのカンカン人形のうちの1体が買い上げられるが、残った人形たちが夜中に動きだす….恋人と引き裂かれたカンカン人形とほかの人形たちはその悲しい運命を嘆く。そして人形たちは店を出てゆく…
という感じのあらすじ。くるみ割り人形的でもあるし、トイ・ストーリー的でもある。踊る人形ってのは昔からバレエの定番だ。そういえばペトルーシュカも人形のバレエだ。コッペリアもそうだ。
人形(トランプのクィーンとキング、プードル犬、コサック、カンカン・ダンサー)や訪れる客の国籍に合わせて音楽もカンカンとかマズルカとかコサックダンスとか次々に変えることができるので、楽しいディヴェルティスマンなバレエを構成することができる。

アンドレ・ドラン「風変わりな店」衣装デザイン
アンドレ・ドラン「風変わりな店」衣装デザイン
「風変わりな店」の衣装
ピカソ:「風変わりな店」の一場面(1919)

「女のたくらみ」

レスピーギとバレエ・リュスのコラボは「風変わりな店」のあとも続いた。

ドメニコ・チマローザ


今度の題材はドメニコ・チマローザの1794年のオペラ「女のたくらみ(Le Astuzie Femminili)」だった。「女の手管」とも訳される。これまた図書館で発掘した未知のオペラだった。ディアギレフはこれをオペラ-バレエとして上演することを考える。この演目の製作は1920年頃には始まっていた。
ディアギレフはチマローザがパイジェルロのあと、エカテリーナ2世に招かれてロシアの宮廷で働いていたとゆーことに注目し、そのことでチマローザにこだわったのです。特にこのオペラでははっきりと「ロシアのダンス」が取り入れられているので尚更のことだろう。
この「女のたくらみ」ではフィナーレで
「ロシアの踊りを!(Un Ballo Russo!)」という呼びかけで
ロシアの民謡「カマリンスカヤ」が登場する。

ディアギレフ自身が1920年に新聞に発表したプレゼンの言葉は以下の通り

「1789年、チマローザはペテルブルクへ行き、パイジェルロの後をついで、イタリア劇場の支配人になりました。彼はペテルブルクで3年間指揮し、多くの曲を作曲し、……..さまざまなものを見聞しました。その中にはロシアの農民舞踏も含まれているかもしれません。1794年に作曲されたこの作品は(中略)結婚式で終わります。結婚祝う段になって台本の最後の一行は「さあ!ロシア風バレエを!」となっています。チマローザはカマリンスカヤと呼ばれる曲を用いていますが、彼はロシアの農民の結婚式でその踊りを見たに違いありません。40年後近代ロシア音楽の父グリンカは、近代ロシア音楽の出発点とされている幻想序曲「カマリンスカヤ」でこれと同じメロディを使いました。」

ディアギレフはバレエ・リュスの前哨戦となる1907年にパリで開催したロシア音楽演奏会でグリンカの幻想序曲「カマリンスカヤ」を取り上げている。



チマローザ「女のたくらみ」フィナーレun "Ballo Russo!"


上の動画の1m20sあたりが"Un Ballo Russo"
そしてすぐに熱狂的なカマリンスカヤが始まる。
チマローザ凄い!超エキサイティングだ!

チマローザ「女のたくらみ」カマリンスカヤの引用


レスピーギはこのオペラの編曲を担当したが、「風変わりな店」のようなものすごいアレンジではなく、チマローザの原典を尊重した格好のものになった(レチタティーヴォのカット、ティンパニ、小太鼓やクラリネット入れてオケを補強したりという感じ…)。このレスピーギ版の楽譜は出版されて、結構最近まで普通に使用されていた。
例えば序曲=シンフォニアを聴いてみよう。
オリジナルはこーゆー感じ
レスピーギ版はこう

ディアギレフはこのオペラにはバレエ向きの箇所があったのでオペラ・バレエとして上演しようとしたのだが、歌の扱いで振付のマシーンと口論になってしまう…このことがマシーンとディアギレフの別れに結びついてゆく。

初演は1920年5月27日

美術・衣装はホセ・マリア・セール

「女のたくらみ」のカルサヴィナ(1924)

このオペラ・バレエは歌の部分をカットして「チマロージアーナ」というタイトルの(ディヴェルティスマン)に再構成された版も上演された。

そして、これとほぼ同時期にストラヴィンスキーはペルゴレージの音楽による「プルチネルラ」の作曲をしていた。

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