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連弾チクルス05

2016年 9月10日・竹風堂大門ホール
ピアノ:石坂愛・神林杏子


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vol5
シューベルト:3つの軍隊行進曲D733

この曲は第1番だけが飛び抜けて有名です、誰でもぜったい聞いたことのある超有名曲です。

オーケストラやブラスバンドやピアノソロや編曲の楽譜がたくさんありますが、とにかくもういろんなスタイルでいろんなところでやたらと演奏される超有名曲です。ストラヴィンスキーもこの曲を使ってポルカを書いてます。

もともとは連弾のための曲です。今日聴いていただくのがオリジナルということになりますね。これのオリジナルが連弾の曲だってことを知らない人もけっこう多いんです。

大作曲家の中でオリジナルの連弾曲を一番沢山書いたのはおそらくシューベルトでしょう。シューベルトが連弾曲をたくさん書いたのは、仲間とサロンで演奏して楽しんだり、ピアノのレッスンで生徒さんと一緒に弾いて教えるためということもありましたけど、連弾の楽譜の需要が高かったのも影響してます。シューベルトの時代になるとおうちやサロンで家族やお友達と連弾を楽しむとゆーことが増えてきたので、楽譜屋さんも連弾の楽譜を欲しがったんですね。だからシューベルトの生前に出版されたのはピアノソロの曲よりも連弾の曲の方がずっと多かったです。

(シューベルトの連弾の曲だけでチクルスを構成することも可能だ....考えてみようかな....でも興行として成立するだろうか...)

グリーグ:ノルウェー舞曲Op.35


グリーグは1843年生まれのノルウェーの作曲家です。チェコのドヴォルジャークが1841年生まれですからほぼ同い年の作曲家ということになります。音楽の歴史の上ではドヴォルジャークと同じ「国民楽派」の作曲家という位置付けになります。従ってその音楽は、民族問題、民族の独立の問題と離れて考えることはできません。グリーグの出身国ノルウェーは400年もの長きに渡ってデンマークの支配下にありました。
今まで
ずっとお話ししてきましたけれど、ドヴォルジャークの祖国・チェコもそうですね。ずーっとオーストリアやドイツの支配下にあった。北欧も東欧も民族の自立とか独立のような動きが出てきたのはやはりフランス革命1789年
以降のことになります。その動きが更に決定的になるのが1848年以後。まさにグリーグやドヴォルジャークの時代です。1789年のフランス革命は一応自由平等博愛を旗印になされた革命ですが、実態としてはまだまだブルジョワの人たちの自由平等博愛にとどまっていました。それでもこれは大変な出来事だったわけですが、この精神がようやく労働者などごく普通の人々に広がるきっかけになったのが1848年のフランスの二月革命です。これを決定的なきっかけにしてヨーロッパは激変するんです。国民国家という考え方がブルジョワ階級だけでなく人々に広く浸透して、ナショナリズムの精神が高揚して、民族の自立や独立という動きに一気に結びついてくるわけです。東欧も北欧もそうです。ここで「おらが民族の言葉、音楽、文化」を大事にしようじゃないかという動きが強烈に出てくるようになる。ドヴォルジャークもスメタナも、グリーグもシベリウスも19世紀後半の国民楽派の作曲家たちはみんなそうです。ショパンも時期的にはちょっとだけ前になりますが同じ流れの中の作曲家と言えます。
東欧はロシアやドイツ、オーストリア、オスマントルコに挟まれた故の大変さというのがありましたけれども、北欧の場合は、強国スウェーデンとデンマークと、それより弱いノルウェーとフィンランドという図式があったわけです。北欧はまず、北欧の中での食うか食われるかの戦いを延々とやってきてるわけです。その上でロシアやドイツやイギリスといった強国とやりあってきたわけですね。ノルウェーは約400年にわたってデンマークに支配されてきました。フィンランドもまず長くスウェーデンの支配下にあって、その後はロシアに支配されます。

オーストリアを中心とするハプスブルク帝国に16世紀くらいからずーっと支配されてきたチェコの公用語が徐々にドイツ語に変化してしまったように、ノルウェーでも公用語はデンマーク語になってしまっていました。いつの間にかそうなっちゃうんですよね。言語や文化は意識的に守ろうとしないと意外と簡単に消えてしまうんです。外国にいる日本人のお母さんが子供の日本語を守ために涙ぐましい努力をするでしょう?それと同じです。守ろうとして努力しないとすぐ消えちゃうんです。
教養のあるノルウェー人はデンマーク語で話すのが当たり前でした。グリーグはそうした中で、ドヴォルジャークやスメタナと同じように、作品を発表することによってノルウェーの言葉と音楽を自分たちの手に取り戻すということで民族的な闘争をしていたわけです。連弾のチクルスの第1回目に聴いていただいたペールギュントなんてのはその代表的な作品です。ノルウェーを代表する作家イプセンの劇に付けた音楽ですね。とても有名です。もちろんセリフはノルウェー語で、音楽もノルウェーの伝統的な音楽をどんどん取り入れてます。主人公のペールギュントもノルウェーに実在した人物ですしね。これから聴いていただくノルウェー舞曲なんてもう、そのものズバリです。1881年の作品です。4つの曲から構成されてます。

グリーグはノルウェー山地の民謡の中から素材を選んで、ノルウェー舞曲を作曲しました。大部分はノルウェーのハリンゲル地方で踊られる舞曲「ハリング」を下敷きにして書かれてます。だいたいもともとはフィドルで演奏されるものです。フィドルってのはヴァイオリンに近い楽器(ヴァイオリンとほぼ同じですが、サイズがちょっと小ぶりです)でノルウェーの田舎の舞曲には大抵ハルゲンダルフィドルが使われます。グリーグの舞曲っぽい作品の根底には常にこのハルゲンダルフィドルの響きがあります。ノルウェー舞曲は2番目の曲が多分一番有名なんですが、今日はしっかり4曲まとめて本来の格好で聴いていただきましょう。この曲もハンス・ジットがアレンジしたオーケストラ版があって、こちらもけっこうよく演奏されます。

ドヴォルジャークもグリーグも民族の問題に音楽家として命がけで真剣に立ち向かった人たちなんです。

連弾が多く書かれた時代ってのは民族主義の時代とも重なっているんです。



ビゼー:子どもの遊び


ビゼーといえば、何と言っても「カルメン」。あとは「アルルの女」とかが有名ですね。ビゼーは1838年、パリ生まれ。ピアニストとしてもなかなかの腕前だったようですね。どのくらい上手かったかというと、あのピアノの名人リストに絶賛されるほど上手かったんです。すごいですよね!ピアノはめちゃめちゃ上手かったですが、ビゼーは何よりもオペラを書きたくてそっちに没頭してたので、ピアノ曲はあまり残してません。惜しいですね。半音階的変奏曲ってピアノ独奏曲(いい曲!)がありますが、そんな程度かな。
ビゼーは36歳の若さでこの世を去りました。敗血症だったそうです。モーツァルトも36歳目前で亡くなってます。シューベルトはもうちょい早くて31歳、ショパンは39歳で亡くなってます。メンデルスゾーンも38歳で亡くなってます。天才的作曲家は30代後半が鬼門ということですかね。

子どもの遊びは12曲からなるピアノ連弾曲集です。1871年の作曲です。小さな可愛い曲がたくさん並んでいて、組曲というよりは、これは曲集という方が相応わしいですね。ビゼーは翌年1872年すぐに12曲の中から5曲を選んで自分でオーケストラ用に編曲しました。このオーケストラ版の方も人気があって今もよく演奏されます。


12曲もあるなんて長くなっちゃうんじゃないかなんて思いますよね。ご心配無用です。ほとんどの曲が1〜2分の短かさで、長くて2分くらいですから心配するほど長くないです。では聴いていただきましょう!


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