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麻雀とメンタル①

「メンタルや運気が下がった時の対処法を書いてください」とリクエストがあったので、今日は前半のメンタルについて書こうと思う。

■メンタルが強いとは何か?

私はよくメンタルが強いと言われるが自覚はないし、そもそも「メンタル」という言葉は会話で出てこない限り、自発的には使わない。メンタルが強いとは何か?ネガティブな感情を持たないことなのか、人目を気にしない図太さなのか、自分を律する意志の強さなのか、おそらくこれら全て+他のケースにも使われる言葉だが、具体的に言った方が誤解がない。

私は「曖昧だが便利な紋切り型フレーズ」や「個々の解釈が違いそうな言葉」を常日頃から避けていて、メンタルという言葉もこれに近いと思っている。とにかく「メンタル=精神面や心(の持ちよう)」という意味として進める。

■ネガティブな感情を持つことに罪悪感を感じ過ぎ

麻雀で負けてくやしい、悲しいことがあってしょんぼり、迷惑をかけられてご立腹。こんな時に多くの人が「メンタルが弱い」と自分を責めたり、逆に相手を笑ったりするが、ネガティブな感情を持つことは良くないというブームめいたものに、私は少し疑問を持っている。

麻雀は勝ちたいし、悲しいものは悲しいし、美しいものは賛美したく、面白いものには笑いが込み上げる。自然だ。私はメンタルが弱いと思われても構わないので自然に生きたい。対処法を聞かれているのだが、私はあまり対処しないのでリクエストしてくれた人には申し訳ない。

■気を紛らわすより、自分なりに考える

しいて言えば、例えば悲しい気持ちなら、本当に悲しいかどうか考えてみたりする。身内の不幸・財布をなくした等どう考えても悲しい事もあるが、例えば人に悪口を言われた場合「本当に嫌な言葉なのだろうか」とか「自分は本当にその人に良い評価をされたいか」考えてみたことはあるだろうか。

悪口にも前述の「紋切り型」みたいなのがあって、なぜ自分はそれを悪口だと捉えたのか、またはなぜ相手はそれを悪口として使ったのか、ということには案外不思議があったりする。自分の考えを更新するきっかけになることもあるのだ。とはいえ、自分が失礼な人に直面した不運というのには変わりはないので、もし落ち込むことがあっても罪悪感はいらない。

貴方の事が嫌だからといって、貴方に悪口を言ってくる人は失礼な人間である。そんな人に良い評価をされたところで得るものはあまりない。「みんなに好かれたい」と思う人もいるかもしれないが、私が今日もつつがなく生活できているのは毎朝バラの花束を持った紳士たちが玄関に殺到しないお陰でもあるので、好かれなくても構わない人には好かれない方が視界がクリアになるのではないかと思う。

■まるくおさめるリスク

「やべぇヤツに気に入られたい訳ではないが、悪口を言われないようにとりあえずその場は謝りたい」と考える人もいると思う。脳ミソを使った結果、自分に非があると思えば変えればいいだけだが、そうでない場合にやべぇヤツの機嫌を取り続けて生きる勇気はあるか。私はない。

雀荘でもよくある光景だが、やべぇヤツのために話の分かる人達にアジャストさせてその場しのぎをする→やべぇが増長し負の連鎖が起こる。いま機嫌を取っても、直面している問題はその人が失礼な人間であることに起因しているので、貴方はまた不快な思いをする。

「その場はまるくおさめるのが利口」とよく言われるが、これも紋切り型の典型で私はあまり好まない。まるくおさめた結果、咎められなかった問題の因子は増長する。咎められなかったのだから当然である。まるくおさめ続けるほど、まるは大きく膨れ上がっていくのだ。角がないばかりが良好だろうか。サイズ感にも注目してほしい。

■悲しい出来事と俯瞰の機会は別問題

それでもまるくしたい人は、実はしてもいいと思う。が、避ける方向で話していたのでそちらに話を戻すと、失礼な人に出くわせば被害者が自分でなくても不快なものだ。今回は不運だったが今後その人にあまり近づかないようにすればいい。有益な情報を得た日でもある。大事なのは、不快であったことと脳ミソの整理が出来たことは別々の事柄なので「無理してポジティブに捉えられない自分を責めることはない」かつ、「不躾な人についてそれ以上の考察はいらない」ということなのではないかと思う。

■麻雀において

の話を続ける予定だったが長くなりすぎたので、次回に。


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