ギターと孤独と蒼い惑星 感想
『ぼっち・ざ・ろっく!』挿入歌『ギターと孤独と蒼い惑星』を聴いた感想書きます。
『ぼっち・ざ・ろっく!』は女の子4人が「結束バンド」という名前のバンドを組んで音楽活動をするというアニメ。
主人公の「後藤ひとり」が陰キャというのが特徴。ニックネームは「ぼっち」。
ライブでの演奏が、感情の発露を音楽に乗っけて観客にぶつける、魂のこもった演奏っていうのが良いものだとして。
それはいわゆる、「ライブ感」とか言われたりするのかもしれない。
陰キャで感情表現が苦手で臆病な人間が人前に立ったとき、果たしてそんなにも自分を開放できるのだろうか?
自分の「ありのまま」を見せるのが怖くないなら、陰キャじゃない。
殴り書きみたいな音というのが、正確さよりそのときの感情を乗せた音だとして、陰キャな自分は練習通りの機械的な演奏を披露するだけで、そこに魂なんてこもってなければ、観客に何も伝わらない。
音楽にとっちゃココ(ギター)が地球だなっていう表現、素直にすげーー。
自分が歌詞考えたとして、この表現一生出てこない。
音楽にとっての地球がギターだとして、それは何を表しているんだろう?
地球が”中心”とか、”世界”の表現だとしたら、自分の音楽にとって、ギターが全て。
バンドならドラムやベース、ボーカルもいるけど、孤独な自分はたった一人でギターをひたすら弾き続けてきただけ。
独りよがりのエゴな音楽なら、ギターが地球で、他の全ては宇宙の星になる。
そう考えると、サビの「ぶちまけちゃおうか星に」が、観客や周りの人間を星に見立てているようにも感じる。
周りの人間が輝けば輝くほど、自分の陰が目立つという表現。
それで、自分でもわからないうちに、周りの人間に影響されてどんどん熱い気持ちが湧いてきてしまう。
この曲、「結束バンド」と「後藤ひとり」の関係を描いているんだと気付く。
また、「後藤ひとり」と「観客」かもしれない。
本当に『ぼっちざろっく』の熱い部分を表現していてすごく良い。
この作品は誇張しすぎた陰キャ表現と、めちゃくちゃなギャグパートがあるので、一見すると、
のような日常系萌えアニメのようにしか見えないのだけど。
ただ、ライブパートはちゃんと熱くて、ロックしてる。
「陰キャ」という属性を、いかにロックとして表現するか。
そのために作られた楽曲と、ライブパート。
主題歌の『青春コンプレックス』も良い。
おそらく、今期No.1人気の『ぼっち・ざ・ろっく』
日常系の雰囲気が苦手でなければ、見てみてほしい。
ライブパートが熱くて良いです。
余談だけど、ライブパートはおそらく、演者(バンド)に実際に演奏してもらった映像か、そのときの3Dデータをアニメにしていると思う。
ベースが開放弦を弾くときに左手をだらんとぶら下げる癖(この行動自体に意味はないので本当にただの演者の癖だと思う)とか、細かすぎて元データもなしにアニメで表現できるとは思えないので・・・
そういう細かい描写が洒落てると思って画角合わせた、みたいなカットになってるし。
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