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温かい心

春望 杜甫
国破山河在  国破れて山河在り
城春草木深  城春にして草木深し
感時花濺涙  時に感じては花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心  別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月  烽火三月に連なり
家書抵万金  家書万金に抵る
白頭掻更短  白頭掻けば更に短く
渾欲不勝簪  渾て簪に勝へざらんと欲す
(執行草舟「友よ」より 「『新釈和漢名詩選』内田泉之助 明治書院」)

漢詩を日頃から読む習慣がなくとも高校時代に習ったりとか、本などで引用されたりすることが多い、日本人にはお馴染みの詩かと思います。

一般的には、戦乱の中で破壊された都とそれでも変わらない自然、そしてとらわれの身となっている自らの不遇を、社会や政治の矛盾にも絡め詠んでいるという解釈がされることが多いように思います。

単なる思いつきで漢詩を読もうと思い立っただけなので、全くの門外漢どころの騒ぎではない自分ではありますが、おそらくそのような解釈が妥当でしょうし、1300年ほど前の方ですがそのような思いで詠んだのだろうと勝手に簡単に思うのですが・・・。

出典でも挙げている執行草舟さんは杜甫さんを最大限にリスペクトし、人間の本質を詠んだ歌なのではいかという解釈をされています。
文学であれなんであれ芸術は読むもの観るもの聴くものが自分で解釈を自由にできるものだという考えを前提にすれば、この「春望」も一般的な解釈もその他のものも何が正解というのはないということになるのでしょうが、1000年以上も読み継がれた作品ならばやはり表面的な解釈よりは人間の本質、人間にとって大事なものは何かという視点での解釈、読みができるようになりたいかなとも思います。

ちなみに執行さんの解釈を超ざっくり紹介すると、
まず題名の「春望」については、
「春の眺めは人の心を暖かくする。」という感情を載せており、「この詩を温かい心で書いた」として、「悲哀を暗いもの、嫌なものとしか理解できない人間は、決して杜甫の詩に近づくことはできない。」とまで言われています。
そして、国が破れて山や川や草木の本当の姿が見えてくる、悲しみを乗り越えて大切なものがわかることがある。
また人との別れによって人の結びつきこそ何事にも換え難いとわかり、花や鳥の存在を強く感じるように心が洗われるようにもなる。
そういう経験をすることによって、家族の真の価値を感ぜられるということを詩っているとも。
そしてここまで人間にとって大切なものを順に詠ってきて最後に自分の肉体について触れているとし、この順番を間違えてはいけないとも述べています。

執行氏の書籍では「悲哀」がキーワードになることが多いのですがこの文章でも、

この詩句は、人間にとって、悲哀こそが真の原動力になることを表現している (執行草舟「友よ」)

と言われています。

漢詩に限らずですが文学をこのように自らの解釈で読むことができると素敵だと思いますし、目標としたいと思っています。