絵に書いたようなひとたち

ほろ酔いnoteなので、久しぶりにほろ酔いです。(たまにしらふでかいてる)
文章の乱れは許してくださいな。

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春が別れの季節なのではなく、冬の終わりと一緒に居なくなるくらいの気持ちの季節ですね。

卒業という一区切りだから 旧知の間で 久しぶりに会おうか、って話がめちゃくちゃ湧いてる季節でもあるんですが、
そんな話題からちゃんと実行に繋がった会のうちひとつの話に参加した時の話です。

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その子たちは高校の同級生で、当時はわりと深めの話をする仲で、たくさんの時間を共有していたこともあり、
私はその子たちのことを友達だと思っていました。

けれども大学2年、3年と進むうちに連絡取らなくなったり、飲み会しても集まれる人しか集まりに来なかったり(ちなみに私は1回も参加してない)で、
なんだか疎遠な感じになってた人達で、
「まぁいよいよ最後だろうしいいかな」くらいのつもりで 私はその飲み会に参加表明をしたのです。

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いざ参加してみると、全然今まで通りのあゆみで話ができなくて。
私が二次会から参加したりとかもあるんだろうけれど、
出てくる話題全てが、フワッとした内容ばかりで震え上がったのを覚えています。

春からの職場がこうだからどうとか、
今付き合ってる相手と結婚とかどうとか。

絵に書いたような、漫画に出てくるような(サラリーマンになった高校の同級生の同窓会)みたいな話題ばかりで、
えっ…こういうのってフィクションの世界じゃなかったの…?と。

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私は来年も大学生をする組だし、
卒業後の進路も、合説行って…みたいない「The 就活」みたいなこともしないつもりです。
そして、どちらかといえば、自分が「絵に書いたようなオトナ」にならないための、
どうすればならなくて済むかを考える1年を過ごして来たつもりでした。

でもいざ、(絵に書いたようなオトナ)の会話をする友達だった人たちを見て、
「みんな大人になっちゃうんだ」っていう気持ちになって、

次に思ったのは
「私はこの子達の葛藤の時間や苦労を知らないから、一概に思考停止的な言葉で形容するのは凄く失礼やん」ということと、
「あ、ダメやん私本当はこれになりたかったんやん」ということでした。

みんなだって、それぞれ辛いことや、楽しいことが沢山あって生きてるのだから
私からそう見えたからと言って「そうするのが当然だから就職した」という視線を向けるのは失礼だよな、と。

でもなんでか、それを見た時に思ったのです。
「私だって、当たり前に就活する自分でいたかったんやな」って。

別に自分が特別な存在で孤独云々と 思ってるわけじゃないし、
普段の日々の中で、合説で嘘みたいな美しい言葉の説明を聞いたり、進路指導の指示に従って嘘ばっかのES書いたりする日々を苦痛に思う心も確かなのですが、
それでもいざ、「普通」に生きてるっぽい人達を目の当たりにすると、
自分なりに辛かったことも、悲しかったことも、楽しかったことも、誇りを持ってることも全部吹き飛んで、「あー!!私もこういう感じになりたかった!!!!」って思いました。

大学に馴染めないと思って飛び出したけど、結局やっぱり、私は馴染みたかった。
みんなと同じスピードで生きられんと思ったけど、できるならば一緒がよかったな、と。

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とんでもなく失礼な話なんですけどね。

普通っぽい日々の裏に、それぞれの個性で彩られた日々があるんでしょうが、
その飲み会ではそういう話題は出なかった。
1歩も踏み込まない話をつまらないと思ったし、
長らく会ってない人間に、1から10まで話せるって 確かによっぽどだよね、とも思いました。

聞いてもらってもしょうがないし、話してもしょうがないしね、って。でもそれって、すんごい薄っぺらくて寂しいな、って。
もちろんそういう話だってしたいし、すればいいけど、結果と予想の話しかしない環境に自分が合わなかったんかもしれません。

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だから何だって話なんですけどね。酔っぱらいだから許して。


あの時飲みに行ったみんなが読んでないことを祈る。

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