検診の考えと用語の整理

以前に別所で書いたものを再録します。いわゆる検診の考えかたや専門用語についての説明です。それらは、日常的によく使われる語であるにもかかわらず、世間一般に正確には知られてはいませんので、整理しておく意義があります。おそらく、そもそも検診なる語の意味を把握していない人も多いでしょう。専門分野が絡む所で建設的な議論をおこなうには、まずその分野に関する用語の意味をきちんと共有しておく必要があります。


検診は症状の無い人におこなう

大前提です。検診とは、自覚症状の無い人におこなうものです。症状が出たのをきっかけに受診して病気を見つける事は、検診とは言いません。

陽性と陰性

陽性とは、検査をおこなった結果の内、病気があるのではないかという判定の事で、陰性は逆に、病気は無いだろうという判定の事です。これはあくまで、推測の段階です。

診断と確定診断

最終的に、病気があるかどうかの判定をくだす事を診断と言います。そして、着目する対象の病気があると診断するのを、確定診断と表現します。その診断結果を基準として、それ以前の検査でおこなわれた陽性や陰性の判断が正しかったのか否かを評価します。

誤判定

病気が無いのに陽性と判定したり、病気があるのに陰性と判定される場合があります。これは誤った判定なので、誤陽性誤陰性などと言います。
教科書的には偽陽性偽陰性と、偽の語を入れますが、陽性や陰性と判定される事自体はただの結果であり事実だから字面的に整合しませんので、私はを用いています。
病気があって陽性が出たなら、これは正しい判定です。教科書的には真陽性ですが、先に挙げた理由により、私は正陽性と書きます。結果は以下のようなパターンに分割できます。

$$
\begin{array}{c|c|c} \ &
\textbf{有病} & \textbf{無病} \\
\hline
陽性 & ◯正陽性 & ✕誤陽性 \\
\hline
陰性 & ✕誤陰性 & ◯正陰性
\end {array}
$$

偶発腫

別の検査のついでに検査をする、という事があります。別の場所の超音波検査をおこなうのと同時に頸部の検査もおこなう、といった場合です。その、ついでにおこなった検査によって がんが見つかったら、それを偶発腫と呼びます。
偶発腫は、自覚症状が無い場合に発見されたものであれば、それは広義には検診であるとも言えます。偶発腫が生ずるような検査では無く、計画的におこなったものに限定して検診と言う場合もありますが、文脈によります。

インターバルがん

検診と検診のあいだに、症状が出て がんが見つかった場合、それをインターバルがん(中間期がん)と呼びます。検診と検診のあいだに急速に成長して症状が出ると、インターバルがんとなります。

誤診

診断が違っていた場合です。ある病気と診断したのに、手術の段階でそれが誤っていた事が判明したり、後からオペレーションミスが発覚して再検査して判明する、といった場合です。
先述のように、診断とは最終的な判断を指します。何段階かに分けて検査をする、たとえば、便潜血検査が陽性になり、その後の大腸内視鏡検査によって大腸がんが無いと判明した場合、便潜血検査の結果を誤診とは呼びません。

併発症(偶発症)

検査や、治療などの処置に伴う、患者へのネガティブな結果の事です。たとえば、出血や穿孔(穴が空く)などがあります。合併症と言う場合もありますが、厳密には区別されます。

前臨床期

病気が発生してから症状が出るまでの期間です。

臨床期

病気による症状が出てから、その病気が消失するまでの期間です。当然、前臨床期とセットです。病気が消える事を消退とも言います。処置によって治癒したり、がんであれば自然退縮した場合などが消退です。

前臨床期内発見可能期間(DPCP)

検査による発見が可能な時点から、症状が出るまでの期間を、前臨床期内発見可能期間(診断可能前臨床期。略称:DPCP)と言います。これは、検査技術の性能に依存します。生物学的に病気が発生した瞬間に発見可能になる訳では無いからです。したがって、DPCPは前臨床期よりも短い期間となります。DPCPはDetectable Pre-Clinical Phaseの略です。

早期発見

前臨床期に病気を発見する事です。前臨床期の内で発見出来るのはDPCPなので、より詳細には、DPCPで病気を発見する事、と言えます。

早期発見は進行の程度とは関係無い

検診の文脈においては、早期というのは、DPCP内、つまり症状が出ていない時の意味であって、病気の進行の度合いについての事ではありません。したがって、無症状で発見したら転移していた、というような場合でも、それは早期では無い、とはなりません。日常的用法と著しく乖離するので、この文脈での早期発見は使わないのが無難ではあります。

リードタイム

病気を発見した時点から、症状が出る(はずだった)時点までの期間です。実際に発見された時点からの期間なので、一般にDPCPより短くなります。病気が発見可能になった瞬間に見つける事などできないからです。

過剰診断(余剰発見)

他の原因で死ぬまでに、それによる症状が出ない病気を見つける事を、過剰診断と呼びます。後述しますが、誤診などと区別しやすいように、私は余剰発見の語を用います。

誤陽性と過剰診断は違う

誤陽性は、病気は無いのに、病気があるのではないかと判断される事です。いっぽう過剰診断は、実際に病気がある場合です。誤陽性は誤判定ですが、過剰診断は正の判定です。

誤診と過剰診断は違う

誤診は、処置の段階で、実は対象の病気で無かった事が判明する、といった場合です。診断に用いた検査が誤っていた訳なので、広義には誤陽性の一種ですが、診断前の検査結果と診断の事とは区別したほうが見通しが良いので、ここでは、誤診を誤陽性とは呼びません。もちろん、呼ぶべきで無いとまでは言えません。
踏まえると、誤診も誤陽性も同じく誤判定ですが、対して過剰診断は、診断(発見)自体は正しく出来ているので、全く反対です。

過剰診断と余剰発見

いま見たように、誤陽性や誤診と、過剰診断は異なります。過剰診断は、正判定(正診)されるのが必要だからです。しかるに、しばしばこれらは同一だとみなされます。おそらく過剰の語が紛らわしいからだと思われます。これが診断の前につく事で、診断自体が間違ったのだという印象を与えるのでしょう。
そのような理由もあって、私は余剰発見を使っています。過剰診断は英語でoverdiagnosisですが、別の語としてoverdetectionがあります。こちらを日本語にしたのが余剰発見です。見つけなくても良いのを見つけた(見つけた事自体は合っている)、との意味を表現できていると考えるので、そのように言っています。

保有(有病)割合

通常、ある時点で病気を持っている人の割合を指します。時点である事を明示する際には、(時)点保有割合と言います。

発生割合・罹患割合・累積罹患割合

通常、一定期間で新しく病気になった累積の割合を指します。病気になり得る$${n}$$人を一定期間追跡したとして、その内$${d}$$人が病気になったとすれば、累積罹患割合は$${d/n}$$となります。単に罹患割合と言ったり、期間中の累積であるのを先頭に明記する事もあります。カタカナでリスクと言う場合もあります。
罹患は病気に罹る事ですが、対象の分野を広げれば、病気に限らず色々のイベントに着目できるので、イベントが起こるのを一般的に表現する意味で、発生の語をあてる場合もあります。たとえば、事故に遭う発生割合とは言えますが、事故に遭う罹患割合はおかしいですね。

保有割合と罹患割合は違う

風邪を例にすると、今風邪に罹っている人の、全体に対する割合、が保有割合です。対して、風邪に罹っていない人を全体として、一定期間内に風邪に罹った人の割合が、(累積)罹患割合です。

  • 罹患:罹る事

  • 保有:罹っている事

です。罹りやすい病気で無くても、いつまでも治らないようなものであれば、保有割合は大きくなり得ます。一年以内に風邪を引いた人の割合は多くても、いま風邪を引いている人は、そんなにいないはずです。また、高血圧や糖尿病は、いったん罹ると長期間続くので、高齢になるほど保有する人の割合は高くなります。
実際的には、まず検診をおこなって保有割合を把握し、罹っている人を除外した上で、その後の検診で罹患割合を把握する、という方法がとられます。罹っていないが罹り得る人、を対象にする必要があるからです。

死亡割合

全体に対する、死亡者の割合です。甲状腺がんを例にすると、全体の内、一定期間内に甲状腺がんで死亡した人の割合、が死亡割合です。全体とは、その病気に罹っていない人も含みます。特定の病気に着目しているのを明示する時は、疾患特異的死亡割合と言います。

致死(致命)割合・生存割合

死亡割合に似ていますが異なります。分母は、集団全体では無く、病気に罹った人、です。甲状腺がんだと、甲状腺がんに罹った人の内、一定期間内で甲状腺がんで死亡した人、の割合です。

これは、その病気による死にやすさを表します。発症した狂犬病の致死割合の高さ(1に近い)は有名です。

なお、致死割合を1から引けば、生存割合となります。治療効果などを評価する際にはこちらが使われます。また、5年や10年などの期間をとって、5(10)年生存割合、というように表現されます。

検診の目的

検診の目的は、それによって有害な結果を減らす事です。死亡割合(致死割合では無い。後述)を減らしたり、後遺症等の程度を減らしたり、です。

発見を増やす事が目的では無い

検査によって早期発見をする事そのものは、検診の目的ではありません。早く見つけても、死亡割合を減らしたりしなければ検診に効果はありません。たとえば、病気を発見したとしても、その病気の治療法が全く無いのであれば、発見しても救えない事になるからです。

リードタイムバイアス

リードタイムとは、発見時点から、症状が出る(はずの)時点までの事でした。また、バイアスというのは、真の値を偏って示す働きの事を言います。たとえば、昔ながらの、針が動くタイプの体重計で、誰かがいたずらで大きいほうに針をずらしたとしましょう。乗る人がそれに気づかなければ常に、針を動かした分に体重が大きく出ます。こういう働きがバイアスです。

リードタイムは、発生から症状が出るまでの期間の事ではありません。発生の時点は解りようが無いからです。なので、発見と処置をおこなう時点を起点とするしかありません。そうすると、早く見つける事自体が、見かけ上の生存期間を延ばします
たとえば、症状が出てから5年後に死亡するとします。症状が出る2年前に病気を発見したとして、その7年後に死亡しました。この時、生存期間は7年ですが、それは、症状が出あるはずの時点から5年後ですから、結局は救命できていません。なのに、見かけの生存期間は延びています。※もちろん、何日とか何時間とかの違いは無視した話です
この事を把握しなければ、見かけの生存期間が大きくなる事のみをもって検診が効いたという判断する、という誤った評価につながります。だから、検診の効果を、そのまま生存割合で評価してはなりません。

レングスバイアス

通常、程度の良い病気は、ゆっくり進行します。ゆっくり進行するという事は、数年に一回といったインターバルでおこなうような検診で見つかりやすいのを意味します。そうすると、病気で早く亡くなった人と長生きした人を比較して、長生きした人のほうが検診を受けた割合が大きいという場合、検診に効果が無いのに、検診をした集団のほうが全体的に経過が良かったと評価され、検診に効果があった、と誤って判断してしまう事もあります。これがレングスバイアスです。レングスとは、DPCPの事です。

クリティカルポイント(臨界時点)

病気の経過上で、医学的処置が有効となるかを分かつ時点を、クリティカルポイント(臨界時点)と言います。そのポイント以前に処置がおこなわれれば寿命が延びる、という場合、そこはクリティカルポイントです。この概念は、検診の議論の中でも最重要のものです。押さえておく必要があるのは、クリティカルポイントは、理論的に想定する必要があるが、それを直接的に観察する事はできない、という所です。同じような状態にある人を集めて、いっぽうには処置をおこない、他の人は遅らせて処置して予後を見る、など倫理的に許容されないからです。

効果のある検診とは

ここまでをまとめると、検診が効果を発揮するのは、

  • クリティカルポイントがDPCPの中にあり

  • クリティカルポイントの前に発見出来る

場合、と言えます。また、ある程度のDPCPの長さも必要です。
もし、クリティカルポイントが

  • DPCPの後(臨床期)にしか無く

  • 症状が出てクリティカルポイントまでにしばらくの期間があれば

それは、症状が出てからでも間に合う事になり、検診をしなくても良いと評価されます。つまり、検診が有効にならないのを示します。

病悩期間

病気があると自覚し、それに悩む期間を指します。分野によっては、症状が出てから処置がおこなわれるまでの期間などを意味しますが、検診の場合、症状が出ていない段階で発見しますから、それを考慮する必要があります。

症状前発見は病悩期間を延ばす

検診は、症状が出る前に病気を見つける事です。であるなら当然、検診は病悩期間を延ばす可能性を持ちます。症状が出るまでは気づきもしないのに、敢えて症状が出る前に発見して、患者に病気があるのを知らせるからです。
検診に効果があるのは、クリティカルポイントを捉えて、検診しない場合よりも、実際に寿命を延ばす事でした。そして、もし検診に効果が無いのであれば、その検診は、リードタイムは延ばすが寿命は延ばしません。リードタイムは、前臨床期の一部を病悩期間にする事だとも言えます。

ハーム(害:harm)

医学的処置に伴う害です。害をリスクと呼ぶ分野もありますが、既に説明したように、医学(疫学)ではリスクを、発生割合や確率を指す用語として扱う場合がありますので、リスクをあてるのは避けて、害を英語で表現するハーム(harm)を用いたほうが見通しが良いでしょう。
世間にもよく知られる、検査にともなう肉体的・心理的負担や併発症は当然として、先ほど解説した病悩期間延長なども、検診によって発生する可能性のあるハームであると言えます。

便益があるだけでは検診は推奨されない

見かけの生存期間を延ばすのでは無く、実際の寿命を延ばすのが、検診がもたらす効果です。たとえば、症状が出てから5年で死亡するはずだったのを、検診をする事によって、症状が出る2年前に発見して、そこから9年後にその病気で死亡したとすれば、2年の寿命延伸に成功したのを示します。これが検診の効果です。
こういった効果を含めた検診の好ましい影響をもっと一般に、便益(benefit)と表現します。では、検診にベネフィットが認められれば、それは推奨されるかといえば、そうではありません。

害があるだけでは検診は否定されない

併発症や、病悩期間延伸、あるいは余剰発見は、検診がもたらす害です。特に余剰発見は、症状をもたらさない病気を発見するので、それに伴うあらゆる負担が、受ける必要の無い害です。では、検診によってそれらが生ずる可能性があるのなら、おこなうべきでは無いのでしょうか。そうではありません。

正味の便益

検診は、集団を対象におこないます。これは初めから、便益を享受する人も、害を被る人も、両方が同時に生じ得るのを前提しています。1人に着目すれば、もし検診で寿命が延びれば余剰発見は起こり得ないし、余剰発見が起こったのならそれで寿命は延びない、という排反的な関係がありますが、集団に目を向ければ、検診で寿命が延びる人がこのくらいの割合いて、余剰発見の害を受けてしまう人もこのくらいの割合でいる、というように、一緒に起こります。ですから、

  • 検診で救われる人が生じ得る

  • 検診で余剰発見される人が生じ得る

というような、単に可能性のある無しでは、検診をするかどうかは言えません。何人が検診を受けたらどのくらいの割合の人に便益や害が生ずるのかを定量的に評価して、それを比較して、便益のほうが勝っているようなら検診を推奨する、というように検討していくのです。この時の、害に対して勝っている分の便益の事を、正味の便益(net benefit)と言います。検診が推奨できるかには、正味の便益が認められるかどうかがまず重要なのです。

便益vs害

正味の便益が認められるかが重要と書きましたが、それには当然、便益と害の適切な比較が必要です。しかるにそれは、とても難しい事です。たとえば、何人かに検診をしたら1人の命が2年延びる、けれど30人が余剰発見される、というのが分かった場合、それをどう比較するかの問題があります。簡単ではありません。2年の生存と、数年から数十年の後遺症や病悩期間発生とのどちらが重いかを考える必要があるからです。また、生存期間が延びるとしても、その大部分が寝たきりになるとか、痛みに苛まれる、というような、の観点もあります。更には、処置や診療などに関わる費用など経済的指標も絡んできます。便益と害の比較、と文字で書くのは簡単ですが、それを実際に重み付けして比較衡量し、さらにそれを世間に提示・共有しコンセンサスを得ていくのは、社会全体で取り組まなければならない難問です。



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