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第五次聖杯戦争、それは信念を貫く物語ー

大体察してもらえると思いますが、Fate/stay night [HF]の鑑賞記録です(苦笑)
まさかの初投稿が映画の感想になろうとは…誰かと共有したいというよりも自分のための記録として残しておきたくなったので。初回・2回目の観賞を過ぎ、他の方の感想に目を通した上での記録なので、どこまでが自分本来の感想かも定かではなくなっていますが…ネタバレには全く考慮してないので、あしからず。

個人的にはFate遍歴なかなか異色だなと思います。
初めて触れたのFateの世界は『Fate/Apocrypha』のアニメ化で、予備知識もないまま見始めたら面白いのに、わからんところが多過ぎ!となってWikiで調べながら鑑賞…やはりこれは原作に触れなければ深く楽しめないとなって、慌てて『Fate/stay night』の無印(セイバールート)・UBW(凛ルート)をCATV とアマプラを駆使して鑑賞したんですよね。
セイバールートの24話、セイバーとベディヴィエールとのやり取りは3年経っても今なお好きなワンシーンだったりします。
そこからソシャゲなんて刀剣乱舞ぐらいしかしてこなかったんですが、『FGO』をプレイしだし、『Fate/stay night [HF]』が劇場アニメ化されることを知り、さらにはufotableが制作するとあってこれは絶対見なければと鑑賞、そのままFateの世界にどっぷり浸り、アニメ『ロードエルメロイの事件簿』『Fate/Grand Order 絶対魔獣戦線バビロニア』と引き続き楽しませてもらっているという状態です。

なので、原作は未プレイ。アニメ版での描写や関係性・ストーリーしか知らないまま、今なおFateを楽しませてもらっているので、多分原作からのファンの方に絶対原作プレイした方がいいよって言われるのわかり切っているんですが、如何せんゲームをプレイし続けることに不向きで…クリアしたことないんですよね。だからFGOもまだ第1部から進めてなかったりします。hahaha…

そんなわけで脚本や映像・音響・演技・演出、どれをとっても素晴らしく、この薄っぺらい知識でも各章がっつり泣かされ、いい作品に出会えたなと思っていたんですが、どうしてもどうしても最終章の3章ラストがなかなかに理解できず、頭を悩ませていました。

ラストの士郎は士郎なのか

Apocryphaのおかげで大聖杯・第三魔法について、PrototypeとFGOのおかげでアンリマユや人類悪についても多少理解はあったんですが、それだけではラストの士郎が本当に桜を助けた士郎なのか、イリヤに「生きたい」と願った士郎なのか判断がつかなかったんです。

イリヤが第三魔法を展開したのち、アンリマユによって歪んだ聖杯は破壊され、その魔法の巻き添えになった士郎の手をアーチャーがとり、凛のペンダントが割れ、天に上る光を見つめて桜が一言「先輩」と呟いて、冬木の聖杯戦争は幕を閉じました。
正直、ここでは何が起きたのかわからないままでした。

ただ聖杯戦争後、凛と桜が2人の時間をアジア・ヨーロッパで重ね、恐らく魔術協会のお膝元・ロンドンで見つけた人形と鳥籠の中で光る魂のようなもので士郎を取り戻したのだろうと思ったのですが、魂の宿った士郎が発した言葉は「どうした?桜」のみ。モノローグが士郎に変わることなく、私の中に「士郎は誰に救われ、魂を宿された人形は士郎なのか」という疑問を生んだまま、士郎と桜は約束の場所へたどり着いたわけです。

理解が及ばなくとも、イリヤが士郎を死から救うために取った行動、士郎を取り戻した桜に凛が「今、幸せ?」と問い問われる2人の表情や「桜を見にいこう」という約束が第3章の第1弾キービジュアルに重なるように士郎と桜の歩み出す一歩で叶えられる演出には素直に感動し、涙涙でした。

2回目の鑑賞が終わってからかなり時間も経ち、そろそろ見れなくなるのでは…?あと一回は見たい!!とフラストレーションが溜まっている中、士郎問題(勝手につけた)を解決するのは自力では無理だ、次見れるタイミングがもしかして最初で最後になるかもしれんとなり、我慢してネタバレ…というか考察めいたものを見ないようにしていたのですが、ついに検索しました。

イリヤが叶えたのは士郎の「生きたい」という願い

こんな大それた書き方しなくても知ってるわと思われるかもしれませんが、これに気づいた瞬間全てつながって、端的にいうと泣きました。
(余談ですが、この見出しをつけた瞬間ルルーシュの「なぁ、スザク。願いとはギアスに似ていないか。」が思い出されてしまった…)

イリヤの展開した第三魔法はアンリマユによって歪んだ聖杯を破壊することではなく、瀕死の士郎を物質化することで士郎の「生きたい」という聖杯戦争の勝者であるマスターの願いを叶えたんだと気づき、どうしようもなくイリヤを抱きしめたくなりました。
どうしてもアインツベルンの聖杯の器であるイリヤはどのルートでも命を落としてしまうわけなんですが、こんなに悲しくて凛々しくて神々しい死が救いになったかもなんて思うと…

そもそも[HF]は桜の救済の物語だと思っていました。
無印やUBWで士郎が願う「正義の味方」は、悲しむ人がいないように、救われない人がいない世界の実現、まさしくZeroで切嗣が願った全人類の救済のための「正義の味方」そのものだと思っていたので、無印では士郎の信念が貫いた結果、聖杯戦争は終わりを迎えたのだと。
そしてUBWでは凛によって「自分より他人が大事」に囚われていた士郎の心も救われ、アーチャーとしての運命を辿る未来すら救ったのだと思っていたので、HFでは士郎の信念は桜との接触で"桜だけの"「正義の味方になる」ことで曲がり、桜の救済しかないように感じていたんです。

でも士郎は3ルート通して初めて「自分よりも他人が大事」という囚われから本当に解放され「生きたい」と自らの願いを抱き、イリヤと凛(のペンダント)によって命を救われ、形を変えた信念「"桜だけの"正義の味方になる」は生きることで大罪を償う桜の隣へ帰ることで貫かれたのだと気づきました。

つまりラストの士郎は恐らく士郎そのものなのだと思うのです。

最後に

こうして記録を残すとまた見たくなるので、早めに3回目を叶えたいと思います!
見所は死ぬほどあるので、追記で残せたら…
ストーリーを気にせず見れる人はライダーとセイバーのバトルだけでも劇場で見てほしいところ!!ほんとにufotableには脱帽しかありません…

下記の記事を参考にさせていただきました。ありがとうございます。


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