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終わりなき旅、鬼の苦痛説

終わりなき旅。



この言葉を聞いて何を思い浮かべるだろう。
めちゃくちゃ悪意のある事をした自覚はある。



有名なあの曲だったり(本当にちゃんと聴いた事がない、本当にすみません。7分あるんですね)、カラーサークルの隅の隅、彩度をを最大限までに引き上げたような青い空と、地平線と、どこまでも続いていく一本道。ここからどんな出会いがあるのか、何が起こるのか、期待と不安、けれどその果てに待つのは輝かしい明日だという根拠のない確信。




いや無理がある。ちょっと厳しくないですか?





何かを生み出す行為、自分の場合だと特にこんな風に文字を連ねている時。
小説でも日記でもなんでも、物語に終止符を打つ事ができないのだ。いつまで経っても幕が降りない。勇者は魔王を倒す事ができず、船を手に入れた港町で一生マップを広げたまま立ち往生しているのだ。一生そのまま。終わりなき旅史上最悪のケースと言っても過言ではない。
世界が緩やかに滅亡するわけでもなく、魔王が攻めてくるわけでもなく、一生そのまま。

今回はそんな自分の思考整理に付き合って欲しい。
思いつきで書き走りながら自分の甘さと向き合い、どうしたら改善するのかを考えていこうと思う。書きながら思いついたらこの記事は結末にたどり着いた事とするため、変な終わり方をする可能性もある。

この文を書くほんの数分前まで、宇多田ヒカルの桜流しをソファの上で天井を見つめながら聴いているという、バッドに入った状態(かなり気分が鬱の時、ラッパーのように振る舞う事で少しでも響きを緩和するユーモアには日々努めている)。

そして数ヶ月、しばしの熟成を経てこの記事のバトンを渡された自分もまた同じような状態。なんならクリエイティビティの片鱗も見当たらない、インプットすら喉元でつっかえて拒んでしまうような状態になってしまった。
そんな人間が何かを生み出す事なんてできるはずがないのだ。

思考整理だなんだと連ねていたが、そんな行為すらできなくなってしまった。
苦しい。ずっと深海にいるような気分だ。少しでも水面に、散り散りに陽の光を捉えることができれば、足掻いて足掻いて、少しでも上に向かわんとすることができるのに、もがけもがけど息苦しく、闇のように真っ黒な水中が続くだけなのだ。

いつだって、自分の脳みそは新しいアイデアの宇宙だと信じてやまなかった。その宇宙に漂う星の数だけ、自分に可能性があると思っていたのに。
ただただ、何者にもなれない焦燥感から闇雲に詰め込んだ他者の才能たちで満たされ、何かを得たような感覚になり、いざとペンを取るも手が思うように動かない。

終わることもできなければ始めることすらできなくなってしまった。
このまま、何かになる事を探し続けて、続けて、続けて、何者にもなれず終わっていくのだろうか。勝手に始まって、自分の意思とは全く関係なく勝手に過ぎて、終わっていく人生の中で、ただただ焦燥感に苛まれながら。

厳しい〜!幸あってほしい!はやく行動しろ!
でもこうやって足踏みする時間もないとダメになる!困った。

本当に困った。困ったなあ。




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