2023.4.13 唾奇、いいよな

・お疲れ様です。

・就活というほとんどが無意味な授業を経て、自分にとって有意義な活動全てが楽しい。ありがとう、就活。この流れを習慣づけたい。

・8:00起床。飯買って大学へ。8:50〜大学。12:00帰宅。昼寝。16:00起床。焦る。焦ってたら1時間経過。17:00夕飯。18:00作業開始。24:00終了。現在風呂。

・一応uiデザイン完成。明日隙間時間とか使って詰めていく。思ったより良いのができた気がする。僕はルーティンワークができない。ルーティンワークをするのためのアプリと、そのuiを考えた。これからプログラミング学ぶので、アプリ化してみたい。

・以下は考えたこと。

・「あらゆる語りは当事者性を帯びなければ陳腐で説得力を持てない。ゆえに「隙自語」という指摘ははあまり好きではない」という批判は的を得ない。「好自語」は大抵文脈を無視している言葉に向けられており、それは当事者性とはなんら関係なく否定されるべきものだからだ。

・究極の脱力とは5lackであり、仏性を感じる。

・唾奇の『KIKUZATO』ヤバい。唾奇の生い立ちと併せて見ると泣けてくる。

・唾奇の出立、醸し出す雰囲気に憧れない人はいないと思う。達観している。でも彼の世界は彼で完結している。批評家は達観した立場からすべてに意見を持つけど、唾奇はそうじゃない。でも達観している。

・「結局こういうこと」「どうせ」みたいな印象が「達観」という姿勢にニュアンスとして感じられる。でもそこには当事者性がない。ラッパーっぽく言うと「リアルじゃない」。何がリアルか。自分の体験である。だからリアル=自分の体験が濃いことが大切である。濃い体験は印象に残りやすく、ヤンチャな気に憧れも生まれ、だから大麻の売買の歌とか、昔ヤンチャした話とかが広がっていく。

・でも実はリアルはもう一つある。先ほどのものが外部環境という「外」のリアルだとすれば、自分の主観的な感覚という「内」のリアルもあるのだ。目の前の現象から感じることが、研ぎ澄まされた感覚によって、緻密な歌詞となる。唾奇はそのバックグラウンドもあるのかもしれないが、感覚が鋭敏な気がする。そしてありのままを歌うだけで、実感のこもったリアルが伝わってくる。唾奇はこの意味で現代の日本のラップシーンと対立して...

あー豚キムチ食いてー!!!!

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