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ラブレター

わたしはカテゴライズするならばマゾということになるのだろうけれど、どこか自信がなさげだったり、さみしがりだったり、自分の性癖に対して途方に暮れていたりするSのひとが好きである。

普段は閉じ込めた自分の中にある衝動や欲望。私が触れあってきた人のそれはコンプレックス由来のことが多い。身体的な自信のなさ。性自認の違和感。それらを第三者を制圧や汚染、損傷させたりすることによって埋めようとする人たち。または、単純にそうすることによってしか快楽を得られない人たち。

わたしはそういう人に惹かれ、この人の側にいたいと思う。この気持ちはドミサブ的な言い方をすると側に”置いてもらいたい”と表現する方がそれっぽいのだろうが、わたしの感覚としては”寄り添いたい”に近い。

受け手という支持体である時、わたしは痛みを快楽に繋げるだけではなく、母性に近い悦楽を得ている。したいこと、していいよ。そう思うのである。

首を絞めるその手の力加減が、私の反応を見ながら少しずつ強くなるのを感じては、愛おしくなる。この人はまだ、理性を握りしめている。私を、殺してしまわないように。

衝動と理性の拮抗。わたしを気遣いながら、衝動に飲まれたがっている。愛おしいなあとわたしが苦しみながらヘラヘラと笑う。あなたは余裕のない顔でわたしの頬を叩く。なんてかわいい。そのまま壊してもいいよ、と言ってしまうそうになる。

頬やお尻を叩かれたり、それ以上の事にエスカレートするその痛みや苦しみによって、生理的な涙が零れる。
わたしはそうなってようやく心の全てで泣くことができる。
子供が駄々をこねるように、人目などお構いなしに、泣くためだけに、泣く。
私が痛みや苦しみを欲するのは、このためだ。
社会的な役割や立場、生活していくためのなにもかもを脱ぎ捨てる唯一の手段。

もちろん行き過ぎた行為にはセーフワードなどといった基本的な対策はやはり必要であろうし、それがなくとも私の声や表情、反応を細やかに読んでくれるという信頼関係も築いた上での行為だけれど、できることなら、この人の衝動を全て受け入れたい。あなたの衝動や欲望の先に、一緒に行ってみたい。
私の肉体や精神を従属させたり、変容させたりしたいとあなたが望むなら、私の理性や羞恥心を壊して品位も何もかも捨てさせて堕として欲しい。

あなたへ。
性癖は擦り合わせるものじゃないね。
需要と供給が合致するところだけでいい。
私を平らげてください。

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