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秋がただ心地よい季節だったならどれほど良かっただろう

わたしの心臓は秋になると、ギュウウ…と鈍い音を立てて縮こまってしまう
珈琲を飲みすぎたときや、恋をしているときみたいな感じで、苦しいのにじっとしていられず、泣きながら大暴れしたくなってしまう

わたしにとって秋がこういう季節になってしまったのは高校生くらいの頃で、秋風に吹かれることでその頃の感傷的な思い出が蘇ってしまうのかな、というのがわたしの推測だった

そういうエモーショナルな季節があるのは個人的には悪いことではないと思う

しかし、近頃の秋はもうそういう次元にないのである

心臓の可動域が狭まり、身体中の関節のすべてのネジが弛み、「生」から明確に遠ざかる感覚がある

今年に至っては平衡感覚も失われ、まっすぐ歩けなくなったり、自分がいま横になっているのか立っているのか分からなくなることがあったり、もう散々だ

しかも、コロナ禍やら休学やらでなんとなく時が止まったように感じていたが、実際はあの頃の秋から7~8年経っており、記憶がかなり遠くにいってしまっているのである

記憶は目が霞むほど遠くにあって、もう実体があるのかどうかもあやふやなのにも関わらず、身体は馬鹿正直に秋風の言いなりになる

秋に、実体のない「エモ」が襲いかかってくる

時を経て、わたしにとってもうこれは、生理痛とかと同じジャンルの面倒事になってしまった

精神がいくら穏やかになっても、昔のことをすべて忘れてしまっても、身体はかの日々の気温も湿度も空気の匂いもすべてを記憶していて、不調を起こし続ける

煙草を吸いすぎて肺の病気になったり、酒を飲みすぎて肝臓の病気になったり、「エモ」っぽいことをした罰は身体の不調というエモくない形で一生付き纏う

人生は長い、わたしは一生秋に足元をとられつづけるのだろうか

若気は、至らすべきではない

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