事実は、強い。
「グツグツと煮えたぎるような情熱や、天まで届くような願いよりも、淡々と語られた事実は、強い。」
エンドロールが流れ終わり、館内がボワッーと明るくなる。赤い椅子の背面に「E-4」と番号が書かれた座席番号を見つめながら、やや前のめりになった体を戻した。
JR東中野駅から、線路沿いに5分程歩くとミニシアター、ポレポレ東中野がある。座席数は、おおよそ100席。見たことのない映画のチラシの数々が、地下へ向かう薄暗い階段の入り口に置かれている。その上に「大量にチラシを持ち帰らないでください」と張り紙がある。地下階段は、小さな踊り場が2つ、そこに2人ほどが座ることができるベンチが置かれている。
グレイヘアのボブスタイルで、ゆったりシルエットの黒いワンピースを着た女性と、お友達であろうロングヘアの女性が、ベンチに座りコンビニのサンドイッチを食べながら談笑している。「同じ映画を見るんだろうな」と思いながら、軽く会釈をかわす。そして、もう一段階段を降り、現金でチケットを購入した。ポップコーンとコーラを肘掛けにセットし鑑賞するような、いつもの映画館ではないのは確かだ。ミニシアターには、90年代のライブハウスへ足を運ぶのような、懐かしい高揚感があった。後方座席の階段側「G-4」の椅子をバタンッとおろし、席に着くと間もなく辺りが暗くなった。
上映中、「このドキュメンタリー映画は、どんな着地を迎えるのだろう?」と、薄暗い中で腕時計に目をむける。開始から30分が過ぎていた。スクリーンから、鮮烈な事実が流れ続ける。そして、目の前に「E-4」の座席番号が浮かび上がるまでの、残り1時間。私の感情はどこへ行っていたのだろう…映画を観てこんな気持ちになったのは、はじめてだ。
私は、映画を見て涙したことがない。どうも物語の中に入り込めないのか、俯瞰して見てしまう自分がいる。だから「よくできた映画だな。面白いな」そんな感想をもつことが多い。ただ、今回は違った。
やはり、涙を流してはいない。しかし、見終えた後、体の内側に大量の汗が流れていくような感覚だった。俯瞰ではなく、没入していたからなのだろうか…見終えた後の感じは、まるでサウナに入った後の「ととのう」ような感覚にも似ていたのだ。
『Dr.Bala』というタイトルが、最後のスクリーンに映る。間もなく、一人、また一人と、ハンカチで目頭を抑え、階段を上がっていく。サンドイッチを食べていた2人組みだ。最後尾からは、劇場の男性が忘れ物の有無を確認しながら上がってくる。そんな様子を感じながら「大阪から、東京まで観に来て良かった…」と、私は椅子に深く腰かけ、最後の一人になるまで赤い椅子を眺めていた。
映画『Dr.Bala』は、大村和弘医師の12年を追ったドキュメンタリー映画である。ミャンマーやラオスなどに、1年に1週間赴き、医療活動を続け、東南アジアの医療を劇的に変えてきた物語だ。
「ラオスへ飛んだ…」や「ネパールにむかった…」など、物語を繋げるための、一言エピソードで語られているシーンがある。しかし、その一言だけの裏側に、どれ程多くのエネルギーと時間がかけられているのだろうか。さらに、その一言の後に続く、鮮明に色濃く語られていくエピソードを目の当たりにすると、体の内側の汗がポタポタと流れだしていた。大村医師が12年間でなし得た、想いと、行動と、事実の多さに驚いた。
映画を観終えてから、3日が経過した。
「あの汗のようなモノの、根源は何だったのだろうか?」と、ずっと考えていた。そして、今朝このnote を書きながら気づいたことがある。
この映画は、自分にとっての人生の豊かさを、深く内省し、熱い想いを抱き、愚直に行動し続ける大村医師の、生き様を知る映画であった。と同時に、観る者1人1人にとっての「豊かな人生」について、自己対話ができる映画でもあったのかもしれない。すくなからず、私にとってはそうであった。そして「偏愛」がその場所へ連れていってくれるヒントなのではないだろうか。
『Dr.Bala』は公開後から、各メディアで話題となり、映画の噂は口コミで広がった。さらに、2023年6月17日より、大阪と名古屋で追加上映が決定した。その事を東京へ行く2日前に目にした。それでも、行って良かったと言える。なぜなら、大阪での上映までの1ヶ月間で、小さな事実を積み重ねる事ができるからだ。死ぬ時に「ああ…面白い人生だったな」と言えるように、私の偏愛を愚直にコツコツと、今日も積み上げていきたい。
大阪 第七藝術劇場にて、6月17日より『Dr.Bala』上映開始
愛知 名古屋シネマテークにて、6月17日より『Dr.Bala』上映開始