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#1-1 Roots
みなさまスキ🖤Checkありがとうございます☺︎
自己紹介も済んだのでまずは生い立ちとアパレル販売員になるまでのルーツを。
(少し長くなるかもしれませんw)
幼少期〜中学生時代
幼少期は、ガリガリのチビっ子でした。
両親が共働きで、祖母にお世話してもらっていたいわゆる「おばあちゃん子」でした。
そしてエピソードトークが出来るような記憶が壊滅的に無い。(幼少期〜小学校低学年)
めちゃくちゃシャイで母親の後ろに隠れたり、「うふ♪」しか言えないレベルのコミュ力でした。
小学校高学年〜中学生時代は、とにかくやんちゃw
遊び相手は男の子も多かったし、自転車🚲に乗れるようになってからはうれしくて乗り回したり、キックボード🛴でどこまでも行ってた。
仲の良い友達と悪さしたり、たむろ(死語w)したり、嫌いな先生には歯向かうし、中2で染髪(完全厨二病w)お腹が痛いと嘘をつきトイレに隠れたり…両親これみたら「え!?😨」ってなるような時代(笑)
素行の悪さは、置いておいて。
2歳上の姉の影響で小学校高学年でバスケの練習に付き合わされ、もちろんそのまま中学は弱小バスケ部員⛹️♀️
スラムダンクを観ていていつかダンクシュートしてやる!!と思っていたw
せいぜい届いてバスケットゴールのネットに触れるのが限界だった(そりゃそうだ)
試合では、相手チームに100点以上取られるぐらい弱かったw
試合はしんどいばっかりで全然面白くなかったけど、3年間続けたのはえらい。これは安西先生(スラムダンク)の教えですね!
「諦めたらそこで試合終了ですよ」
ってめちゃくちゃ響くなぁ。
今でも思うのは同学年の中ではめちゃくちゃセンスあったということ。
このセンスというのは、これから先に繋がる戦略に近いものです。
例えば、相手のミスを誘うファウル、フェイント、ポジションがセンターなのに無視して試合中に3Pシュート決めちゃうwとか
私が1点も取らない試合は無かったし、スタメン外されることも無かった(人員的にw)
相手チームの監督から「5番だれなぁ!😡(目を離すなという意味で)」とキレられておりました(笑)
5番(私)がなんでもやるの、奇行すぎたんだろう
※ちなみに背番号です。4番がキャプテン、5番が副キャプテンというしきたり?があります。
5番だったけどキャプテンでも副キャプテンでもなかったです。
めちゃくちゃ話逸れてしまいました…(笑)
ここで最も話したいのはバスケのことではなくて中学生の時に経験した、職場体験の思い出です。
(いや、前置き長すぎぃ〜w)
あんまりに長いので続きはまた明日。
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