Los Angeles Times 「 RRR」タラクさんとチャランさんへのインタビュー 記事  大感情翻訳

2023年1月のロサンゼルスタイムズの記事(https://www.latimes.com/entertainment-arts/tv/story/2023-01-16/rrr-stars-ram-charan-ntr-jr)を、タラクさんとチャランさん合流前の心の準備と復習(?)も兼ねてほぼ自分用ですが翻訳いたしました。

記事の内容に沿って訳しております。
また、一人称、敬語の有無などは文章のニュアンスや雰囲気から素人が感じとったものから判断し、使用しておりますので、「イメージと違う!」などのお怒りはなるだけ鎮めていただけますと幸いです…。


素人大感情訳ではございますが…!よければ…!


今月初め、TCLチャイニーズシアターで行われたインドのアクション大作『RRR』の上映チケットが98秒で完売したとき、主演のN・T・ラーマ・ラオ・ジュニアは、それを理解するために故郷の料理の例えを持ち出しました。インドで人気のインスタントラーメン「マギー」は、調理時間わずか2分。

「インドで最も早く調理できる食品です。」と、ラオはタイムズ紙のインタビューで説明しました。「これはマギーを調理するよりも早かったんだ!」

売り切れの速さは、S.S.ラージャマウリ監督が、イギリスの植民地支配に対抗するために手を組んだ2人のインドの革命的英雄、コムラム・ビームとアッルーリ・シータ・ラーマ・ラージュの物語に対する熱狂を示すもので、昨年3月に米国で初めて劇場公開されてからその熱はますます強くなっているのである。

インド映画はしばしば国境を越えてディアスポラ(南アジア)の観客に受け入れられるが、「RRR」は特にテルグ映画産業、トリウッドを、インド人以外の西洋の観客に紹介し、その過剰なまでの壮大さに魅了されることとなったのだ。

ラオと共演のラーム・チャランは、ゴールデン・グローブ賞の数日前に、警備員を引き連れてビバリーヒルズのホテルでタイムズ紙と会見しました。「RRR」は、感染力の強いエネルギッシュな「Naatu Naatu」でゴールデン・グローブ賞歌曲賞を獲得し、外国語作品賞にもノミネートされた。

ソーシャルメディアの反応は、「RRR」が海外で注目されていることを俳優たちに教えてくれましたが、昨年の秋、日本を訪問して好評を博し、ハリウッドでラージャマウリ監督に拍手を送る熱狂的なアメリカのファンの映像を見て初めて、テルグ語の大作が世界に広がっていることを十分に理解したのでした。

また、「RRR」はインドでも大きな反響を呼び、地域や言語によって大きく分けられるインド国内の複数の映画産業の境界線を見事に曖昧にしました。

「ボリウッド、トリウッド、コリウッドといった区分けではなく、インド映画産業と呼ぶようになったんだ。」とラオは言います。

「ラージャマウリは 『森 』を燃やしたんだ。」とチャランは付け加えました。「そして、一つの大きなインド映画産業としたのです。」

その為に、二人の俳優は、インドの最も著名な言語による複数のバージョンの「RRR」に自分の声を吹き替えました。テルグ語、ヒンディー語、タミル語、カンナダ語です。

「俳優が演技をしていて、その声が表現にレンダリングされると、それだけでより良いものになるんす。」とラオは言う。
「ラージャマウリは、その地域のその言語を話す観客と、即座に繋がれるように複数言語の吹き替えにこだわったのです。」とチャランは付け加えました。

常に互いに言葉を交わしながら、長年の友人である二人のパフォーマーは、先人たちの遺産を受け継いでいます。ラオの祖父N. T. ラーマ・ラオ・Sr.とチャランの父チランジィーヴィは、20世紀を通じてテルグ語映画界に大きな影響を与えた人物です。

長い間、彼らの家族は政治的に宿敵として広く知られていましたが、その世代間の反目は、俳優たちの絆を邪魔することはありませんでした。「ライバル関係という概念が、僕たちを結びつけたんだ。」とチャランは説明します。
「30年以上もの間、ライバル関係のニュースに飽き飽きしていたので、僕たちにできる唯一の道は友情だったのです。」

2人が永遠の知人から親しい友人へと変化し始めたのは、数年前に行われた有名人によるクリケット試合の練習の時でした。現在、2人はハイデラバード市内のすぐ近くにある同じコミュニティーに住んでいます。

「単純な物理学だよ」と、ラオはチャランとの深い友情について語った。

チャランとの深い友情について、ラオは「単純な物理学だよ。対極は引き合うんだ。チャランも僕も、お互いに自分にないものに惹かれてる。だから、尊敬し合えてる。これはサポートシステム。僕たちはお互いを補い合い、決して漏れることのない秘密を共有することができるんだ。」

「RRR」のキャラクターが「炎と水」と表現するように、ラオは2人の中でより外面的に表現力豊か、一方、より静かなチャランは平静さを滲ませている。

2人の実の友人を起用したことで、ラージャマウリ監督は有機的な関係を築き、仕事をしやすくしました。しかし、俳優たちの友愛関係の強さにも関わらず、スクリーンを共有したいという願望は、「RRR 」への参加に同意する十分な理由にはならなかったのです。

インドでは、同じ業界の大物が共演に同意するのは珍しいことだとチャランは言う。しかし、2人はラージャマウリ監督に絶対的な信頼を寄せていた。

「身を委ねる自信を与えてくれる監督なんて、そうそういません。」とチャランは言います。
「『友人だから集まった』という派手さの為だけに、私たちのキャリア全体を危険にさらしたくはなかったんです。作り手と被写体という理由が必要だったんだ。」

それぞれラージャマウリ監督とコラボしたことがある。ラオが初めて彼と出会ったのは、20年以上前の2001年、監督の長編監督デビュー作である青春ロマンス『Student No:1』だった。2003年のアクションドラマ "Simhadri "で2人は再会している。2009年、チャランは豪華なファンタジー映画『マガディーラ』の主人公としてラージャマウリ監督の世界に入り、興行的に大ヒットし、その後テルグ語映画史上最も高価な作品となった。(ラージャマウリ監督自身の『RRR』がその称号をまた得たのである)

「この人は、テルグ語やインド国内だけの映画を作る運命にはない、といつも感じていました。」とラオは言う。「彼は、自分の映画で世界中を旅することができる、稀有な天才の一人なんだ。一作ごとに、彼はますます良くなってる。「RRR」は、彼が西洋に進出するための計画だったのだと感じています。」

ラオは、ラージャマウリ監督の荒唐無稽(ほとんど)なアイデアにはもはや驚かされないと言いました。しかし、「Naatu Naatu」のダンスナンバーにおける映画監督の正確さへのこだわりは例外であると認めています。2人とも熟練したダンサーなので、ステップの難しさは特に感じなかったようですが、厳密なシンクロは難題だったようです。

ウクライナで2週間以上かけてリハーサルと撮影が行われたこのシーンは、登場人物の一体感を身体で表現することへの監督のこだわりが特徴です。テイクが終わるたびに、ラージャマウリ監督はモニターの前に座り、ラオとチャランの手と足が完璧に連携していることを1コマずつ確認しました。(チャランによれば、別のシークエンスで「ミニ・クリケット・チーム」の助監督を雇っているラージャマウリ監督は、あるADが一人の場違いな背景俳優を確認すると、もうひとつ別のテイクを要求したそうです。)

「多幸感を演出するだけでなく、登場人物を一人の人間として見てもらう為のストーリーが必要でした。」とチャランは言う。「私たちの考え、行動、すべてが一人の人間が行っている、一人の人間が踊っているように見えるはずですよ。」

俳優たちは、ラージャマウリ監督について、最愛の苛めっ子であり、まず自分自身に革新的な挑戦をすることで他者への要求に応える芸術家である、と語っている。

「プレッシャーは、驚異的な歴史上の人物を演じることではありませんでした。」とラオは言う。
「唯一のプレッシャーは、『ラージャマウリが僕たち為に描いたものを正当に扱えているか』というものでした。『RRR』は一人の男のビジョン。私たちは彼のビジョンの一部だったのです。」

「RRR」がナショナリズムを助長しているという批判について聞かれた2人は、政治ではなく、中心となる架空のブロマンスをメインテーマとしていることを強調した。

「なぜなら、僕たちの監督が作ったのは、インドが大英帝国の支配下にあった時代に、世界が知るべき2人の名もなき英雄を描いたフィクション映画だからです。」とラオは言います。

「RRR」のプリンシパル撮影は2018年にキックオフされ、COVID-19のパンデミックの影響もあって、2021年までラップされなかった。全部で270日以上の撮影が行われ、野生動物や激しい爆発の中で2人の友人が戦う1つのシークエンスは、なんと65日間も費やされた。

チャランは、ラオとの撮影初日をこう振り返る。ラージャマウリ監督にその日のシーンを尋ねると、監督は「2人のキャラクターが出会って握手するだけだよ」と言ったそうです。しかし、その握手は、地上から60フィートの高さで、二人の俳優がロープにぶら下がって、まるで振り子がぶつかり合うように行われることを、監督は言いそびれていた。

ラージャマウリ監督は、まず自分でハーネスの安全性をテストしました。高所恐怖症とジェットコースター恐怖症のラオは、俳優たちが文句を言えないように、監督自身が先にテストしていると信じているのです。

「彼は、僕たち2人が時々扱いにくい役者であることを知っています。2人して『いや、これはできない。不可能だ』と言っていたからね。」と、チャランは付け加えた。
「彼は何度もそのビデオ(先にテストしているビデオ)を見せてくれるから、僕たちはただ黙って、彼の言うとおりにするしかなかったよ。」

ラージャマウリ監督の激しいプロセスと俳優たちの献身的な努力の結果、この映画は3人をハリウッドという新たなフロンティアに導くかもしれないのです。そして、ラオとチャランは覚悟を決めているのです。

ラオは「私たちは時差とちょっとしたアクセントで分かれているだけなんです。それ以外は、西洋で俳優が経験することは、東洋とまったく同じプロセスですよ。」

彼らのキャリアの旅は、最近ロサンゼルスを訪れた際にも、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされた作品の招待客として、特別な重みを与えてくれました。

「私たちがとても誇りに思うのは、南インドの小さな産業であるトリウッドと『RRR』という1本の映画が、世界の映画への門を開き、私たちをここに連れてきてくれたことです。」と、ラオは語りました。

「L.A.は映画のメッカだ。今日、『RRR』のような映画と一緒にここに座っていることは、私たち全員にとって誇らしい瞬間です。」とチャランは述べました。「私たちは2人の個人として話してはいません。国家レベルで本当に団結した14億人のために話しているのです。『RRR』はこのような形で受け入れられ、私たちはインドを代表しているのです。これは特別なことです。私たちはこのことを忘れないでしょう。」


以上です…お読み下さりありがとうございました…!
間違えている箇所もあると思いますので、この訳はこう!など教えていただければ幸いです…!

最高…! RRR…!


パン粉

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