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泣いていいよ

うちは涙もろい。
多分、生まれ持った性質だと思う。
子供のころ、公園に知らない(同い年くらいの)子がいるだけで泣いていたらしい。とくに、何もされていないのに。
大人になった今も、他の人にとったら何でもないようなことでも、すぐに涙が溢れてしまう。

泣くこと=悲しいときに出るもの、恥ずかしいこと、弱いこと
というイメージがあるかもしれないが、私はそういったものを否定したい。

泣き虫の言い訳なのかもしれないけれど。
そもそも、「泣き虫」も浸透している言葉だから使ってみたものの、あんまり使いたくはない。
ネガティブなニュアンスが含まれている感じがするからだ。
「涙もろい」を使うことにしよう。

まず、うちが泣くときの感情は「悲しい」もあるけど、それと同じかそれ以上に「嬉しい」が多い。
どんなときに泣くか?を言い表すなら、「心が揺れ動いたとき」「感動したとき」がしっくりくる気がする。
さらにいうと「奥底にある、言葉ではうまく言えないような気持ちの扉が開いたとき」かもしれない。
悲しいとき、だけじゃない。
悲しくても嬉しくてもグッときても悔しくても、何かしら強く感じたものが涙となって現れる。
自分が涙もろいのは、「喋って伝えることが苦手だから」というのもあるかもしれない。
涙が言葉の代わりに、伝えようとしてくれている。

他の人はどんなことで、どれくらい泣いているんだろう?
よくありそうなシチュエーションは「怒られたとき」「大切な人(たち)との別れ」「映画などの作品を見たとき」などが思い浮かぶ。
人が泣いてるところって、うちはそんなに見たことがない。
関わってきた人たちも、自分の知らないところで、一人でひっそりと泣いていたことがあるよね、きっと。
なるべく人前では見せないよう隠している涙は、自分が思うより多い気がする。

私は、人前で泣くことにほとんど抵抗がない。
もともとあったのかもしれないが、しょっちゅう泣いてしまうから感覚がバグっている。
うちにしてみれば、まばたきをしているのと同じようなもので、生理現象だ。
でも泣いている自分を見て、心配してくれたり焦ったり困らせたりしてしまう。
「泣かなくていいよ」と、きっと優しさ(と困惑)で言ってもらえることもあるけど、
泣きたいときは泣かせてほしい。
慰めてほしいわけでも、困らせたいわけでも、見せびらかしたいわけでもない。
人前では抑えようとする努力は必要なのかもしれないけど、自然に出てくるものを無理に止めたくはない。

涙もろい同士に、泣きたいけど我慢しちゃう人に、「恥ずかしいことじゃないよ」って言える人でありたい。
だからせめて自分は、恥ずかしがりたくない。

自分は繊細なんだと思う。感受性が強すぎる。
でもそれは、弱いことじゃない。
そもそも、弱いとか強いとかってなんだろうね。
誰しも、強いし弱いし、どっちでもないと思うんだけどな。

たとえば「大人だから」「男だから」とかをくっつけて、「泣かないの!」っていう台詞があったり、「涙は女の武器」とかって言葉もあるけど、なんで年齢や性別が関係あるんだろう。


泣きたいときは、泣いていいよ。

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