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生活を飼う




階段を降りて左手の駐輪場へ向かうとき、朝ゴミを捨てて部屋まで戻るとき、1階の他人のベランダをいくつか見る。毎回特に変わりがないが、なにか変わったことはないかと少しだけ覗く。階段に一番近い部屋が空き室になった頃、その2つ隣のベランダにハムスターのケージをみつけた。
勿論冬なので外でハムスターを飼っているわけではない。ケージはからっぽで、天井部分がなかった。最近外に出したのだろうか。この部屋に住んでいる誰かが飼っていたハムスターが死んだのかもしれない。もしかしたらケージを新調したのかもしれない。ハムスターなんて飼ったこともないけれど、たしか寿命は2年くらいだと聞いたことがある。この部屋に住んでいる人に会ったことはないが、彼らは、最近死を目の当たりにしたのだろうか。ペットは家族だとか言う。家族が死んだ気持ちってどんなだろう。想像もつかない。家族が暮らしていたケージをベランダに出した気持ちってどんなだろう。ペットは飼ったことがない。アレルギーもちだし。寿命が違う動物を飼うということはまあそういうことで、今後彼らはまたハムスターを飼おうと思ったりするのだろうか。動物を家族に加えようとするのだろうか。そんなことを考えながら、私は一定の距離までしか寄ってこない野良猫のためにおやつを何粒か地面に置いた。野良猫のために買った、野良猫しか食べない猫用のおやつは200円程だった。おやつはあげるのに家族には決してならない野良猫にとって私ってなんだろう。犯罪者だろうか。まあ近いなにかだと思う。


煙草は吸わなくなった。酒も以前に比べれば全然飲まなくなった。部屋の鍵と財布だけ持って寒いなかコンビニへ向かう。きょう外に出るのはこれだけなのに、使い捨てのマスクを耳にひっかける。コンビニから帰ったらゴミ箱行きのマスクは個包装になっていて、その丁寧さがやけに煩わしかった。
いつもコンビニにつく前くらいに思い出す、袋が有料になったことを今回も同じようにコンビニの駐車場で思い出した。スーパーより割高の牛乳と栄養ゼリーとレジの横であっためられた肉をひとつ買う。3円出して小さい袋を買って、そのなかに買ったものを詰める。わざわざお金を出して袋を買っているのに店員さんは詰めてくれない。おつりも手渡ししてくれなくなった。このご時世しょうがないけど、なんとなくうーんという気持ちになる。少し前に始まったキャッシュレスにすらついていけていないというのに、生活は小さく小さくでも確かに変化していく。別にそれならそれでいいのだけど、もしホットスナックの肉が大豆ミートなんかに変わったらたぶんもう買うことはないんだろうなと思う。
袋をぶら下げながら片手で肉を食べる。このあたりは電灯が少なくて車が通った時くらいしか明るくならない。うしろからするごつごつした足音がすこし気味が悪かったけど振り返ってなにかを確認するほうが怖かった。早く帰ろうと早足になったはいいがすぐ疲れていつもみたいにぱたぱたと無駄に靴底を鳴らしてゆっくり歩いた。そういえば私には土踏まずがなくて、大して気にしたことはなかったけどもしあったとしたら足音はもう少しましになるのかもしれない。


なにもしていなくても毎日生活していることにはなるけれど、私はよっぽど生活に飼われているような毎日を送っている。最低限しか動かず、いつも多めに昼寝をして、週に二度外に出ればいいほうで、それでこたつはおそらくあと一ヶ月は出したままだろう。ほんとうは豚肉の入ったカレーのほうが好きなのに安いからいつもとりにくを入れる。毎回3円払ってもらう袋は指定のものではないのでゴミ袋に活用することもできなくて、部屋の隅に溜まっていくばかり。いつも忘れるだけで、随分前に買ったエコバッグはまだ数回しか使ったことがない。
牛乳は変わらずおいしい。牛さんいつもありがとう。生活に飼われているという割に有益なことはなにひとつしないけれど、かわいいといわれるような顔面も持ち合わせてはいないけど。なんだかなあ。毎日毎日なんだかなあと思ったりなんにもかんがえずぼーっとしたりそんなかんじの私の日常。なんちゃって。



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