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神さまもわらう

毎日、昼になる前に郵便局にいく。毎日、毎日、変な柄の封筒に似合わないシールを貼って、普通郵便でお願いします、と小さな声で言う。お手紙を机の上にだして、切手代の82円をぴったり渡して、笑顔の店員さんの顔を見る前にそそくさと郵便局を出る。それから、家に帰るとすこしだけお昼寝をする。目覚めると夕方になっていた。日照時間が夏の間よりすくなくなってきている、となにかのニュースでみた。お湯とひえたごはんを用意してお茶漬けをもさもさとたべる。寝る準備を全部したあとにテーブルの上の便箋にむかって、おもったことをかく。きょうあったこと、誰と何をしたかとかそういうものじゃなくてニュースをみておもったこととか、ぼーっとしている時間に考えたこととか、そういう頭の中で眠っているような口に出すほどでもないようなことをかく。近くにあった適当な封筒にいれて、かわいくないシールをひとつだけ貼る。明日の朝、またこれをもって郵便局にいく。
返事はたまにくる。10回出して1回だけかえってきたり、20回出しても返事はこなかったり、でもこれはひとりごとだから、返ってこなくてもいいのだけど、返ってくるとそれはそれで嬉しくなってしまったり。壁打ちじゃさみしいからお手紙にして送る。返事はあんまり期待せずに。

ある日とどいた返事に、いつもありがとう、とかいてあった。短い文で、いつも手紙が届くことが救いになっているよ、みたいなことがかいてあった。
この人はたぶん私がお手紙を出し続けても死にたいときに死ぬんだと思う。それなのにこんなぺらぺらなものが、いのちを留めておけないものが、救いとなるのだろうか。たぶん、ならない。救いだといったのは、たぶんことばのあやで、ほんとはそんなこと全然思ってないと思う。私は誰かのなにかになんてなれない。毎日お茶漬けばかりたべて。夜寝れない分お昼寝ばかりして。
でもそうか。お手紙を救いだと、そうやってこの人のなかからことばをひっぱりだせたのか。私のひとりごとは私だけのものだけれど、誰かの救いなんか求めてないけれど、毎日、郵便局にいくことに意味はあるのだと思った。

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