パソコンが重いと思ったらミュート状態でうしろで音楽がかかっていた

右向きの三角がずっとこちらをみている。それをみて少し憤りを覚えながら殴るような気持ちで執拗に押す。脳内で不快な音楽が鳴り止まない。早く消えてくれ、と思ってもそれはずっと鳴り続けて、気分が悪くなりそうになったその時、そうだこれは鳴るための準備の印なのだ、と思いだす。じゃあこの音はなんなのだ、不快な不快なこの音は。自分で作り上げた幻想に自分の中の芯のようなものが揺らぐ、なんてことはよくあることで、負けてしまったが最後、這い上がるのも難しい崖というものはもう崖ですらなく、最初からそこにいたかのような錯覚を見てしまう。なんて馬鹿な、じゃあどうすればよかったんだろう。

タイトルも、アーティスト名も、アルバムの名前も、どれも初期設定のままのCDというのは、わくわくと同時に恐怖すら与えてくれたりする。なんの感情もないトラック1という文字列に、喜ぶことはあまり、ない。真っ白な円をみても、美しいと思えなくなったのは私の心が汚れたからなのか。きっとどこにもいない。誰かのためのそれは、誰のものでもない、誰に向けるのかも判らない怒りというものに似ていなくもない、なんて考えながらマウスの右側をクリックする。初めて聞くその曲に、涙を流すなんてことはそうそうない。グーグルを開いてみても、みえないものがあるのだから、イーターネットなんて所詮その程度、と毒を吐く。あの日消えたあの人が、どこに向かっていたのかわからない。会えなくなるというのは、死んでしまうより会える可能性が低い。いっそ化けて出ようか。あの日死んだ私に、私の命日に、花を添えてくれるのはきっと、たぶん、私のことを知らない人だ。誰かのなかの私が、消えてしまったその時に、もう一度だけあなたに好きと伝えたい。

二度とこない夏は、それはそれは暖かくて、暑すぎるくらいで、それでも袖をめくるのを躊躇ってしまう自分が情けなくて涙すらでなかった。

────────────────────────────

あなたのいない街が街として成り立ってしまうこの世界が、大嫌いだ。

#贖罪 #今日もバイトです