見出し画像

21歳になった、わたしから祖母へ

21歳の誕生日を迎えた

うれしいー、21歳だー!

と思っていたけど
祖母から連絡が来ない、

そうだった祖母は4月に天寿を迎えて天国へ旅立った。

大学合格を機に上京した私を祖母は毎年慣れないLINEで誕生日を祝ってくれた。正直解読が難しい文も多くあった。それでもうれしかった。

上京する前は実家と祖母の家が近いこともあって会うことも多かった。月に一度はいっしょにランチを食べた。祖母は身だしなみに気を使い、月に一度は美容院へ行き、お洒落なアクセサリーも沢山つけていた。そんな祖母が好きだった。

上京してからはなかなか会うことも難しくなって、たまにくる謎解きのようなLINEでしか話すことも無くなった。

大学2年生になって地元へ帰った際に祖母の癌が見つかり、先が長くないことを知った。いきなりの宣告に頭が真っ白になった。

そのあとに入院している祖母に会いに行った際に、前回あった時よりも弱々しい祖母の姿を見て、必死に涙をこらえて楽しい話を沢山した。いつか必ずくる人間の死を大学2年生の私は未だに受け入れることが出来なかった。

それから、以前よりも帰省する頻度も高くなり、自宅療養するようになった祖母に沢山会いに行った。たくさん話したいことは会ったけど、実際その姿を前にすると泣きそうになって話すことは出来なかった。そんなことを繰り返しながらもまだ大丈夫だろうと思いながら東京に帰った。

いつものようにまた来るねと告げて東京に帰ってから2週間ほどして祖母が亡くなったと連絡が来た。

正直頭が真っ白で何も考えられなかった。ただ東京の家でひとりで頭が真っ白になって泣いていた。ちょうど桜が咲き始める頃だった。

その翌日の朝の新幹線で祖母の元へ向かい、冷たくなりながらも、すこし微笑んでるように見える祖母を見て涙が止まらなかった。

いつものように笑って吹き出す直前の顔にみえた。いつも通り笑ってほしい、そう思った。

祖母が亡くなる前の入院期間や自宅療養が始まった時に色々な場所から親戚が来た。みんな祖母が大好きだった。

すこし抜けていて、ツッコミどころが満載で、でもみんなから愛されている祖母が大好きだった。

どんなときも私の味方でいてくれて、いつも心配してくれて、応援してくれて、たくさんの愛をくれた祖母が心から大好きだ。

葬式の時にはたくさんの人が祖母を思って泣いていた。私もそのひとりだ。人間いずれ死ぬのはもう分かっているけども受け入れるのはむずかしい。

上京してから会う頻度も少なくなったこともあって、まだ祖母が天国にいるという実感がわいておらず、実家に帰ったらいつも通り待っていてくれているのではないかと心のどこかで期待していた。

そんな私も21歳の誕生日を迎えて、祖母からの連絡が来ないこともあって、すこしずつ祖母が居ない世界を受け入れ始めている。

いまだに思い出して悲しくなることも沢山あるけれど、祖母が残してくれた大切な思い出たちと共にこれからも生きていこうと強く思っている。


おばあちゃん、帰省して会った時は泣いちゃいそうでいえなかったけど、いつでも、どんなときでも、わたしの味方でいてくれて、たくさん話を聞いてくれて、慰めてくれて、そんなおばあちゃんが大好きだったよ。みんなからたっくさん愛されてて、お洒落で、ちょっと抜けてて、それでも皆のことをたくさんの愛で包んでくれるおばあちゃんのことが本当に大好きでした!たくさんの愛をありがとう。そして、わたしが心から大好きで、自慢のお母さんを産んでくれてありがとう。いつまでも天国で楽しく暮らしててね。お母さんのことはみんなで守るから安心してね。ゆっくり休んでください。

おばあちゃんのこと心からだいすきだー!いつもありがとう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?